フウィートゥルヴ(4)

「……へぇ」


 それがなんなのかは一目でわかった。


 小瓶の蓋は一見、口に押し込んでいるだけのようで、キツく閉めたジャムの瓶の蓋並みに固い。手のひらを刺す静電気のような拒絶反応を無視して、蓋を掴む指先に力を込める。


「ぐ、ぬぅ!」


 蓋を引っこ抜くと瓶が割れ、中身が宙へ飛び出した。墜落するそれを手のひらで受け止めると、雪精たちが勢いよく集まってせつなの両手はひんやりとしたマシュマロのような感触に埋もれる。


 あ、気持ちいい。


 不快感が拭われて心のささくれが少し減った。


「ねえ、これは随分と汚いやり方じゃない? 人質……精霊質か。可哀想に、こんなになっちゃって」


 両手で包み込み、萎れた雪精に少し力を流す。相性は悪くないようで、乳飲み児のように力強く指先に吸いつかれた。手の中でふくふくと丸まっていくのを撫でる。


 青褪めた偽領主がポケットから取り出した石を握りしめ一言呟くと雪の中から出現した氷の槍がせつなに向かって飛んだ。


 まさか雪精なしでそんな芸当ができるとは。せつなは驚きながらも落ち着いて、手の中のはそのままに外側に群がっていた雪精を振り払い、飛んできた槍を睨み据えて構えた。


 深く息を吸い込み、吐き出した息が煌めく。内側に収まっていたモノが全身の表面に流れ、風が髪をすいて浮かび上がらせた。


 人々の目からは少女が白い煙に包まれたように見えた。煙は空気を冷やし、服の隙間から滑り込んで極寒に慣れている人々を身体の芯から震わせた。


 槍は煙をすり抜け地面に突き刺さり、煙が揺らめいたかと思えばそれは瞬く間に白い衣に変わる。長い袖をぶら下げた腕が上がり、開いた手から丸々としたフウィートゥルヴが飛び立ち、闇を溶かしたような黒に浮かぶ艶やかな輪の周囲をくるりと回る。背中を覆うほど長く、ふわりと広がった髪が成長した・・・・少女のほっそりとした体を際立たせた。雪の如く白く珍しい衣を纏った少女の周りでフウィートゥルヴたちは踊り、人間には聞こえない声で唄う。


 せつなが腕を大きく振るえば撫でられた風が凍りつく。それはレンナルトの物よりも細い、透き通るような美しい槍となってヴィルヘルムを囲む敵とレンナルトに向い、彼らを薙ぎ払った。


「ん? あれ、戻ってる!?」


 圧倒されている人々の様子など目にも入らず、敵のことも頭から抜け落ちて、せつなは己の手足が伸びていることに小躍りした。十六歳の自分の体。髪が伸びているのが少々気になるが、今は目線の懐かしさを感じるのがまさった。


 地に手をついたレンナルトは呆然とせつなを凝視する。


「なんなんだ……なんなんだ貴様はッ! ヴィルヘルム! 貴様いったい、俺の国に何を連れ込んだッ!!」


「それは俺も知りたいところだ。まあ、この状況から見当はつくだろ」


「っ、ふざけるな、俺は認めない!」


 レンナルトはもう一度、呪文を刻んだ石を右手に握る。しかし彼のもう片方の手と膝から下が氷で地面に固定され、立ち上がることができなかった。従者たちも同様に拘束されていた。横殴りされた胴や手足を、槍がとけて広がった氷が張り付いていて、領主たちのような耐性がない彼らは紫色の唇を震わせる。


 魔法でどうにかしようにも、氷に傷一つ付けることができない。この氷を造り出した者がレンナルトの力を凌駕しているという証だ。その力の持ち主はすでにレンナルトへの関心が失せており、手を握っては開き、握っては開きと具合を確かめている。レンナルトは歯噛みして能天気に笑う姿を睨みつけた。


 ふざけるな、と悔しげに呟く義弟を一瞥してヴィルヘルムが狼狽える領民たちに声をかけて落ち着かせようとしたそのとき。


 黒い獣が広場に降り立った。虚ろな瞳からは生気を感じられず、唸り声一つなく静かに佇んでいる。その頭部の下には人間の体が生えていた。


 いや違う。人間が獣の皮を被っているのだ。


 さらに一人、二人と、屋根の上から同じような者たちが次々と降りてくる。


「——ボァワズルマネス?」


 誰かの呟きが静まり返った広場に落ちて、悲鳴が町中に轟いた。

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