第13話 文化祭に向けて

  絵の前で動かなくなった泡井からそっと離れてちょっと前の部屋をうろうろとしていたらいつの間にか間宵が、どうやら奥から逆行していたらしく社交性のかけらもない交流を泡井となぜか深めていたのを目撃してしまった時の俺の気持ちを答えよ。


 ……いや、だから、先についていたのなら連絡しろよ。

 しないか。間宵だもんな。間宵はそういうことをしない。


 直感でふらつく間宵にはホウレンソウが頭を抱えるほどに欠けていた。


 まあ泡井の態度はほんの少し柔らかかったし、致命的に噛み合わなかったわけではないようだからいいや。

 ……少し聞こえた会話は全然噛み合ってないような気がしたけど。

 なんだったんだろうねあれ。




 学校を抜け出して美術館に行った、あれから。

 しばらくの日にちが経ったが、俺は泡井とは話をしていない。


 教室での彼女は近寄りがたいままだったし、俺も授業中にわざわざ美術室に行くほどではない。

 そんなの目立つし。

 俺、授業中に抜け出したことはないのだ。


 そんなわけで泡井とはなんとなく目が合った時に目線で会釈するくらいだった。



 俺は泡井のこと、結構好感度高めで見てるんだけどそれとこれとは別で、関わり方がよくわからないのは変わらなかった。


 難しいよな。

 間宵みたいに一方的で強引なやつはツッコミ入れるだけでなんとかなるんだけど。



 つらつらふわふわとそんなことを曖昧に考えて、机に突っ伏してやり過ごそうとしていた半端に眠たい六限目のホームルーム。

 絶妙に眠れなくて、仕方なく話を耳に入れる。


「あ、そう言えばもうすぐ文化祭か」

「ホームルームで爆睡する協調性のなさ」


 後ろの席から榎本が言った。

 爆睡してない。

 現にこうやって大事な話題になってきたから起きたじゃないか。



 文化祭といっても、うちの中学の文化祭はしょぼい。

 中学校がどこでもそうなのかは知らないけれど、文化部と保護者のためだけにあるような行事だ。

 店を出したり企画をしたりするわけでもなく、展示は授業でやったもの。

 ていうか体育館に集められるから生徒はそもそも自由に出歩けない。

 祭とは?


 漫画みたいな華やかな文化祭は高校限定なのか、と知った時はそれなりに絶望したものだったけど、楽なので悪くない。

 授業ないし。

 代休もあるし。


 じゃあなんの話をわざわざホームルームでしているのかって要するに肉体労働、力仕事についてだ。


 文化部でない生徒にとって文化祭は、やけに雑用に駆り出されるだけの行事である。

 で、その前日雑用の振り分けの話だったんだけど。

 ごそっと雑に教室の席の廊下側半分の人員が駆り出されることになった。

 

 窓際の俺は当番回避だ。

 やったぜ早く帰れる。

 まあ、どうせ後片付けで当番が回ってくるのでさほど変わりはしない。


 部活サイドで準備があるやつは代わりを誰かに頼んでおけ、みたいな友達が少ない生徒のことをこれっぽっちも考えないセリフを吐いて担任は話を打ち切った。


 俺はわりと普通に卑怯者なのでさほど仲良くもないやつに代わりを頼まれたりしないうちにいそいそと帰ろうとする。

 まあ男子は(準備の盛大に必要な)文化部率が高くないから大丈夫だろう。



 教室を抜け出した後は気持ちのんびりと靴箱に向かう。

 そして割と見慣れてしまった紫色のパーカー、いつかのように突っ立っている泡井の姿を見つけた。


 デジャブか。

 いや、実際に二回目だ。

 

「ん、どうした」

「……また、だけど。頼みがある」


 泡井は、今度は一緒に帰ろうとは言わなかった。







 とりあえず話は靴箱から離れたひとけのない階段側へ。


「絵を描こうと思う」

「……ああ、文化祭に向けて、か?」

「そう」

「え、出すの? 今週の土曜だぞ?」


 そんな急に宣言して、間に合うのか。


「…………がんばる。油絵は無理、だけど」

「そうかよくわかんないけど……がんばれ。で、俺に言ったのはなんで?」

「前日の準備、当番。乙浦に代わってほしい」


 なるほど。

 そういや泡井は廊下側の席、当番の半分だった。


 しかしおそらく最初から泡井のことは、誰も戦力認識してないと思うんだけどな。

 苦笑する。

 半端に不真面目になりきれないのは大変だということは知っている。

 

「ああ、いいよ。放課後しか時間は使えないもんな」

「ありがとう」

「代わりに片付けの方の当番、よろしくな」

「覚えておく」


 話は終わった、と踵を返す。

 ふと、考えて俺は呼び止めた。


「なあ、美術室とか、教室で描くのか。やりづらいだろ」


 泡井は答えなかったけど、その沈黙はどうやら否定じゃない。


「よかったら、いい場所があるんだけど」







「栞姉。となりの部屋、使わせくれ」

「はいはいどうぞ」


 保健室の前に上履きが一つもなかったため、扉から顔を覗かせ一声入れる。

 何か書類を読んでいるらしき栞姉は、なおざりな許可を出して俺をあしらった。


 さて、隣の部屋だ。


「ここは……」

「部室予定地」


 保健室の隣にあるのは、物置と化した空き教室だ。

 主にトイレットペーパーとかアルファ米とかのダンボールが積まれている。


 部室予定地、というのは半分冗談だけど。

 体調が悪いわけでもないのに保健室にたむろしているわけにもいかないしというわけで、たまに茨城と使ったりしている部屋だ。

 試験前の勉強会的なものに。


 狭っ苦しいのがいい感じに落ち着けて俺は好きだ。

 学校なのに学校じゃないというか、ここだけ土曜日の誰もいない学校みたいな雰囲気をずっと醸し出している。


「いいだろ、ここ」

「……いいね。窓の外、木で見えなくなってるのが、とてもいい」


 机は随分と年季が入ったのがあるんだが、椅子はピカピカのパイプ椅子なのでアンバランスさが絶妙だった。


 泡井が隅の方に机を移動するのを手伝うと、不思議そうな顔をした。


「帰るんじゃなかったの」

「ん、ああ。泡井、一人の方がいいよな」


 今日は母さんが早く帰ってくる日だから特に用事はなかったし、なんとなく流れで俺も残るような気がしていたけど。

 別に栞姉にふわっと説明して、俺だけ帰ってもよかったんだった。


「いてもいいけど」


 ……意外だ。


「部室、なんでしょ。部長がいちゃいけない理由はない」

「ん。じゃあ、残るか。邪魔にならないよう本でも読んでるわ」

「わたし、荷物とってくる」


 そうか、これ。

 広義で部活なんだ。


 泡井を見送ってなんとなく不思議な感覚のまま、俺はパイプ椅子を開かず段ボール箱に腰掛けた。





 俺と泡井は部屋の端っこと端っこでお互い無言のままそれぞれのやることをやっていた。


 泡井が立てるしゃかしゃかとした独特の鉛筆音と、俺がページをめくる音と呼吸音、遠い校庭のざわめきと管楽器の音色、時々保健室から聞こえる話し声と廊下を走る足音だけが聞こえていた。

 結構あるもんだ、環境音。


 ホームルームで寝損なったことを思い出した途端、眠気で本の内容が頭に入ってこなくなる。

 あっつまんないわこの本。


 そんな感じでうつらうつらしたり、スマホに入れていたパズルゲームをしたり、思い出したように結構先に提出する課題に手をつけてみたりしいているうちに、そろそろチャイムがなりそうな時間になっていた。


 泡井が荷物をまとめ出す。

 絵の具は今日は使ってないみたいで、パーカーは脱いでいなかった。


「終わり?」

「帰る」

「進んだか」

「まあまあ」


「帰る」と報告すると栞姉は、泡井の姿に気がついてちょっと驚いた顔をし、何も言わずに「早く帰れ」と手を振った。


「そういやどうして、紫なんだ」

「パーカー?」

「うん」

「あれ……虫とかカエルとか……」

「警告色?」

「そうそれ」

「全然わからん」

「そう」

「わからんけど納得した」

「……そう」


 なんで俺が納得しているのかわからない、とでも泡井は言いたげだった。


 会話はそれだけ、あとはやっぱりだんまりのまま分かれ道に差し掛かる。

 夜は随分と早まってきた。


「それじゃあな」

「……また明日」


 泡井は大きな手を小さく振った。


 悪くない一日だった、と思った。

 文化祭までに、間に合うといいな。

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