ひだまりの都(4)

「昼間は大変失礼いたしました」


「もういいって。最後はちゃんと挨拶してくれたし。あとその固い喋りやめろ」


 夕食後、酒を飲まないかと親友を誘ったアルフィは、手酌でグラスを満たしながら、もう片方の手を振って俯いた頭を上げるよう促す。


 精霊相手に人間の作法を押し付ける気などなかったので、ヴィルヘルムの後ろに隠れながらこちらから目を逸らさず、絞り出すように小さく「せつなです……」と、側近が見ていたら目を吊り上げそうな態度も気にならなかった。ただ、幼い姿をした相手に怯えられたのには胸が痛んだようだが。


 そう、彼女は怯えていた。


 王の酌によって芳醇な酒に満たされたグラスを手に、ヴィルヘルムはその手で掴んだ震える小さな肩を思い出す。


 せつなは決して礼儀知らずではない。人間の習慣をある程度把握しており、立場にとらわれず、使用人相手でも敬意を持って接することができる。だからこそ、彼女のアルフィに対する反応は予想外だった。


 なぜあんな態度をとったのか、その理由を彼女が先に部屋に戻る前に訊くと、


「あいつには、お前が人には見えなかったらしい」


「え。俺どこか変だったか?」


「いいや。おそらく相性の問題だ。眩しくて、暑過ぎてダメなんだそうだ」


「……ああ、そういうことか」


 得心が行って、アルフィは残念そうに表情になる。


「じゃあ俺が雪精フウィートゥルヴに一度も会えなかったのもそのせいか」


「そもそも精霊は、滅多に人前に現れるものじゃない」


 かつてヴィルヘルムは、この言葉を何度もアルフィ少年に言った。


 生まれたときから暮らしている老人だって、フウィートゥルヴを見た者は少ないというのに、アルフィ少年はニフルヘイムに来ると必ず、フウィートゥルヴを見てみたいと、二人揃ってずぶ濡れになるまでヴィルヘルムを引きずり回して雪山を駆けたのだ。


 今ならせつなの側で見られるフウィートゥルヴだが、はたしてアルフィの前でも現れてくれるものか。


 ソルダグの祖王——女王ソルがこの地に降り立ったとき、世界は暗闇に包まれていた。女王が抱えていた光を離すと、それは天に昇り太陽になった。


 これがソルダグの祖王の伝説である。


 基本的に祖王の子孫は、髪と瞳、そして祖王の力に由来する体質を受け継いでいる。


 雪精を従え、氷の国を作った女王ヘルの子孫であるヴィルヘルムは、冷気に対して強い耐性を持ち、凍傷を負うことも、凍死する危険もない。


 そんな体質も祖王の力に比べたら微々たるもの。長い年月が過ぎ、代を重ねて血は薄まり、各地で奇跡をもたらした祖王の力はほぼ消えてしまっていた。


 しかしアルフィ——ソルダグ王家はどういうわけか違う。太陽を抱いていた祖王の子孫たる彼は強力な熱耐性だけでなく、生まれたときから光と炎の魔法を習得しており、さらには王座にいるだけでソルを中心とした一帯の気を安定させ、あらゆる天災からこの地を護ってきた。


 ほとんどが血脈に流れる祖王の力を失いつつあるなか、ソルダグの一族だけが、偉大な力の一部を現代まで維持しているのである。それゆえに彼だけが「王」を名乗り続けられている。


 太陽の恩恵を有する彼を雪乙女が忌避するのは、自然の道理なのだろう。


 アルフィが燭台の炎に指先で掬うと、火が小人の姿になり彼の手のひらの上で踊り出す。


「しかし残念だ。できれば息子にも会わせてやりたかったんだが」


「やめておけ。お前一人でも危なかったのに、二人になったら城の一部が凍りつく」


「涼しそうでいいじゃないか」


「人間だろうと見境なくても?」


「それはダメだな」


 火の小人を消し、からからと笑いながらアルフィは空になったグラスをテーブルに置く。掴んだボトルの輪郭を指で撫でるばかりで傾けようとしない。


「そういえばヘルで起こった件、黒幕が他にいるというのは本当か」


「はい」


 手紙で伝えた件を持ち出され、ヴィルヘルムは落ち着いて気持ちを切り替える。中身をほとんど残したままのグラスを置いた。


「レンナルトの協力者は全員捕らえましたが、町にボァワズルマネスを引き入れた者は見つかりませんでした」


 ヘルを囲む王冠と称される天然城壁はとても険しく、人間離れした身体能力を有していようとも乗り越えたり、穴を空けることは不可能に近い。唯一の門は常時、外側と町の内側から二重の門で閉められており、外側だけ開けても、内側が閉まったままで入れない仕組みだ。


 あの日、内側の門番たちを倒して門を開けた誰かがいた。


「レンナルトが仕組んだことじゃないと?」


「無茶はしましたが、基本的に一族の尊厳と伝統を重んじる奴です。自ら主都に大罪人ボァワズルマネスを入れるような真似はしません」


 広場での騒乱でレンナルトが本気で困惑していたのもヴィルヘルムはその目で確認している。ヘルに帰る前のボァワズルマネスによる襲撃についても驚いていた。彼は襲撃を命じただけで、実行犯を選んだのは別の人間だった。誰に問い質してもボァワズルマネスと繋がる仲介人の所在は不明なまま。


「ボァワズルマネスの仲介人か」


 アルフィは深いため息をつき、乱暴にボトルをひっくり返した。グラスのふちぎりぎりまで酒が注がれる。


 恐れられ疎まれる呪われた存在。しかし単純な戦力として見れば、彼らは魅力的な武器だ。価値を認め許容した誰かが、関わるべからずの決まりを破ってボァワズルマネスを人里に招き入れた。


元老院爺婆共が聞いたら腰抜かしそうだな」


「実際には年寄りだけで済まない」


 大人も子どもも関係なく、民全体が恐慌状態に陥る。それだけボァワズルマネスは、恐怖の対象として人々に刷り込まれているのだ。


 せつながいなければ、ヴィルヘルム一人であの騒乱を治められたかわからない。あの混乱が他でも起こるかと思うと、頭の痛い話である。


 ヴィルヘルムはグラスを掴み上げ一気に空にすると、おかわりを望んだ。

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