氷城の領主(3)

「うーん……暇だ」


 真ん中に両腕を広げて寝転んでも、まだ左右に一人ずつ入れそうなほど余裕のあるベッド。人目がないからと、寝間着ワンピースの裾が捲れ上がるのも気にせず、素足でぽす、ぽす、とゆったりとしたテンポでばた脚をする。


 城に到着してから一日経っていた。


 手のひらから生まれた雪うさぎがぽとりとシーツの上でひっくり返る。


 床には足の踏み場もないほどに氷雪の小動物たちで埋め尽くされていた。溶けて絨毯を濡らす前にと、両手を打ち鳴らすと一斉に砕けて、窓も開けていないのに起きた風が跡形も残さずさらいせつなのもとで収束する。


 ヘルに来てから調子がいい。理由は明白。町全体に行き渡っている力のおかげだ。それが何かはわからないが、そこにあるだけでせつなに絶大な効果をもたらしている。


 突然芽生えたこの力は、自身の体力に直結していると思われる。使えば疲れるし、疲れているときには大したことはできない。渓谷で橋を作ったときは、全力疾走したように体が重く、痺れたような感じでしばらく指を動かすのも億劫だった。


 休憩すれば疲れは取れ、体力は戻る。けどこの町では休む必要がない。


 実験として氷像を作った。作っては壊し、作っては壊し、限界を知るために繰り返して結果、疲れる前に飽きた。


 体力を消費するそばから回復していくような。それが城に集約している力の影響だとすぐに気づいた。


 さらには美味しい食事。なにかと世話をやいていくれるラルフやメイド。快適な環境、であるけれど。満たされているのは主に肉体面。精神的には消耗中。簡単に言えば、せつなは退屈していた。


 いつもであれば授業を受けている頃だろう。暇つぶしに最適なスマホもない。やることがないというのは、無駄に人を堕落させる。


 ベッドの上でぼーっとしていたせつなは、これではいけないと起き上がる。


「そうだ探検しよう」


 ワンピースを脱ぐと同時に着物姿に変化し着替えて、せつなは意気揚々と部屋を出た。


 少なくとも数十人以上の使用人がいるはずだが、城が広いせいか誰ともすれ違わない。


 廊下の窓から見える凍てついた大きな池と白く咲き誇る樹氷の庭。


 花を咲かせる彫刻天井の広間。


 真珠のような球体が実る水晶の木。


 建物の一角から置物まで、気を引き見応えのある物が多い。


 これは、美術館として開放していいレベルでは。


 大胆にも壁全面を作った彫刻を眺める。ここは絵よりもこうした彫り物が多かった。


 まじまじと眺めているとせつなの背後からひょっこりとラルフが現れる。


「何かお探しですかお嬢様」


「いえ、ちょっと探検してました」


「呼んでくだされば、ご案内致しましたのに」


 勝手に出歩いたことは問題ないようで、少し安心する。


「単なる暇つぶしですから、わざわざ呼ぶほどのことでも」


「暇、ですか。退屈されていたとは気づかず、申し訳ありません」


「わわわ、そんな!」


 丁寧に頭を下げられて、せつなは手と頭を振りあたふたとする。


「何かお菓子でも用意しましょうか」


 ピタッと止まってせつなの目の色が明らかに変わる。


 夕食のデザートに出たケーキの味を思い出し、口の中が潤う。心惹かれる響きにつられそうになるも、寸前で我に返り口を固く結んで首を振る。昨日からほぼ食べて寝てばかりで、そろそろ体への影響が気になった。


「そういえばアーベ、じゃなかった、ヴィルヘルムはどうしてます?」


 帰ってからずっと部屋に籠って仕事をしているらしく、檻を出たあとからずっと見ていない。


「部屋にいらっしゃいますよ。お会いになりますか?」


 正直顔が見たい。しかし仕事の邪魔になったらまた冷淡な目で見下ろされるだろう。


「いいです。それより何か、本とかないですか?」


「それなら書庫がありますよ。行ってみます?」


 案内された先にあったのは、せつなが借りている客室の物より倍はある大きな扉。ラルフは取り出した鍵の束から一本摘み、鍵穴に差し込んだ。


 吹き抜けになっている二階には窓がなく、全面が書棚になっていた。一階は中央に等間隔に棚が並んでいる。縦にも横にも広く、『書庫』ではなく『図書館』と言い換えてもいいぐらいだろう。冊子だけではなく巻物や他の形態。色鮮やかな装丁の物から擦り切れて古そうな物まで。その蔵書数はいったいどれほどか。


「わぁ……」


 適当に近くの棚から一冊抜いて開いて、せつなは固まる。


 文字、読めない。


 言葉が通じていたため思いも寄らなかった。


 並ぶ文字は明らかに日本語ではない。どことなく英語に似ているような気もするが、全く思い当たらない文字も混ざっている。


「お嬢様、よろしければこちらはいかがですか」


 本を棚に戻して肩を落とす少女の困惑を見抜いたのだろうか。ラルフが差し出してきた少し厚めの本は、文字少なめで挿絵が多い物であった。


「……ありがとうございます」


 大きな挿絵の横に二、三行の文。読めないので絵だけ注視する。動物や植物が多い。ときどき関連が全くなさそうなものが隣り合わせになっていたり。物語ではないようだ。


「これ、図鑑?」


「似たような物ですね。地域ごとに安全な物や危険な物をまとめた物で、旦那様も幼少期にご愛読されていたものです」


 彼の中で自分は完全に子どもなのだ。複雑な気持ちになりながらページを捲る。


「ん?」


 見覚えのあるモノに指が止まる。


 狼の毛皮を頭から被った人の絵。背景は暗く、陰鬱に描かれていた。てっきり山賊の類だと思っていたが、図鑑に載っているということは普通の山賊ではないのだろう。


「これ」


「『ボァワズルマネス』ですね」


 そうだ、彼もそう呼んでいた。


 穏やかだったラルフの表情が強張っている。ヴィルヘルムもあのとき似たような顔をしていた。敵意とは違う、耐え難いものを見るような。


「この人たちは何なんですか?」


「呪われた人間です」


「呪い?」


「古から狼は尊い存在であり、殺すことは大罪とされています。大罪を犯した者はその亡き骸に取り憑かれ、人の世界に戻ることを許されず、死ぬまで山を彷徨う存在になるのです」


「……この毛皮、脱げないの?」


「脱げません。それは罪の証であり、許されることはありませんから」


「だから呪い……」


「困ったことに、彼らは部族化していて、最近では呪いを受け継がせているようなんです」


「ええ、なんで」


「それが彼らにとっての成人の儀なのだとか。ともかく、やっていることは山賊と変わりませんし、関わらないことをおすすめします」


 せつなも好き好んで厄介ごとに首を突っ込む気はない。


 ボァワズルマネスは滅多に人里に近づかないので、町から離れなければ遭遇することはないという。


「でも渓谷で会いましたよ?」


「聞いております。本来、いるはずはないのですが……」


 本を閉じる。


 読み物でもあればと思っていたが、文字が読めなければ暇つぶしには物足りない。城内探索に戻るべきか。


「…………あ。ラルフさん、私ちょっと出かけてきます」


「どちらへ?」


 ラルフに向けられたぱっちりと大きな瞳が夜空のように輝く。


「観光に」

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