第21話 幕間:榎本真司、人間観察。

 僕、榎本真司にはちょっと変わった友達がいる。

 乙浦珠海という、見た目は普通、成績も普通、運動も普通、友達の多さも普通、という感じの、フツーのやつだ。

 それがどうして変わっているのかというと、そいつは「学校をわけもなくサボる」という悪癖があるのだった。


 教室の居心地が悪いってわけではない。

 朝にものすごく弱いってわけでもない。

 人間関係に何か問題があるわけでもない。


 それ以外は、乙浦はそこそこ真面目な生徒なので、先生たちも首を傾げている。


 乙浦が学校をサボって何をしているのかというと、町をふらふらとしているようだ。

 暇を持て余しているようで、僕が授業中にメッセージを送るとすぐに返信が返ってくる。

 もう学校来ればいいのに、と思うけど、それは言わない。

 なぜなら僕は空気の読めるやつだからだ。


 僕は、自分がどうやら勉強がとんとできないらしいと気付いた時から、「周りをよく見て生きていこう」と思った。

 勉強はちっともさっぱりなだけで、そんなに頭が悪いってわけじゃないと思うんだ。腹黒とか眼鏡、とか言われるし。いや、顔の問題かな。まあいいや。

 とりあえず国語だけはちょっと得意だ。あとは知らない。


 周りをよく見て生きる。

 それは、楽して生きるためのヒントをとりこぼさないためだ。

 クラスの力関係とか、先生のクセとか、恋愛話やゴシップだとか。

 一見、自分には関係のない物事を収集するのだ。

 そうすると、結構いろいろいいことがある。

 みんな、人の話が好きだし。

 色々知ってる榎本君、という美味しい立ち位置に収まって、うまいこと人に付け入る……じゃなかった。

 人と仲良くなることができる。

 人類皆友達。ともだちひゃくにんできるかな。

 勉強も運動もできないので、人間関係の甘いところをすすって生きていこうと思ったのだ。


 ……まあ、それは実のところ、真面目に勉強するより難しいかもしれない、っていうオチがつくんだけどさ。

 人生甘くねーなーほんと。

 楽して生きたいなー。


 とにかく、そんな感じで。

 僕は、「人間観察」という実益を兼ねた趣味を手に入れたのだった。


 人間観察。

 中学生がハマりやすい痛い趣味だって言われることもあるが、僕はきわめて真面目なので、全然痛くない。

 にわか人間観察者と一緒にしないでほしいね。


 いろんな人がいて、いろんな人がいるな〜と思って、これが人間の多様性か〜と思ったのは最初の方だけ。

 皆、意外と同じじゃない?

 大体みんな同じような顔してるし……。


 意外と、見られていることを意識してないやつばかりだった。

 見られていることを意識していないやつには二種類いる。

 何も考えていない「バカ」と、見られる以前に周りをちっとも見てない「ぼんやり」だ。

「ぼんやり」の方、周りの世界なんて興味がない、ってやつほど見ていると面白かった。

 だって、観察しても全然よくわからないんだから。

 宇宙人だ。


 泡井つるぎなんかはそっち側。

 でも、宇宙人の情報なんて集めたって実益にはならないので、ちょっと困った。

 誰も宇宙人のことなんて知りたくないのだ。


 人気のあいつとか、かわいいあの子とか、友達が多いヤツとか、そういう目立つやつは、「見られている」のをわかっている側で、人間観察に必要なレベルが高い。

 でも、見ていて楽しくはある。何考えてんのかな、っていうのが想像しやすいからだ。

 実際、想像したことを話しかけて答え合わせしたりとかね。

「君って実はこうこうこういうやつじゃない?」

 って言われて、正解だったら。

 ついでにそれが褒め言葉で、気付いてほしいことだったりしたら。

 人って、嬉しくなるものらしい。

 周りをよく見ると友達が増える説は、真実だった。

 労力の甲斐があったというものだ。


 ……実は乙浦は、意外と「見られている」のがなんとなく無意識でわかっている方じゃないかな、と思う。

 見られているってどういうことかというと、周りを見て、立ち位置を理解して、身の程を知って、求められた通りのほどほどをやるってことだと思う。

 ほどほど。

 たぶん、乙浦にはそれができている。

 なんか、意識的にブレーキをかけている感じがするんだよね。

 人に深入りしないっていうか。


 普通でいるって結構、難しい。

 それって、しくじらないってことだから。

 なんかいいことをして、たまに失敗して、収支プラスの印象を貰うよりも。

 当たり障りなくフラフラして、何も特徴がないのにちゃんと友達がいるってことの方が、難しいんじゃないかな。

 僕は完全に、「榎本ってちょっと変だよね」って言われることで覚えてもらう側だから。


 でも、時々乙浦は、視線を振り切って動く。

 たとえば学校をサボることだってそうだし、宇宙人な泡井について知りたがることもそう、保健室常連の一年生と仲良くしていることだってそうだ。

 そういう時の乙浦は、なんだか四苦八苦しているように見える。

 ほどほどじゃないことを、やっている。

 バカだなーとは思わないけど。

 大変そうだなー、とは思う。


 面倒なことは避けて、楽に生きていけばいいのに。

 もしかしたら乙浦は、ちょっと不器用なのかもしれない。

 そういう、ズレが面白くて、僕は乙浦を観察することが結構好きだ。

 もちろん、友達としても。




 でも、大人を見ているのはあまり楽しくない。

 それは、僕が大人を嫌いだからだと思う。


 大人っていうか、一番身近な大人──つまり、親が。だけど。


 僕の両親は先生で、つまり勉強が好きで、勉強が得意な人たちだ。

 そんなだから上の兄や姉に、熱心に教育をしていた。

 当然、僕にもだ。


 だけど、僕は勉強がさっぱりだった。

 末っ子なのもあって、「まあひとりくらいバカが生まれるよね」と言われた。

 期待は、されていない。


 だけどテストを持って返った時とか、やっかみを言われるんだ。

 期待されてないのに失望はされる。

 不公平だ。

 意味わかんないよね、本当に。


 僕が、数学で47点を取るのに、どれだけがんばったかも知らないでさ。


 大人のくせに世界が狭いんだ、と思う。

 勉強だけがすべてだと思っているんだ。

 この世にはいろんな人がいて、いろんな得意とか不得意があって、多分、多様性とか……人間観察を初めて以来「あんまりないかもしれないな、タヨーセー」と思い始める今日この頃だけど。



 つまらない大人になんてなるものか、と思う。


 僕は、確かに、優秀ではないけど


 それで負け組扱いはひどいと思わない?

 成績悪いって親は言うけどさ。

 世間的に言ったらちょっと悪いってくらいだろ。

 好きな国語は取っているし。

 ただ、好きじゃないことがちっとも頭に入ってこないだけだ。


 だから別に。

 勉強なんか、できなくたって。

 僕は僕のやり方で、小器用にやっていってやる。


 まぁ……そう思えるのは、多分。

 なんだかんだと大人のおかげなんだけどさ。


 僕は僕のことを大好きで、ちょっとナルシスト入ってんじゃないの、というくらいだけど。

 その程度には周りの大人に恵まれていたし、愛されていると思う。

 だけど……無条件に奴らを信じていられる程に、甘やかされてはいなかった。


 大人って、大人じゃないんだぜ。

 あいつら全員嘘つきだ。


 道徳の授業を受けていると、本当にそう思う。

 綺麗事を綺麗な顔で言える人間はちっとも綺麗じゃない。

 小学生のとき、思ったままに書きなさいと言われた作文を、本当に思ったまま書いたら怒られて、何度も書き直しをされて、最終的に全然ちっとも思っていないことを書かされたことを思い出す。

 僕は国語は好きだから、作文はちょっと自信があったのだ。

 でも、戦争はつらくていけなくてかなしいと思いました、ということをつらつら書いただけの、書かされた作文で花丸をもらったときに、なんかもう。

 どうでもよくなってしまった。


 大人は別に、僕に興味ないんだって、ちゃんとわかったから。


 でも真面目なフリして世渡りするぞと決めたから。

 僕はこれからも作文で、当たり障りのない丸を貰う。

 結構赤入れされるけど、漢字とか文法とかがおかしいってだけで、内容をとやかく言われたことがない。

 もう二度と、とやかく言わせたりしない。

 周りをよく見て、生きてやる。

 子供らしい子供を演じてやるのか、子供の甲斐性だ。



 泡井みたいにわかりやすくグレようとするのは、好ましいと思う。

 それで全然不良になれてない、ってあたりが宇宙人なんだけど。

 悪ぶることもなかなか難しい。

 何かになろうとか、何かをしようとすることは、全部難しいのだ。


 泡井は多分、僕よりもずっと、深刻に、大人が嫌いなんだと思う。


 ……本当に本当に、大人に嫌なことをされた子って、たまにいる。

 見ていてなんとなく、わかるんだ。

 それに気付くと、まあ僕の家族は「普通」で良かったな、と思う。


 性格が悪いので、他人の不幸を気に病んだりとかしない。

 他人のことが、どうにかできるなんて思ってない。

 僕は多分、自分にも周りにも、期待していないのだ。


 でも、乙浦はそうじゃない。

 泡井のことや、一年の茨城のこと、それにどうやら隣のクラスの学校に来ない転校生のことまで、首を突っ込んでいるみたいだ。


 普通にはできないことを、普通にできてしまう。


 いいやつだ、と思う。

 見習いたいとは思わないけど。

 ちょっぴり羨ましくなる。

 羨ましい?

 ちがうな。この気持ちはなんだろう。

 自分が持っていないものを持っている。

 それが、自分にとって欲しくないものだとしても、そのすごさはわかる……ああ、わかった。


 尊敬だ。

 僕はどうやら、乙浦を尊敬しているんだ。


 ……でも、あいつが、学校に時々来なくなったのは。

 あいつの親友が転校してからだ、ということを僕は知っている。

 自然と入ってくるだけの情報では、それ以上のことはわからない。


 何かあったんだろうな。

 と思いつつ聞けてない。

 僕は首を突っ込まない。


 何せ僕は当たり障りなく生きるのがモットーなので。

 祟りそうなものにな触らないのだ。


 泡井つるぎしかり。

 茨城小糸しかり。

 間宵硝子しかり、だ。


 乙浦は聞けばそこそこに教えてくれる。

 プライバシーを守っているのか、当たり障りのない情報ばかりだけど。

「いろいろあって」の中身を教えてくれることはないけれど。

 そのいろいろが、本当に多様性って感じなんだろうな、と思うのだ。


 だから、そうして今日も四苦八苦をしに行く乙浦を横目に、僕は思う。


 ──君はいいやつだから、大人になってもいいやつだよ。


 僕は多分無理だ。

 大人なんていないって、思ってしまったやつは、大人にはなれない。

 斜に構えた、大きな子供になるだけ。


 でもまあ、子供の方が楽しいわけだから。

 せいぜい僕は小器用にやっていこうと、不器用な乙浦を見ながら、考えるのだった。

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