フウィートゥルヴ(3)

 城下に蓋をする蜘蛛の巣ように張り巡らされた氷の糸にせつなは眉をひそめる。


 しゃらんしゃらん、と最近よく耳にする音が鳴り響き、思わず耳を押さえた。他の人は外の景色に目を奪われているだけで耳に関しては無防備でいる。自分にしか聞こえていないらしいこの悲しげな音はなんなのか。


 ヴィルヘルムが集めた兵士を引き連れて城を出るのを見つけてあとを追った。


 後ろからひょっこり現れた少女に数人が戸惑った様子を見せるも、主が何も言わないので黙認していた。


 門の外は雪が深く、さらには地面から飛び出した氷の棘が道を遮っていた。がたいのいい兵士数人が前に出て、棍棒で叩き折りながら道を開く。傷つかないように二列になって進む彼らの靴にはまじないが刻んであり、雪の上でも沈むことなく歩いていた。


 普通の靴にも関わらず、子ウサギのように軽やかに、棘の隙間を掻い潜りながら誰よりも先に抜けたせつなは、高く積もった雪で一階が埋もれた街並みを目にする。誰か掘ったのか、雪を抉ったような道に棘はない。


 上に見える蜘蛛の巣の中心は広場の方のようだ。幾重にも重なった足跡の先から密集して濃くなった人の気配がする。


 ヴィルヘルムたちと共に足跡を辿ると、この間来たときには見なかった六本の氷の柱が広場の周りに立っていた。中心には住民が集まり、教会の前には台の上から彼らを見下ろすレンナルト。彼の周囲に白い雪玉のようなものが浮遊しており、せつなは訝しげに瞬く。


「まさか」


 その声に隣を見上げれば、ヴィルヘルムが顔を強張らせてレンナルトを凝視していた。兵士たちも信じ難いものを目にしたような様子で固まっている。


 気取った顔つきがこちらに気づいた途端にいやらしい笑みに変わる。


「しかと見たなヴィルヘルム。領主の座を返してもらうぞ」


 その言葉に従って動く者たちがいた。腰の剣に手をかけ、ヴィルヘルムたちを取り囲む。


 抜かれた剣先がヴィルヘルムに向けられ「このっ」とせつなは目を細めて低く唸った。護衛であるはずなのに呆然と立ち尽くしている兵士たちを心の中で責め立て、道端の石ころのように己を無視している背中に飛び掛かろうとした瞬間、せつなの両手両足首を氷の枷が嵌められ、身動きを封じる。


「なにっ!」


 己を拘束した者に噛みつかんばかりの勢いで顔を上げると、豆粒のような両手と三角帽子を被ったような頭をくっつけた雪玉がぶるぶると震えながらせつなの周囲に漂っていた。しゃらんしゃらんと怯えたような音に歯軋りする。


 ヴィルヘルムはせつなを一瞥して、鋭い視線をレンナルトに戻す。


「その小娘は魔法の心得があるらしいが、フウィートゥルヴを従える俺の敵ではない」


「そこそこ調べたというわけか」


 動揺を見せたのは最初の一瞬だけで、ヴィルヘルムのいつも通りの余裕のある態度にレンナルトは苦々しい表情になる。


「口の利き方がなってないな。貴様はもはや領主ではない、俺が主だぞ! 跪けヴィルヘルム!」


 男二人が背後からヴィルヘルムの両肩を掴み、膝を曲げさせようとする。


 煩わしそうな表情を浮かべはしたが大した抵抗もせず、されがままに膝をついたヴィルヘルムに周囲がざわつき目を瞠る。


「なんで……この男を認める気なの!?」


 狼狽える少女をレンナルトは鼻で笑った。


「無知め。俺が偉業を為した以上、異論は認められない。そいつは従わざるを得んのだ」


「あんたが何を為したっていうわけ」


 纏わりついてくる雪精を枷を付けられた手で払いながら、せつなはレンナルトを睨みつけた。


 雪精数匹がレンナルトの手の動きに応じて、彼のもとに集う。


「かつてこの地に降り立った祖王は、本来従えられるはずのない雪精を服従させ、天候を操り、城を造り、国を創った。祖王が旅立たれると雪精は姿を消したあと、『祖王のように雪精に認められた者が次代の王である』という言い伝えが残った。しかし、時間を重ね、何世代に渡っても祖王以外にフウィートゥルヴを従えられる者が現れることはなかったのだ。今このときまでは!」


 両手を広げ舞台で語る様は、領主というよりも演者のようだ。


 つまり、あの男は伝説を再現したことでヴィルヘルムよりも相応しいニフルヘイムの主であると高らかに宣言して、人々はそんな彼を祖王の再来として崇めていると。


 ——なんだそれは。


 せつなは拳を握り、しゃらんしゃらんと鳴きながら顔に纏わりつく雪精を吐息で払う。


 レンナルトの前で雪精たちは踊り、背後にある教会を包みながら巨大な氷の建造物が構築されていく。


 せつなが一歩進むと服が軋んだ。内側から生地が凍っていた。


「おい」


 聞き逃したくない声に振り向く。


「何をする気だ」


「何もしない気?」


「この地を覆う雪の化身であるフウィートゥルヴがあいつをと認めた以上、俺たち人間はそれに従うしかない」


 憂を浮かべる姿は大変美しいが、諦めた態度は腹立たしい。


 せっかくこれ以上人間離れしないように力を封じたというのに。


 枷が割れて地面に落ちる。雪にずっぽりと埋まったそれにレンナルトの従者たちはぎょっとし、さらには小さな手が近くに飛んでいた雪精を遠慮もなく鷲掴みするものだからヴィルヘルムの兵士たちまで動揺した。


「この子たちが認めたから、それがなに? 本気でアレが主の器だと? あんたが劣っていると? そんなことありえない!」


 雪を巻き上げる怒号に人々は震え上がる。苛立ったレンナルトに反応して雪精は雹の烈風を砲弾のように噴出した。視認もせずせつなは後ろ手を振り上げて、出現した氷の盾でそれを防ぐ。


 そんな攻防には目もくれず、ヴィルヘルムはなぜ彼女が憤っているのか理解できないと首を傾げる。


「なぜお前はあいつを否定する?」


 フウィートゥルヴが認めて、せつなが認めないのはおかしいというような物言いに、冷え冷えとした対の漆黒を不気味に光らせ、口端の片方を吊り上げた。幼い少女のあまりにも怪しい気配に大人すらも青褪め、彼女の手に捕まっている雪精がしゃっしゃっと喚き震える。


「あんたを嫌う人間をどうやって受け入れろっていうの」


 ヴィルヘルムはきょとんと、まるで少年のようなあどけない反応をした。


 ほんの少し冷気が和らいで、手の中から雪精が逃げ出す。


「まさか、それだけか」


「充分でしょ」


 至宝に等しい、お気に入りを貶されたのだから。


 枷が壊されていると気づいたレンナルトは、直接せつなの手足を氷で覆わせる。


 普通の人間であれば凍傷を負うところだが、せつなは構わず足を力尽くで動かして氷を割った。靴が裂け、剥き出した足には傷一つない。そのまま白い足を雪の上に置く。踏み締めた場所を起点に粉雪が舞い上がる。


 さきほどから追い払っているのに、何度も懲りずに顔面に擦り寄ってくる雪精が鬱陶しい。それら自体からは敵意を感じず、指示がなければ攻撃もしてこないので奇妙だった。ただ邪魔で、いっそう氷塊にしてしまおうかと手を伸ばす。雪精なのだから死にはしないだろう。


 しゃらん、しゃらん!


 せつなは「うん?」と首を傾げる。ただの音でしかなかったそれに、確かな意思を感じ取ったのだ。


 しゃんしゃんしゃらん、とけたたましい嘆き。急に鮮明に、それは確かな言語・・としてせつなの脳に届いた。


「胸?」


 レンナルトの命令に従って小さな吹雪を纏う雪精たちが、さりげなく支配者への軌道を空けているのに気づく。目を細め、右足を前に出してもう片方の足の裏で地面を蹴って跳んだ。雪精の気を己の力に巻き込みながら加速して、矢のように真っ直ぐと男に向かって。


 次の瞬間には、目が追いついていない間抜けな顔を下から視界の端に見上げ、本当は触れたくもないのを堪えて男の懐に手を当てる。微弱な電流に触れたような刺激を受けて、内臓を引っ掻き回されたような感覚に吐き気が込み上げるが、手のひらの先から聞こえる『声』に服ごとソレをしっかりと掴み、引き抜いた。同時に後退してレンナルトから距離を置く。


 服を引き千切られ、ぽっかりと空いた胸元から素肌を晒し、レンナルトは血走った目で「返せ!」と叫ぶ。


 小さな手のひらに収まる小瓶の中には、萎れた蕾のような白い塊がぎゅうぎゅうと押し込められていた。

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