ひだまりの都(2)

 出発が決まってヴィルヘルムが調整で忙しくしている間、せつなはメイドたちから色々訊いていた。主にオススメの王都名物名所など。旅支度は周囲が整えてくれるので、せつなが備えることといったらそれくらいしかなかったのだ。


「ねえ、ところで王様ってどんな人?」


「とても懐が深く、眩しい御方ですよ」


 答えたのは先代領主の頃から勤めているというメイド。若いメイドを取り仕切る立場である彼女は、過去に思いを馳せて頬笑む。


「即位される前は、旦那様のご友人としてよくこの城にお見えになられておりました。ふふふ、勤勉であまり遊びが得意でなかった旦那様をよく外に連れて、ずぶ濡れになるまで駆け回っていたものです」


 かつては王子だった少年と次期領主だった少年は、それぞれ納まるべき地位に着いたあとも変わらない友好を持ち続けているという。


 それにしても、子どもの頃のヴィルヘルム。見たい、とても見たい。きっと美しく愛らしい美少年だったに違いない。


 目にすることは叶わない幻に想いを募らせながら、その日を迎える。


 城の前に、せつなが見たことないような巨大なトナカイが四頭。広い後部座席を備えた大きなソリ。後ろに連結したもう一台の少し小さめのソリに荷物が山積みにされていた。


 いつもなら、中央へ向かう際は従者と兵士、ちょっとした部隊並の人数を連れて行くのだが、今回は定期の集まりとは違うのであまり大仰にはしたくないという領主の意見で、従者と侍女一人ずつ、合わせて四人と小規模に抑えていた。


 前回、帰還途中に襲撃にあって雪山で逸れ、捜索している間に領主が自力で帰還という不甲斐ない結果を出してしまった兵士たちはあの日から猛特訓に明け暮れているという。


 反対意見は当然出たのだが、「雪乙女」が共に行くなら一部隊の護衛を付かせるより安全だろうということで納得させた。


 従者はせつなたちが乗るソリの御者席に。侍女は後ろのソリの御者席に乗った。


「二人旅、楽しんでくださいね」


 留守を預かるラルフが満面の笑みになっている。


 周りがきっちりと防寒具で身を守る中、身軽な振袖と草履で雪の上を歩いていたせつなは、「二人旅」と強調された言葉に顔を赤らめる。これから肩を並べてソリに乗らなければならないというのに、余計なことを言った執事を睨んだ。


 ヴィルヘルムの前だろうと構わないラルフのこの明け透けな物言いのせいで、調子は狂いっぱなしだ。最初は「ふざけるな」と言い返していたヴィルヘルムも最近では聞き流すようになって気に止めていない。


 せつなの心だけがずっと彷徨っている。


「何をしているんだ。来い」


 先にソリに乗っていたヴィルヘルムから差し伸ばされた手を目を逸らしながら掴む。横風が吹き、広がった髪が顔を覆う。せつなはもう片方の手でその暗幕をどけ、白銀の瞳と目が合ったと思った瞬間、腕を引かれ体が浮かんだ。


 気づけばヴィルヘルムの隣に座っていて、ソリが動き出すと身体が傾きヴィルヘルムの右肩と腕にくっつく。間を空けて座れるほど席には余裕があったけれど、繋がっていた手が離されてもせつなは左半身に感じる熱から離れられないでいた。


 身体が正直過ぎて、穴に埋まりたいっ。


 寒さを感じないはずのせつなの震えにヴィルヘルムが不思議そうに目をやるが、彼女の頭には雪精たちが群がり、埋もれた表情を見ることはできなかった。




 ソリでの移動は残雪がある領境近くの村まで。四日かけて着いた村で一晩宿を取り、箱馬車に乗り換えて王都へ向かう手筈になっている。


 村の端にある下り坂の先を見下ろすと、久しぶりに目にする白くない地肌がのぞいていた。風が村を吹き抜けると痩せた氷柱から水が滴る。


 せつなは己の後ろ首に触れて汗を探すが、指はさらっとした肌を撫でるだけ。温和な春の気候が彼女にとっては初夏に等しい暑さであった。村に入ってから雪精たちが体にくっついて動かなくなったのもそのせいだろう。おかげでどこを歩いても村人から注目される。


 ヴィルヘルムは今宵宿となる村長の家で休んでおり、せつなはついて来た侍女と共に村を歩いていた。


「雪乙女様、どちらに?」


 彼女は、出発前に書庫に来てせつなに声をかけたメイドだ。今回の旅では、せつなの侍女を仰せつかったらしい。


「この子たちを山に戻そうと思って。この調子じゃ、王都まで連れて行けないし」


 雪精を一匹ずつ引き剥がし、ヘルある真っ白な山脈の方に向かって放る。けれど置いていかないでとでも言うように、すぐに引き返して手にくっついた。そんな甘えん坊たちを「行きなさい」と振り払う。


 名残惜しげに何度も振り返る雪精がようやく森の奥へ消えたのを見届けて、せつなは顔を手で扇ぐ。雪精がせつなで涼んでいたように、せつなも彼らのおかげで暑さを和らげていたのだ。


 雪があるためこの辺りはまだ涼しいが、王都に向かうにつれて気温は上がっていくだろう。


 気を練り、被衣を作る。そうするのが当たり前のような、ほとんど無意識の行動。


 一枚増えた衣に侍女は首を傾げる。


「暑いのでは?」


「これは私の気で作ったものだから冷たいの。ほら」


 清流のように冷たく、滑らかな手触り。被衣の端に触れた侍女は、気持ち良さそうに息をつく。


 これで凌げればいんだけど、と拭いきれない不安は翌日的中する。


 ニフルヘイムを出た途端、せつなは改めて己の体の変異を思い知った。


「あ、っづい!」


 少女の唸り声は、外の御者席にいる従者と侍女にまで届いた。


 陽の光は柔らかく、風は穏やかで王都に向かうには最適な時期のはずなのだが、車内のせつなは、真夏の猛暑に打たれたようなありさま。保冷効果を持つ被衣にくるまりながら、暑い暑いと項垂れる。しかも、まるで対抗するように彼女の体から冷風が流れ出て、涼しいを通り越して車内の気温は極度に下がっていた。おかげで同乗しているヴィルヘルムはコートを着たままだ。


 どうしようこれ。このままじゃすぐ体力切れになっちゃうよ。


 ニフルヘイムを出てまず実感したのは、心体にかかる負荷。力に制限がかかったような束縛感。精霊の弱体化とはこういことかと身を以って知る。


 もっと気の巡りを抑えないと。


 とにかく、まずは過剰に放出している冷気をどうにかしなければ。被衣の襟を胸元に寄せて握り込み、目を閉じる。


 えーっと……小さく、小さく。


「おい!」


 突然腕を掴まれて目を開けると、視界が真っ白で驚いた。不可思議な霧が晴れると、予想以上に近いヴィルヘルムの顔があり、しかも腕を掴んでいる彼の手を見てせつなの思考は乱れに乱れる。


「あう、なっ、え」


「なぜ縮んでいる」


「え……え?」


 顔を強張らせたヴィルヘルムの瞳の中に映る幼い少女の影。慌てて己の体を見下ろすと、髪は肩より少し上までとさっぱりとした長さ、そして短くなった手足。前と同じだ。


「領を出るべきではなかったか。引きかえし——」


「ああ大丈夫っ! ただの『省エネモード』だから!」


「ショウエネ?」


 咄嗟に出た言葉だが当て嵌まっていた。激しかった力の流動は抑えられ、小さくなった分、消費は少なく、負担が少し軽くなる。縮むことにこんな効果があったとは。新しい発見だ。


「うん、これならだいぶ楽に動けそう」


「そうか」




 それから馬車に揺られること数日。


 王都のあるソルダグ領は、山谷の少ない平坦な土地で、太陽が昇るようにその城壁は地平線から現れた。


 平原に建つ城壁を凝視しているとヴィルヘルムが告げる。


「あれが王都ソルだ」

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