フウィートゥルヴ(2)
風は少し和らぎ、鳥の羽ほどある雪が降り積り、城の一階は完全に埋もれていた。馬車が並列できるほど広々としていた正面入り口が今では身の丈を超える厚い雪壁で狭められ、正門まで繋いだ細い一本道を両側から圧迫している。
雪解けのない土地に暮らす人々は焦らず、日中の間に集まり、慣れた手つきで雪をかく。降っていても気にしないで出入り口を重点的に、せっせと作業する。
自分なら、片手で一瞬で終わらせられる。けれど、とせつなは上げかけた右手を静かに体の横に戻した。
雪がかからないよう屋根の下、雪壁に近い隅っこに佇む彼女はいつもの着物姿ではなかった。刺繍の入ったワンピースで首には色鮮やかな雪結晶のペンダント。今身につけているのは全て他人が用意した物だ。
外に出るべきではない薄着だが、よく教育されている使用人たちは主の客である少女に不審な目を向けることもなく己の仕事に集中している。
手伝うわけでもなく、ただ眺めているだけの状態に罪悪感が湧くけれど、せつなが雪かき道具に触れようとするだけで慌てて、強めの口調で止めにくるので、邪魔にならないよう隅で大人しくするしかなかった。
停滞しているような分厚い灰色の空模様からして、もしかしたら二階まで埋まるかもしれない。必要な場所は除けているとはいえ、積み上がった雪はすでに平屋でも建てられそうなほどあった。ヘルでもこの量の降雪が途切れることなく続くのは久しぶりらしい。
この吹雪をヴィルヘルムたちはせつなが起こしたものと考えていたことに、彼女は呆れた。
天候を操るなど、その辺の雪を操るのとはわけが違う。己の体力ではそんなことまでできるはずが――と途中まで考えて、
過大評価されていることを認識して、それでもヴィルヘルムが「力を使え」などと一切言わないことにほっとした。せつなが普通の服を纏うようになっても何も訊かずありがたかった。そこまで気にかけていないだけかもしれない可能性は、とりあえず見ないフリをする。
長時間上着も着ずに外気に晒されているせつなを気遣う様子がちらほらと見えてきた。無駄な不安を抱かせるのもよくないと思い、中に戻ろうとしたそのとき、
――しゃらん
背後の雪壁に亀裂が入る。
「え?」
しっかりと押し固めていたはずのそれがまさか突然崩れるなんて、その場にいた誰も予想しておらず、崩れた雪に小さな少女が頭から呑み込まれるまで誰も反応することができなかった。
「――大変だっ!!」
「大丈夫ですか!?」
「おいっ、手を貸せ! 急げ!」
慌てて使用人たちは雪を掻き分ける。
顔に被っていた雪がどかされ、頭だけ雪の塊から突き出した状態でせつなは瞬く。必死に雪を掻き続ける使用人たちを見回し、ふいに見上げた先に、二階の窓からこちらを見下ろしているレンナルトに気づく。睨み合って、先に向こうが視線を逸らして窓から離れたのを見届けて、得意げに鼻を鳴らしたところで埋まっていた体が掘り出された。
普通の服だったため、すっかり濡れてしまった。着てる方は、ちょっと動きづらくなったと軽く考えていたが、使用人たちの顔は真っ青だ。
「早くっ誰か
「ああなんてことだこんなに冷えて。お嬢様早く中へっ」
「あ、いや大丈夫です。そんな慌てなくてもぉおおお!?」
メイドに抱え上げられ運ばれて、サウナに連れ込まれそうになったところでせつなは手足を暴れさせ、柱にしがみついて必死に抵抗した。熱気の中に誘おうとするメイドたちの手の恐ろしさに城中に轟くほどの叫び声が上がる。
陽の光を一切通さない厚い雲が空を覆っている。いっときはやわらいだ吹雪がその分を取り戻すように激しくなり、除雪作業も追いつかず街は瞬く間に雪に浸かった。
「ダメだなこりゃ。二階から出た方が早い」
雪だるまになりかけた父親が帰宅したとき、少女は二階の窓から雪の湖と化した街を見下ろしていた。ヘルのこんな光景を見るのは初めてだ。両親も、祖父母もこんなことは今までになかったと言う。狼狽えている大人たちのことなど気にせず、少女は呑気にこの雪の上でどうやって遊ぶのか考えていた。
ふわふわと、雪玉が浮いている。
少女は一瞬、自分が見たモノが理解できなかった。よく自分で作る固い雪玉と違い、降りてくる雪がそのまま丸まったような、柔らかそうな塊が街中をふわふわと漂っている。少し高くなった地面に触れないていどに飛んでいて、しかし下には雪玉を転がしたような窪んだ跡がついていく。雪玉の大きさは変わることなく、ふわふわと軽やかに埋もれてしまった道を辿るように進む。
あれは!
部屋を飛び出し、一階にいた両親のもとに走った。
「おかあさん! おとうさん! フウィートゥルヴだよ! フウィートゥルヴがいるよ!」
興奮した様子で服を掴んでくる娘の姿に両親は戸惑いながら、引っ張られるままに二階に駆け上がった。そして部屋から見た光景に口をあんぐりと開ける。
雪玉は一つではなかった。二つ、三つ、と街角から姿を表した五つで群れになって道を作っている。それは、ニフルヘイムの民なら誰もが知る
同じように目撃したらしい他の住民たちが二階の窓から外に出る。
気づけばあれほど激しく吹雪いていたのが、風は静まり雪は止んでいた。
親子も外に出て、雪精の作った道を辿る。
跡は教会の方に向かって伸びていた。歩いているうちに他の通りから来る住民たちと合流し、町の中心である広場に多くの人々が集まる。フウィートゥルヴの姿はなく、教会の前には氷で作られた仮設舞台があった。その上に青年が立っていた。金属の装飾の付いた整った身なり、輝く銀髪と透き通るような白銀の瞳。それが誰かは問わずともわかる。
「レンナルト様?」
「ニフルヘイムの民よ。今ここに、領主交代を宣言する」
少し前から町に流れていた噂。真偽はわからず信憑性は低かった。けれど今、噂の的の片割れが堂々とそれを口にしたことで民衆はざわつく。
「ヴィルヘルムがこのヘルを繁栄させたことは確かだ。だが、奴はその代わりに我々が重んじてきた伝統を蔑ろにし、偉大なる王より受け継いできた静謐を破壊したのだ! 今のヘルを見よ! 我が王が愛した安寧は無く、安易に踏み込んだ雑踏によって美しき我らの大地が踏み荒らされている様を!」
確かに近年、ヘルの様相は変わった。静かで閉ざされていた氷の世界は、外から吹き込んだ風によって賑わいを得た。レンナルトが言う王、祖王は、何よりも静けさを好み、この地に根を下ろしたという。その思想を受け継ぎ、慎ましく暮らしていた民。特に老人からすると、それは確かに伝統を壊したと言って過言ではない劇的な変化である。
しかしそれを悪いことだとは思わない民は、レンナルトの演説に戸惑い、隣人と顔を見合わせる。正直なところ、前領主の実子とはいえあまり活躍を聞かないレンナルトよりも、きちんと統治して力量を示してきたヴィルヘルムが領主のままでいるのを望むのがほとんどだ。
その考えを覆すほどの力はレンナルトの言葉にはなく、もう一人の当事者である領主がいない時点で、民はこれを妄言ととらえた。
「証明しよう。私が、私こそが、
レンナルトが右腕を上げると、ふわりふわりと物陰からフウィートゥルヴが現れた。呼び出した主の周りを浮遊して、白いヴェールの光を放ちながら踊り出す。雪が舞い上がり、彼の背後に教会を超えるほどの巨大な氷の柱が一瞬で聳え立つ。
人々は目を見張った。そんな馬鹿なと誰かが声を上げる。
銀の髪を靡かせ、白い雪精たちを従えるその姿はまさに、まさに————
「あぁ……ああッ」
民は自然と膝をついた。手を合わせ、かの人を仰ぐ。
再びレンナルトが腕を振ると、民を囲むように広場の周りに五つの氷の柱が建った。合わせて六本になった柱同士は細く伸びた氷で繋がり、その糸は屋根から屋根へと伝って町の空を覆った。
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