フウィートゥルヴ(5)

 狼の毛皮を被った者たちは、逃げ惑う人々を無視してヴィルヘルムへ近づこうとしていた。


 それを見逃せるはずもなく、彼の前に跳ぼうとしたせつなの前に二人の闖入者が立ち塞がる。顔は見えず、怨嗟がどぐろを巻いているような獣の目と目が合った。


「どいて!」


 せつなの手から滑るように飛び出した氷の刃を彼らは全て短剣で打ち払い、そのまま勢いつけて切りかかる。


「っ!?」


 攻撃を防いだ氷の盾がたった一撃で破壊され、間を置かない追撃に慌てて身を捻る。獣のように低い姿勢で素早く動く相手に、焦燥から雑にできあがった氷の牙で噛み付くが、相手の武器に押し負けて砕かれてしまった。これはただの短剣ではない。身体能力も常人離れしている。


 せつなが踏み切れずにいるのは、人に対する攻撃を躊躇しているからではない。むしろそんなものはヴィルヘルムが攻撃されている時点でかなぐり捨てている。


 これは経験の差だ。平穏な社会で生まれ育ったせつなと手練れの戦士である彼らとの大きな差。純粋に力だけでいえば有利なのはせつなの方だが、敵は手法に魔法を組み込んでいるようだ。


 人外離れした力で未熟さはカバーできても、渡り合うのが精々で垣根を越えることができない。


 彼らの後ろに見える襲撃者と剣を交えるヴィルヘルムのもとにいますぐ飛んでいきたいというのに。振り被る手を躱しながらせつなは唇を噛む。


 ヴィルヘルムが使っているのは予備の剣だ。一兵卒の物と比べれば頑丈であるが、彼が愛用していた物とは数段も劣る。特殊な細工が施されている敵の武器とぶつかって剣が軋む度、ヴィルヘルムは顔を顰め、それでも猛獣に等しい彼らに後退りすることなく、兵士たちと引き離され、たった一人で複数と対峙していた。十人がかりで襲いかかってくる敵をしなやかな剣戟でいなしつつ、ほんの一瞬の隙で急所を突く。


 幾人が倒れ、広場の一部を黒く染めても敵も怯むことなく標的を執拗に狙い続ける。


 複数の剣を同時に受け止めてとうとう、ヴィルヘルムの剣が折れてしまった。


 即座に体勢を立て直し、ヴィルヘルムは寸前で倒れた敵から短剣を奪い取る。武器の種類が変わっても彼が遅れを取ることはなかった。


 獲物の手強さを理解したボァワズルマネスは次々と手を増やした。火球を放ち、風刃を振るい、減った分以上にどこからともなくやってくる仲間を補充して、黒い群れがヴィルヘルムを呑み込んでいく。


 再び武器が破壊され、ヴィルヘルムの頬に一筋の赤が走った。


「ヴィルっ!!」


 彼はすぐにまた武器を奪って応戦する。


 真っ青になったせつなは左腕と腹に短剣が突き刺さったことに気づいていなかった。彼女の頭を占めていたのはヴィルヘルムのこと。あのとき自分が砕かなければと、今になって後悔の念が湧いた。


 剣、剣、剣! あんな物ではダメ。彼の為の、彼に相応しい物じゃないと!


 前に行こうとするが、刺さった短剣が深く食い込み、せつなの体をその場に押し留めた。なぜそれ以上進めないのか理解できないまま嘆く。


 ここからじゃ届かないのに!


 そのとき、はっと思いついて頭上を見上げた。


「フウィートゥルヴ! 力を貸して!」


 呼びかけに応じた雪精たちが集う。せつなは目を閉じ、意識して力を練り始めた。


 剣、剣、ヴィルヘルムの為の剣。


 雪精が連なってまるで紐のようにせつなのもとからヴィルヘルムの頭上に伸びる。それに気づいた一人のボァワズルマネスが雪精を斬りつけようとした瞬間、せつなから青白い閃光が放たれた。広場にいた者たちの視界を奪った光はフウィートゥルヴの紐を伝い、ヴィルヘルムの頭上から雷のように彼の前に落ちる。その衝撃で囲んでいたボァワズルマネスは吹き飛ばされ、ヴィルヘルムの目の前には青く輝く氷の剣が突き刺さっていた。


 六花を散らしてホロホロと崩れながら、すぐに新しい氷が欠けた所を埋めていく。霜に覆われ、ぼかした幻のようでありながら、剣の形を維持しようとする姿は美しくも触れるのが恐ろしい儚さ。


「ヴィル! 掴んで!」


 声の方を見て顔を強張らせたヴィルヘルムは、視線を一切逸らさず後ろ手に剣を引き抜いた。すると崩壊が止まり、霜で曖昧になっていた柄に植物のような模様が刻まれ、剣身にはうっすらと氷晶が浮かぶ。主の手に渡ったことであるべき姿を得たのだ。


 駆け出したヴィルヘルムを何人かのボァワズルマネスが追いかけようとしたが、虫を払うような一薙ぎで吹き飛ばされる。剣の軽さに反する大きな威力に、振るった本人も目を見開いたが、それよりも優先すべきことを思い出して前を向いた。


 ヴィルヘルムが駆け寄ってくるのをじっと待っていたせつなは、彼の剣が己の両脇に触れるかどうかの距離で振り上げられて初めて、己の腹と腕に刺さった短剣に気づいた。


 短剣を突き刺した体勢のまますっかり凍りついていた二体の塊が、手首から切り離されて地面に転がる。


「うわぁ……」


 己の体に刺さっている短剣をまじまじと見つめる。痛みはないが違和感が強く、さっさと引き抜いて短剣を放り投げた。


「何をやってるんだお前は!」


 肩を竦めてせつなは反射的に「ご、ごめん?」と返して首を傾げる。


「傷は」


「大丈夫。もうほとんど塞がってる」


 流れた血が氷のように固まって傷口を完全に塞ぎ、着物の穴もせつなが手を翳せば一瞬で元通り。


 こころなしかヴィルヘルムが安堵したように見えて、せつなは花を飛ばすような笑顔を咲かせる。どんな些細なことでも自分に心を砕いてくれることが嬉しくてしかたがなかった。


 ヴィルヘルムの手の中で輝く剣がちゃんと彼に相応しい形になっていることに満足感を得る。その使い心地を訊く前に彼の背後で揺れる影に気づいて地面を踏み鳴らすと、いかずちのように氷が地面を走り敵の足を捕らえた。


 後ろを一瞥したヴィルヘルムは周囲を見回し、騒動の中で立ち尽くしている男を見つける。


「レンナルト! もういいだろ、こいつらを引かせろ!」


「俺じゃない! この俺が大罪人共の侵入を許すはずがないだろ!!」


 青い顔で「くそっくそっ! 聞いてないぞこんなことッ」と喚き散らすレンナルトの発言に引っかかりを覚えつつ、せつなはヴィルヘルムの隣に並び、獣の如き群れを睥睨する。


 氷の剣の傾きが僅かに変わると同時に少女の吐息が吹雪を起こす。


 真っ白に染まった世界に獣は抗い爪を立てた。


 しかしそこからはもう一方的な狩りだ。青い流線が人々が怖れる呪いに塗れた身体を凍らせ、砕き、切り裂く。


 ボァワズルマネスは思い知る。フウィートゥルヴでも吹雪を起こした少女でもない。常に心臓に棘を突きつけられているような張り詰めた寒さの中で鈍らず、恐れず、思う存分に力を発揮している一人の人間。


 目の前にいるこの男は紛れもない、この地の支配者なのだと。

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