氷城の領主(4)
「観光ですか。それではとっておきの案内人を呼んできましょう」
支度が済みましたらお越しください、と言い残してラルフは颯爽と立ち去った。
支度も何も、無一文なので持って行く物も特にないので部屋には戻らず真っ直ぐとエントランスホールへ向かう。
途中道を間違えながらもせつなが玄関に辿り着き、そう待つこともなくラルフは現れた。
銀髪の青年と共に。
せつなはぱちくりと瞬きする。この不服そうなヴィルヘルムがまさか案内人だろうか。
そのまさかだった。
「仕事で忙しいんじゃ……」
「大丈夫ですよ。そろそろ旦那様にも息抜きしていただこうと思っていましたから」
ヴィルヘルムは物言いたげにラルフを見るが、諦めたようにため息をつく。
「行くのはいいが、目立たないようにしろ」
「うん、わかった」
ヴィルヘルムは毛皮の帽子を深く被り、首にマフラーを巻いてコートを着込んでいる。ヘルに来るまでの防寒具に比べると軽めだが、特徴的な銀髪が隠れてしまい人混みに紛れたら見失いそうだ。
それじゃあ行こう、と外へ向かおうとするせつなの頭をヴィルヘルムが掴む。
「わっ、何!?」
「目立つなと言っただろう。コートはどうした」
着物のままでかまわないと思っていたせつなは、その格好が人目を引いていたことをすっかり忘れていた。
「うーん、でもこの上に着ると帯に引っかかるんだよね……」
それでも着崩れしない強固な着物だが、違和感は付き纏う。
「その服ごと着替えればいいだろ」
「ええ……」
最初は戸惑いもあったが、なんだかんだでこの格好が一番落ち着くし、一度部屋に戻って着替えるのも正直面倒だ。
ん? ちょっと待って。そういえばこれも私の力が具象化してるだけで……形、変えられないかな。
目を閉じて集中する。己が纏う力を感じ、掴み、引き寄せる。
少女の体から発せられる冷気の渦にヴィルヘルムは身構えた。
「——どうだ!」
強風が下から上へと全身を吹き抜けると、その装いは着物から全く別物へと変化していた。
「…………」
「……ふっ」
無言のヴィルヘルムの後ろで、ラルフが耐えきれず吹き出した。咄嗟に口元を覆うが、目元と震える肩が隠せていない。
何かおかしいだろうかと自身を見下ろして、せつなは黙り込む。帽子がズレて前髪が目にかかった。帽子を手で押し上げながら、せつなは目の前の人物と自分の格好を見比べて、頬を染めて唇を噛み、何か言われる前に自ら発言する。
「間違えただけだから!」
服を変えることは成功したが、それはヴィルヘルムの格好を白くしてリサイズした物で、意図せずペアルックのようになってしまって羞恥心が込み上げる。しかもどうやら
おそらく想像力が足りなかった。氷像作りで掴んだコツだが、何かを作ろうとするとき、あやふやなイメージではただの塊にしかならない。せめて『うさぎ』とか『コート』と方向性を決める必要がある。
ただ、雪や氷ならこれで十分なのだが『着物』という形で具象化しているコレを操作するのは思ったよりも難しい。せつなが考えたわけでもなく、最初っからこの形なのは、もしかしたら「雪女は白い着物を着ている」という固定概念が影響しているのではないだろうか。一度固定された物を変えるには、もっと明確なイメージが必要になる。だから目の前の実物を無意識に真似てしまったのだろう。
「普通に着替えた方が早いんじゃないか」
「大丈夫、今度こそ!」
深呼吸して、思い描く。
意地でも成功させてやると気合を入れて衣を変化させる。
身につけたことがある物を再現するのが一番簡単だ。制服、私服。しかしせつなのそれはこの国の人から見れば着物と同じ風変わりな物。目立つなという要求に適さない。この土地に馴染む服、となれば思いつくのは一着。
村で貰った厚手のコート、帽子、ブーツ。中身は薄手のワンピースだが、防寒に拘る必要はないので、見た目が整っていれば問題ないだろう。
真っ白だがようやく相応しい姿になったせつなにようやくヴィルヘルムは頷いた。
屋敷を出た二人は坂の下まで馬車でくだり、賑やかな通りの近くからは歩いて向かう。
滑らかな氷の上に温かみのある木造や石壁の建物。人の出入りが激しく、扉が開く度に穏やかな空気が吹き出て、通りがじんわりと暖かい。どうやらここは商店街のようだ。歩きやすくするために脇へ寄せ集められた雪の中では子ども達が遊んでいた。
食べ物屋から雑貨屋まで、蝶のようにふらふらと歩き回るせつなに文句も言わずヴィルヘルムはついていく。むしろヴィルヘルムの方が積極的に店の者と言葉を交え、品物を検分したりと熱心であった。
道の一角で子どもが集まっていてるのが気になって見にいく。
子どもたちが見つめる先には男が立っていた。傍らに鉄の壺を置き、そこに差し込んでいた棒を持ち上げると棒の先には透明感のあるとろりと柔らかな蜜のような物がくっ付いている。長く伸びるそれをくるくると棒に巻き付けて壺から切り離し、棒の先で丸まったそれを指で摘むなどして形を変えていく。壺から出されたときよりも固くなりながら、見る見るうちにウサギへと姿を変えた。わあ、と上がる歓声の中、男が何か唱えると指先に火が点いた。
それまで指の動きに見惚れていたせつなは、驚いてヴィルヘルムの服を掴む。ヴィルヘルムが横目に見下ろしても、硬直して動かない。
火に炙られ、男の手にあったウサギはまるでガラスのように透き通った物になった。棒から切り離し、それを銅貨を払った少女に手渡す。
少女は嬉しそうに手のひらに乗せて眺めていたが、隣にいた少年が手を伸ばそうとすると慌てて口に放り込んだ。途端、顔が綻ぶ。
「……ここにも、飴細工ってあるんだ」
縁日の露店で見かけた物によく似たそれに郷愁から呟いたせつなは、自分が縋りついていたものに気づいて目を丸くして手を離した。そして何事もなかったように問いかける。
「あの人、指から火が出たのって、もしかして魔法?」
「そうだが」
「おー!」
実際の魔法を目にして感動するせつなをヴィルヘルムはうろんな目を向ける。
「お前、自分がしたことを忘れたのか」
「え? ……ああ」
ヴィルヘルムの視線が全身に満遍なく流され、その意味を理解する。
確かに、変化させたこの服も、氷雪を操るのも、彼からすれば魔法のようなものなのだろう。しかしせつなの認識は違い、これが魔法と言われると首を傾げたくなる。
「確かにお前のは魔法ではないが」
「……私声に出していた?」
「何か考えてたのか」
「違うならいいや。なんでもない」
ヴィルヘルムからしても魔法ではないなら、単純に不思議な力を行使したことを言っているのだろう。
彼からすれば魔法もせつなの力も大差なく、自分も不可思議な存在になっているとしても、幼い頃に憧れた魔法というファンタジーが実在することに感動せずにはいられないのだ。
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