第23話 水族館へ
その日は、曇り空の日曜日だった。
快晴よりもうっすらとした曇りのほうが日曜日にふさわしいと思うのは俺だけだろうか。
曇りの日特有の空気の柔らかさとか日差しの曖昧さとか、なのに景色は光が強くない分、かえってよくみえるあたりが、なんというか最高になんでもない日曜日って感じがした。
時計の針を眺める。
そろそろだ。
現在地はとある市内の水族館前。
なんでもない日曜日和の今日だけど、これから「いかにもな日曜日」を送ろうとしている。
一台の車が目の前で止まった。
降りてきたのは茨城だ。
運転席の親御さんに挨拶をする。
しばらくお預かりします。
「おはようございます」
暗い赤色のワンピースを来た茨城は上機嫌だった。
首からカメラを提げている。
「乙浦先輩、さては一番乗りでしょう。相変わらず地味に几帳面ですね。何分前に来てたんです?」
「いや、俺は二番目。着いたのは今から十分前」
「じゃあ一番は……」
隣の泡井を見た。
ジーンズに無地のTシャツという三秒で選んだような格好だけど、背の高い彼女が着ると妙に様になっていた。
「一時間前についてた」
泡井は無表情で三本指を立てる。
多分ピースサインを作ろうとしたんだろう。
「え、ずっと待ってたんですか……?」
得意げな顔で頷いて言った。
「迷ったけど、かんぺき」
「うそ、迷ったんですか!? 何時に家を出たんです!?」
……現地集合じゃなくってやっぱり駅から待ち合わせて行けばよかったかな。
いや、泡井が『ひとりで電車に乗る練習をしたい』と言ったからなんだけど。
そして時間ぴったり。
時計の秒針が一番上を指したところで間宵が待ち合わせ場所に現れた。
大きく手を振りながら駆けてくる。
だからヒールで走るなって。
「おまたせ、いい天気ね!」
「硝子さん、曇りですよ」
「? いい天気じゃない」
ああ、いい曇りだ。
間宵がどうやら俺と同じ感想を抱いているようでなんだかちょっとうれしくなる。
前、学校で会った時はちょっと様子がおかしかったから心配していたけど、どうやら杞憂だったみたいだ。
間宵はこうでなくっちゃ。
「日曜日なのにいつもと同じ格好なんだな」
間宵はむっとした。
「ちがうわ。よく見て。ほら、タイの結び方が違うでしょ」
青いスカーフは形の整った蝶々結びになっている。
確かに印象は華やかになってるけど。
他に違いを挙げるとすれば、今日ばかりは小さな鞄を持っていることか。
「あとスカートがちょっと短い!」
「わかるかんなもん」
ことの始まりは俺が四人分の水族館のチケットを手に入れたことだった。
母親が職場の付き合いで手に入れたものをぽいっと寄越され、ありがたく頂戴したという経緯だ。
四人分、別に仲のいいクラスメイトと行ってもよかったのだけれど、真っ先に顔が浮かんだのはこの四人だった。
それに、俺は茨城と泡井の会話を盗み聞きしていたし。
その中で水族館という言葉が出ていたことを覚えていた。
というわけでお誘いだ。
切り出した時には丁度よく、放課後にふらりと元部室予定地にあらわれた間宵もいた。
──茨城と間宵が校門前で鉢合わせをしていたあの日以来。
いつの間にか、間宵はそんなふうに放課後の学校にくるようになっていた。
何か、心境の変化があったのだろう。
俺から聞くことはないけれど、それが間宵にとっていいことだといい。
……反対に、俺は最近あんまり学校をさぼらなくなってきたけれど。
元々、理由もないサボりだったが一度間宵と会うことを目的にしてしまい、その間宵が自分から、放課後とはいえ来るようになったのだ。
一度明白にしてしまった目的が達成されてしまい、以後マンネリである。
まあ、泡井は美術部に入ったから部屋に集まるのは基本三人なんだけど。
美術部というのは毎日ある部活ではないらしく、結構な頻度で泡井も顔を出していた。
今日の水族館に、茨城は来れないかと思ったけれど。
送迎付きという形でなんとか許可が出たようだ。
というか、友達と遊びに行くというイベントにご両親は大喜びで、むしろ意気揚々と送り出されたそうなのだが。
水族館は、日曜なのにそれほど混んではいなかった。
子供連れの姿は目立つが、イルカショーで難なくいい席を取れたくらいだ。
「なんだかんだ久しぶりですよ。随分前に行ったところはイルカショー、なかったですし」
足を揺らしながら茨城が言う。
「最初はイルカショーから、ってなんだか贅沢じゃない?」
「なんというか、ラーメンを頼んで一番初めにチャーシューを食べるみたいな感じだ」
「メンマたべたい」
「水族館っぽいラーメンって何味かしら」
「味噌だろ」
「しお……?」
「なぜラーメンの話になってるんですか」
残念ながらお昼ご飯は食べてからの集合だったのでラーメンはお預けである。またの機会だ。
さて、ショーが始まれば直前までラーメンの話をしたことも忘れて見入った。
いやぁ、最後に見に行った記憶もなかったけどすごい迫力だった。
イルカってあんなに大きかったんだな。
余韻にほくほくとしながら館をひとつずつ巡っていく。
この水族館は順路がかっちりと決まっているわけではない。
生き物やテーマごとに小さな館に分かれており、行き来しようと思えばいくらでも出来た。
ラッコにペンギン、アザラシと、魚そっちのけの順番で進んでいく。
一通りぐるりと回ったあたりで売店を見つけた。
「ソフトクリーム!」
間宵がはしゃいだ様子で指さして、空気はすっかり休憩モードに変わった。
やはり冷たいものに目がないらしい。
初対面で俺にアイスをたかっただけはある。
カラフルなソフトクリームの写真がメニュー板に並んでいる。
ブルーベリーとかパイナップルとかほうじ茶味とか。
だが、こういうときはオーソドックスなものを頼むに限る。
泡井が落としそうだったのを慌てて支えて、逆に俺が落としそうになったりした。
茨城はひとり大人っぽくカップでの注文だった。
日陰のベンチに座り、小さなスプーンで優雅に食べている。
間宵はいつの間にか二個目を買って食べていた。
青色の、なんともサイケデリックなソフトクリームだった。
べ、と間宵が舌を出す。やっぱりサイケだった。
包み紙をきっちりと畳んで、休憩の雑談もほどほどに落ち着いたころ。
必然、これからどうしようという話になる。
広げたマップを覗き込む。
結構ハイペースで回ってしまったみたいだ。
「乙浦。もういちど、ゆっくりみたいところがある」
泡井が小さく挙手した。
「ペンギン」
鞄からはスケッチブックがはみ出していた。
なるほどそのためか。
確かにペンギンってなんだか表情豊かな感じがして、描きごたえがありそうな気がする。
「あたしも行きたいです!」
茨城が大きく手を挙げる。
「……退屈じゃない?」
「つるぎさんはあたしのことなんて考えなくていいんです。あたしも別につるぎさんに気を割いたりはしませんし。あたしはあたしで、勝手にやっていますので」
つん、と澄まし顔で小さなカメラを抱えながら茨城は言った。
「ペンギン、あたしも好きなんです。丸っこくてかわいいじゃないですか。つるぎさんはどんなところが好きなんです?」
「え……飛べないところ?」
「……はあ」
「ダチョウとかもかわいい」
「ちょっとよくわかんないです」
苦笑する。
「わかんないですけど。動物園も行きましょう。いつか」
というわけだ。
「一旦分かれて自由行動のち集合ということにしようか」
そして茨城は泡井の腕を取り、さっさと行ってしまった。
「俺たちもどっか行くか?」
ペンギンのところへ行ってもいいんだけど。
「小さいけど遊園地みたいなブースもあったぞ」
子供向けっぽいから、たいしたものはないだろうけど。
間宵はメリーゴーランドとか似合いそうだ。
コーンをちまちまと囓りながら間宵は思案する。
「私、大きな水槽が好き」
「じゃあそっちに行くか。ええと、どっちだっけ」
二人で一枚の地図を広げた。
「普通に本館だったな」
「地図、見るまでもなかったわね」
顔を見合わせて笑った。
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