第4話 皇帝・クヌート3世
皇帝・クヌート3世も、ユグドラシルの他の住人と同じように、息子の女の趣味を嗤っていた。
男の価値は女の数と質で決まる。これが、ヒンメルブルク王朝第15代皇帝のほとんど唯一の政治哲学であったと言って良い。彼はその信念に従って、女を抱き続け、女を抱くために体を鍛え続けた。80を超えた老帝の身体は、白髪と
強靭な肉体でもって女を乱暴に犯し続けることこそが男としての、そして皇帝としての威信を高めるのであるというクヌート皇帝の信念は、あながち間違っているとも言えない。ユグドラシルにおいて、すでに政治上の全権を委ねられている皇太子よりも皇帝が重んじられている理由の一つはおそらくそういうところにあったであろう。
元来、クヌートという男は、息子、それも20代半ばの若造に皇帝としての権限を委譲して平気でいられるような人間ではない。彼は政治の実務に何の関心も持っていなかったが、自分の権力や権威を守ることにはこの上なく意欲的であった。カールの5人の兄が退けられたのは、カールの策略が奏功したというだけではなく、皇帝がカールを5人の兄ほどに警戒していなかったからでもある。カールの無欲さは、クヌートを安心させた。大貴族連中も、カールをクヌートのようには畏れていない。欲望の解放がある種の権威を生むことを老帝はよく知っている(クヌートが愚か者であるとすれば、彼がやっていたのとは違うやり方で生まれる権威の存在を理解していないという点であろう)。カールのような欲望の希薄な男を、人は畏れないし敬いもしない。
だから、カールがどこの誰かもわからない不器量な娘に熱を上げるのを見て、皇帝は当初はこれで自分の立場も当分安泰だと考えた。しかし、時が経つにつれて、クヌートは次第に不安になっていた。
クヌートは、自分の不安が何に由来するものなのかを知らない。というより、その感情を「不安」であると認識することもできなかったかも知れない。息子が、さして美しいとも言えない娘に夢中になっている。これを息子が
皇帝は、皇太子の執務中を見計らって、カールの後宮に忍び込み、ヴェロニカを犯した。ヴェロニカははじめ、必死に抵抗した。ヴェロニカの抵抗はクヌートの情欲を加速させた。軟弱な息子の熱を上げる女が、父である自分の鍛え抜かれた肉体の前に屈服させられる。年老いた皇帝にとって、これほど自尊心をくすぐる筋書きはないだろう。ヴェロニカは、そういう老人の嗜好を満足させられる程度に抵抗し、そして、皇帝が望む通りに籠絡させられてみせた。こうなってしまえば、クヌートにとってもヴェロニカの容姿が平凡であることは大した問題ではない。
愛人の身に起こった異変に、皇太子はしばらくは気づかなかった。ただ、ヴェロニカは、ある時期から目に見えて美しくなった。身につける衣服や装飾が変わった。化粧の塗り方が変わった。ひと昔前のカールであれば、そういう女を汚らわしく感じたかもしれない。まるで、父の後宮にいる娼婦じみた女たちのようではないか、と。けれども、女を愛することを知ったカールは、女が性の匂いを漂わせるのも不快とは感じられなくなっている。ヴェロニカの変化は、自分を喜ばせるためなのだと思えば愉快でさえあった。
破局は、起こるべくして起こった。カールがヴェロニカに魅せられたのとは違う理由で、クヌートはヴェロニカに魅せられている。息子の女を寝取るほど刺激的な遊びもないだろう。クヌートは度々、カールの後宮に忍び込んでヴェロニカを抱いていた。カールがその現場に居合わせるのは、時間の問題だった。
老父に抱かれるヴェロニカは、カールが一度も見たことのない顔をしていた。遊び慣れた男は嫌いだと言って、カールの稚拙な愛撫を悦んでくれた純朴(とカールは思っていた)な娘の姿はどこにもなく、醜い老人と老人に犯されて品のない喘ぎ声を撒き散らす淫婦がいるだけだった。ヴェロニカと目があった。目があったにもかかわらず、ヴェロニカはカールを見ていなかった。
皇太子は、父を殺した。大した混乱は生じなかった。皇室内での暗殺やクーデターなど、ヒンメルブルク王朝の歴史上何度となく繰り返されてきたことである。まして、カールはすでに皇太子兼摂政として、政治の実権を握っている。クヌートが死ねばカールが即位することも決まっていたようなものだ。皇太子カールによるクヌート3世殺害が、帝国の政治体制を揺るがすと考えていた者は、この時点で1人もいなかったに違いない。
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