ニフルヘイムの雪乙女
終わりはあっさりとしたものだ。馴染む剣を手にしたヴィルヘルムはその腕前を存分に発揮し、せつなは補助に徹しながら一人の観客としてその独擅場を堪能した。
自分たちが劣勢だと判断するや否やボァワズルマネスは、凍りついたものも残さず仲間の死体を回収して去っていった。
警備を強化したが二度目の襲撃の気配はない。
そして首謀者として拘束されたレンナルトは、今もこの城にいる。
「甘い」
「入れ直しましょうか」
「いや、紅茶のことじゃなくて」
せつなは手で制し、ラルフはヴィルヘルムのカップにポットを傾けた。
騒動の後始末も大方片付き、ヴィルヘルムの仕事も日常的な物に戻っていた。まるで絡繰人形のように黙々とペンを滑らす。
執務室のソファに座る成長した少女の姿も見慣れたものだ。
「処罰が甘過ぎると思うんだけど。城からも追い出さずただの謹慎って、子どもじゃあるまいし」
「子ども」の部分で吹き出したラルフは慌てて顔を背ける。しかし震える肩が隠せていない。どこに笑う要素があったのかせつなにはさっぱりだが、本当に幼かった頃を知っているという彼にはツボを刺激されるところがあったのだろう。
幸い領民への被害がほとんどなかったとはいえ、ヴィルヘルムがレンナルトに下した沙汰は、今後領主の許可無しに外界との接触は禁ずるという自宅謹慎。腕を切り落とせまでとは言わないが、これは処罰としてあまりにも手ぬるい。
「しかたがないだろう。実際、あいつは子どもの頃から成長していないんだ。完全に俺の管理下に置かれるだけでもあいつにとっては充分な罰になる」
「と言っていますが、本当はレンナルト様を生家から追い出すのは忍びないとお考えなんですよ」
「ラルフッ!」
部屋の隅へ移動してヴィルヘルムから離れ、ラルフとせつなはひそひそと話を続ける。
「旦那様は昔からレンナルト様に負い目を感じておられるんですよ」
「負い目?」
「ええ。レンナルト様の大切なもの全てを奪ってしまったと」
「それってあいつの言い分じゃ……」
「実は旦那様も気にしていたんです。ですから昔からレンナルト様に甘くて。今回の暴走もある意味いままで甘やかしてきたツケのようなものですね」
「…………」
薄々は気づいていた。冷徹に見えるその姿とは裏腹しに、実はすごく情に脆い。だがここまでとは、とラルフと同時に振り返って窺うとヴィルヘルムは口を引き締めこちらを睨んでいた。
「いいじゃないですかこのくらい話しても。お嬢様のおかげで旦那様の治世は揺るぎなく安泰となったのですから」
「私のおかげ?」
「ええ。ニフルヘイム現領主は雪精に認められたと、領内だけでなく外まで広まっているようです」
せつなの肩の上には、髪の影に隠れたフウィートゥルヴがふるふると震えていた。別に怯えているわけでなく、彼ら常にそうらしい。
あの騒ぎを見ていたのは領民だけはなかった。ニフルヘイムの伝説の精霊、フウィートゥルヴを従わせた乙女の話題は、主に商人を通してあっという間に各地に広がり、しかも乙女もまた氷雪を司る雪精であると伝わったのだ。
「『雪乙女』に剣を授けられた旦那様もいまや伝説の人」
当人よりも誇らし気にラルフは胸を張った。
その授けられた剣といえば、執務机の横に立て掛けられている。精霊の気で作られた伝説級の代物。ラルフとしては、額に入れるくらいの気持ちでもっと丁寧に扱って欲しいようだが、剣は主以外には心臓まで凍らせる冷気を発するので触れることができず、ヴィルヘルムの無造作な扱いを渋々受けれ入れるしかなかった。
せつなは剣を見つめる。騒動のあと、ないと不便だと言うので鞘を作ったが、後始末で慌ただしい中で急遽誂えた為まだ少し物足りない感じがしたのだ。剣に近づき、真っ白な鞘の表面に指先をあてる。もともとはせつなの一部でもあるからその手が拒まれることはなく、上から下へ指を真っ直ぐ滑らせると、樹木の葉のような模様が刻まれた。
満足気に頷きながら鞘を撫でる雪乙女の姿にラルフはにこやかに、そして彼女を静かに見下ろしている主人を見た。
「旦那様もお嬢様の気持ちに応えるべきではないでしょうか」
「お前、またふざけたことを——」
「私は真剣ですよ。むしろ旦那様、ここまで愛を示されて何もしないというのは男が廃るというもの。いいじゃないですか、精霊と人間でも恋するときはするものです。そういう話はわりとよくありますし。あ、もしかしたらお嬢様が少女の姿なのも旦那様と結ばれるためなのかもしれませんよ!」
どんどん熱を上げていくラルフにヴィルヘルムは呆然となる。
急に二人の姿が霞み、せつなは「あい……こい?」とまるで初めて耳にしたような顔で呟いた。女に生まれて十六年、そういった話題は度々あったので知らないわけがない。ただ、初恋もまだな自身にとっては、物語の中にしかないような遠いものだった。
そんな自分が、あの執事は何をしたと言った?
高鳴る胸を手で押さえ、顔を上げる。不明瞭な視界でも銀の輝きははっきりと見えていた。白銀の瞳に浮かぶ赤らむ自身を見て、彼に対して抱くこの気持ちの名をせつなはようやく知った。
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