四章 箱入青春
第22話 ようこそ不登校部へ
俺が部室(仮)で、泡井と話をした後のことだった。
話をしている間、部屋の前に誰かがいた気がした。
けれど扉は開かなかったし、俺が覗いた時には廊下には誰もいなかった、
あれは、茨城だったんじゃないだろうか? と思った。
勘だ。というか、茨城以外に来るわけがないし。
そうして、彼女の姿を探し、なんとなくうろうろとしていたら。
窓から、外を歩いている茨城の姿を見つけて、俺は慌てて追いかけたのだ。
追いついた時にはなんと、昏睡した茨城を抱きとめている間宵の──今ここにいるはずのない間宵の姿があった。
間宵なのだ。
そのくらいは、あるだろう。
俺がいい加減に、間宵の神出鬼没に慣れ始めていた。
ただ不思議なことに、ありえないことに。
その間宵は──俺が一瞬、間宵だとわからないほどに、なんというか……存在が希薄だった。
日陰の暗さに溶け込んでしまいそうなほどだった。
俺を見ても、『遅かったわね』と彼女は短く、抑揚なく言っただけだった。
いつもなら、『あら、乙浦くん。丁度良かったわ』とか『いいところに。困っていたところなの』とか、もう少し……柔らかくて愛想のいい喋り方をするはずなのに。
茨城の昏睡はそれなりによくあることで、よくあること並みにその危険性はわかっている……つもりだ。
そしてそれは茨城当人が一番で、その恐れ方は過剰ではないか、と何もわかっちゃいない俺には思えるほどだった。
だから茨城が一人で外に出るというのは……ほとんどありえないことで、どんなに短距離でも、そうそうあることではなかった。
『何があったのか』とはなぜか、その時の間宵には聞けなかった。
何も聞いてないのに、間宵は『私じゃないわよ』と小さく言った。
いつものように保健室へ運び、栞姉に茨城を任せる。
栞姉は、突然現れた他校の制服の間宵に動揺を見せたが何も言わなかった。
その間じっと動かなかった間宵は、話を聞きつけてやってきた、少し狼狽え気味の泡井が現れた途端。
突然、強く泡井の手首を掴んだのだ。
『あなたは、コイトの側にいなさい』と。
力強く確信に満ちて、何もかもをわかっているかのように。
間宵が呼んだ、知ってるはずのない茨城の名前は、まるで呼び慣れているあだ名のようなイントネーションだった。
そして、間宵は俺の背を押して保健室のベッドから追いやる。
「あの子が目覚める時に私たちはいない方がいいわ。多分、先生も」
「なんでだ……?」
「なんでも、よ」
間宵が栞姉を見る。
栞姉はもう、俺たちの会話で彼女が『間宵硝子』であることに気がついていた。
栞姉はもう、教師の顔だった。
「何か事情がありそうだね。わかった。目を覚ましたのを確認したら席を外すとします」
「ええ。お願いします」
そして間宵はするりと俺たちの前を通り過ぎ、一足先に保健室を出て行こうとする。
「待って、間宵さん!」
焦るように栞姉は、いや、乙浦先生は呼び止めた。
「…………ここはいつでもあなたの居場所になるつもりです」
短い時間、迷いに迷って選び取った養護教諭としての定型文を、正しい言葉を選べなかった歯がゆさを大人の顔に浮かべて言った。
言わないわけにはいかないのだ。
間宵は、学校に来れないはずの生徒だったのだから。
栞姉は間宵の味方でなければならない、味方であることを示さねばならない大人だった。
振り向いた間宵は、
「ありがとうございます、先生」
柔らかに、さらりと喉元を通り抜けてしまうような、完璧な。
なんでもない愛想笑いを見せた。
栞姉は、なにか間違ったものを見てしまったかのような。
驚きと困惑に消化不良、奥歯にものの挟まったような顔をした。
その違和感には、俺も気がついていた。
そして、栞姉のその反応を、当然のものだと思った。
だって間宵のあの顔は──学校が、嫌いな人間には作れない。
学校が嫌いだなんて考えたこともない。
憂鬱すらも楽しみの範疇に丸め込んでしまえる、学校を愛する側の顔。
あの軽やかな声は、筋金入りの不登校児のイメージからは反するものだったし、俺の知る〝支離滅裂な自称魔女〟にも出せるはずのものではなかった。
……でも、別に嘘を言っているわけじゃないような、気がした。
廊下に出た間宵を追いかける。
間宵のセーラー服は、彼女がここにいるはずのない人間であるということを主張しているかのように、景色の中で黒く浮き出ていた。
そんなはずはないのに。
間宵は、ここの生徒だ。
いちゃいけない理由なんてないのに。
俺は、なんとなく気付いていた。
──この胸のざわめきは気のせいなんかじゃない。
茨城の前にいた間宵。
泡音の前にいた間宵。
栞姉の前にいた間宵。
俺の前にいる、間宵。
その全てが違ったのだ。
表情、声、居住まい、その全て。
……短い間によく見知ったはずの彼女が、ぞっとするほど遠かった。
追いついて、問いかける。
「なあ間宵……どうかした、か?」
間宵はほんの少し目を丸くして、
「なぁに、変なの。なんにも。なんでもないわ、よ?」
暗い廊下で寒々しく、口角を上げた。
……そこにいたのはいつもの彼女、だったのだろうか。
◇
「私、帰ろうかな」
ゆらりと暗い廊下で霞んで消えてしまいそうな間宵がくっきりとそう言って俺は我に帰る。
「コイトに会いにきただけだし」
あいも変わらずの独特なイントネーション。
知り合いだったんだろう、二人は。
ひどく不思議な感覚だった。
間宵が当然のように俺の知らない顔を交友を持っている。
「いや……用事がないならさ。残らないか。茨城、すぐに目を覚ますんだろ」
帰ろうとする間宵を、引き止める。
断らないだろう、とは思った。
間宵はその気になればいつだってこの場から消えられる。
ふ、といなくなってしまえる。
それをしないというのは引き止めてもいいということだと思った。
「それもそうね」
ぼんやりと頷いて、間宵は光の当たる位置まで歩いてきた。
もう薄暗い景色の中に埋もれたりはしない。そのことにほっとする。
「まあなんだ。試験期間で随分と久々だしな。積もる話もあるだろ。いや、ないけど……」
「ええ、わかってるわ。『いつもの』ね」
時間は放課後、場所は学校。
文化祭の前夜とは違い生徒のいることが許されなくなった空間ですらない。
不登校部にあるまじきイレギュラーだ。
だけどだからこそ。『部活』をしよう。『部活』をしたい、と。
泡音の離脱が確定されお蔵入りになる計画となったからこそそう思うのだ。
成り行きと勢いだったけど、なんだかんだ俺はこうして『みんな』が揃う部活を夢見ていたのかもしれない。
青春願望とでも言えばいいんだろうかこれは。
栞姉の悪い病がいつの間にか移っていた。
あの日の言い訳が『部活』である必要はよくよく考えればなかったのだ。
口から出まかせとはいえそれなりに考えて俺は言い訳を選んだはずだった。
心のどこかで間宵と二人きり、ではなくて、いもしない仲間を求めていたんだろう。
俺といない間宵を、一人きりにしたくなかったんだろう。
そして同時に、俺もどうやら相当につまらない寂しがりだったようだ。
……部活はさ、もう叶わないけど。
俺たちは四人とも友達だったわけじゃないか。
難しいかもしれないけど、いつかみんなでどこかに遊びに行けたらいいと思うんだ。
間宵に学校に来て欲しいとは言わないと決めているけど、こうして放課後に揃ったことを喜ぶくらいのことは許されるだろう。
俺は扉を引く。
「ようこそ不登校部へ」
間宵は俺の気持ちを見透かしたように、ちいさく呆れ笑った。
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