第5話 小さな魔女の真実


 欠伸を噛み殺す。

 空は曇りで見事に白色な朝の通学路。


 いつの間にかめっきりと肌寒くなった。

 クラスにはまだ半袖のやつとかいるが、どちらかというと寒がり寄りの俺には信じられない。



 そういえばもう、あのいまいちどこだかもよく思い出せない公園で間宵に出会ってからひと月くらい経ったんじゃあないだろうか。


 連絡先を手に入れて、しかし特に何か話したというわけでもない。


 使い慣れないEメールはなんだか座りが悪かったし絶妙に気恥ずかしかった。

 なんだかひどく特別なものな気がしたのだ。真白い便箋を用意して、しかし拝啓のケイを思い出せずに手が止まる。そんな感じ。


 だから使うのは端的に、間宵に会う日、学校に行かないと決めた日だけ。


 メールを送ればいつだって彼女は飛ぶようにきた。





 不思議なくらい、当然のように澄ました顔をして現れるけど、多分俺と同じようになんだかんだ普通に学校に行っているのだ。

 荷物もないのに靴もおかしいのに、早朝の彼女はいかにも登校途中でした、みたいな雰囲気を纏っている。


 あの日偶然の出会いが噛み合ったのはきっとお互い月曜日に弱いたちだった、とかだ。

 私立って学費とかあるし、そうそう休みがちになるわけにもいかないだろうし。


 本人に確かめる気は全くない。

 話題に出すべきではない物事はいっそ普通に話せやしないのではないかと思うほど多く、暗黙の了解の内にあった。


 しかしそれじゃいったい俺は何を、間宵と喋っていたんだろう。

 次の瞬間には忘れてしまうようなことばかりだった。





 当て所なく彷徨い歩いて時間を食い潰すというよりは、ふらふらとしたまま何処かへと向かおうとするのが間宵のやり方だった。

 お互いどこへ行くかなんて相談なんてしなかったし、交代に互いについて行くという感じだった。


 ある日辿り着いたのは図書館で、貸し出していた古いビデオを二本、小さな箱みたいなテレビで見た。

 記憶にある限りでは初めて触るビデオテープは妙にカシャカシャとしていて、やけに頼りなく思えた。


 見たのは俺が生まれる十年くらい前のアニメ映画。

 有名なスタジオの、だけどあまりテレビ放映しないから見たことがなかったもの。

 穏やかな話だったけれど小さな画面を見入ってしまった。

 青春だなー、なんてぼんやりと見ている横で間宵は寝ていた。


 もう一つはなんだか白黒の、海外の映画。

 主演の女優が白黒とは思えないほどに美人だった。

 多分恋愛モノだったんだろうけれどとても長くて、今度は俺が途中で寝てしまったからストーリーはよくわからない。

 ただ最後の、男女の静かな別れのシーンだけは印象に残っている。



「なんだっていいのよ」



 ある日は裏山(れっきとした名前があるのだが学校の後ろにある山は裏山だという教えに則り俺たちは裏山と呼んでいる、実際のところ小高い丘だ)の遊歩道にいつの間にか迷い込み、気が付けば頂上の展望台に辿り着いていた。

 小学校の遠足ぶりだ。


 ベンチで冷凍食品を詰め込んだ弁当を食べた。

 金木犀の匂いがくらくらするほど強かった。

 帰りに間宵はスカート一杯にどんぐりを拾い集め、少なくない時間をかけて集めたそれらを全てあっけなく、山の斜面へと転がした。



「意味なんてないわ」



 ある日間宵はメールに「駅で待ってる」と返してきた。

 今日の昼飯代は電車代になりそうだったから、冷やご飯に塩を振りかけ雑に握った。

 塩にぎりは地味にめちゃくちゃ美味い。


 どこへ行くのかと聞けばどこにも行かないと間宵は笑った。

 電車を乗り継ぎに乗り継いで、窓の外から眺めるどこかの景色と改札から出ることなく降りた駅の雰囲気だけを手土産に、随分と長い道程の先に地元のひとつ隣の駅へと辿り着いた。


 帰りは田圃に両を挟まれた道路を黙々と歩いた。

 夕焼けは雲に阻まれてぼんやりとした印象でしかなかった。



「だけど悪くはなかったでしょう?」






「まあでも……最近ちょっとさぼりすぎたかな」


 学校に行かないのはひと月に一度くらいだったはずなのだ、多分。


 そのくらいがちょうど良くて、ひとりじゃずっとは平日の昼間の町の孤独感に耐えられない。

 珍味は滅多に食べないから乙なのだ。

 それが、二人になった途端あろうことか楽しさ、みたいなものを覚えてしまったから。


 ……趣旨がずれてしまったなぁ。

 なんで俺はああやって学校をさぼっていたんだっけ。


 どうせ大した理由じゃあないし、学校じゃ会えないあの子と遊ぶためってほら、なんだか結構、悪くはないし……?


 通学時間恒例の思索タイムはぽつりと小さな肌への感触により打ち切りだ。

 しまった、雨が降ってきた。





 天気予報じゃあ降らないはずだったんだけどな、とか思いながら家に戻り、母さんが出勤前に干していた洗濯物を部屋干しに移行していたら、当然のようにホームルームには間に合わない時間になっていた。

 遅刻が確定したら普段ならそのまま登校する気を失くすのだけど、生憎今日は雨。


 雨が降ったから学校に行くしかない。

 当て所なくふらつくなんて雨の日には出来ないのだ。濡れるし。






「お、今日はもう来ないかと思った」


 一限開始ギリギリに教室に滑り込んだ俺に声をかけた同級生、榎本。

 俺が休むと大抵連絡してくれる。

 

「洗濯物片付けに帰ってただけだからな」

「大変だねぇ」

「いやぁ、誰もいない校庭通って登校するの、なんかゾクゾクして悪くないぞ」


 うちの担任、物分りが良くていい意味でやる気がないから大人しくさえしていれば、ごちゃごちゃ言わないし。

 なんだそれ、と榎本は軽く笑った。


 榎本は四角い眼鏡の似合いすぎな、いかにも数学が出来そうで実のところ全然出来ないという優等生もどきだ。

 仲が良いやつは誰かと聞かれたら一番に思いつく。


 小学生からの仲だけど幼馴染というほど付き合いは長くない。

 榎本は転校生で、たまたま俺の隣の席だったことから続いた縁だ。


 俺が学校をサボりがちなことに対しても笑ってノートを見せてくれる良いやつだ。

 なお、榎本はまともにノートを取らない。


「そういや今年は転校生、いなかったな」

「急に何さ」


「いや、お前ってそういや転校生だったなと思って」と弁明する。


 よく聞かないと気が付かないが、榎本はほんのりと違った訛りが紛れ込んだ話し方をする。


 間宵のあのどこか芝居がかった話し方も、一種の訛り的なものと言えるのかもしれない。

 演劇めいた完璧で標準的なイントネーションを記憶再生。

 指摘したらなんて言うんだろう。


「いや、いたけど?」


 榎本の返事で我に帰る。

 いけない、話の途中だった。


「え、いたって転校生が?」


 いくら俺が世俗に疎いっていったってそんな大ニュースを忘れてるはずがないんだが。

 ちなみに世とは基本的に学校生活なので不定期不登校の俺が疎いのはむべなるかな。

 いやしかし本当に記憶にない。


「うん、僕も今思い出したけど。隣のクラスに、変な時期に来てたはずだ。ただ──」






 ◇





 予報外れの雨は昼頃からしっかりと降り続きそうな強さへと変わってしまっていた。


 天気予報を確認し直せばしれっと雨マークだったし、もしかしたら俺の記憶違いで最初から雨の予報だったかもしれない。


 何故か自転車で登校してしまった榎本が、黒いゴミ袋で包んだ鞄をカゴに入れて自転車を爆走していくのを見送り、俺は雨に降られ薄く膜の張ったようなアスファルトの道を随分と歩き回った。


 雨の日にあるまじき回り道。

 放課後にもたまに現れるあのセーラー服を心のどこかで探していた。


 ……いるわけないか。




 俺と間宵には、不思議な仲間意識が芽生えていたのだ。

 違う人種で、だけどやっていることはよく似ていて、理解はできないけどなんとなく感覚が「分かる」と呟いているような錯覚。


 だからきっと彼女も、雨が降ったら学校に行くのだって同じだと勝手に思い込んでいた。



 今朝までは。





 これ以上の回り道は帰るのが億劫になる。


 いい加減雨に耐えられそうになくなったその時、公園の大きな楠の木の下に黒い人影。靴の赤。

 該当者一人しかいないシルエット。


 本当に見つかるとは思わなかった。

 公園の柵を越える。

 声を掛ける前に間宵がこちらに気が付いた。


「乙浦クン……」


 聞いたことがないようなか細い声だった。


 心あらずな目。

 前髪は濡れて張り付き、傘すらも持っていない。


 様子がおかしいことに気がつく。

 あの根拠のなさそうな自信に満ちた表情はどこに消えた。


「どうした?」


 傘を間宵の方に寄せる。


 押し黙る間宵は、話すべきか、何から話せばいいのか、話さなくて済むのなら話したくないと思っているように見えた。


 その『話したくないこと』を、きっと俺は知っている。


 知ってしまって、だけどそのまま気がつかないふりをすることは出来た。

 黙ってるのはフェアじゃないと感じたけど、別にいいかとすら思っていた。


 いつものように陽気に不可思議に、俺に声をかけてきたのならば。

 今にも側溝に流されてしまいそうな濡れ鼠になってさえいなかったならば。




「……間宵、お前うちの生徒だったんだな」





 梅雨が明けた頃。半端な時期に隣のクラスに来た転校生。


『ただ、一度も学校には来たことがないらしいけどね』


 一限は榎本のその言葉に消化不良を起こして、休み時間にすぐさま隣のクラスに入り込んで名簿を確認した。

 出席番号最後尾。

 転校生の定位置に、見覚えのない名前。

 でも、同姓同名の確率はとんでもなく低くて、聞き覚えばかりある。

 彼女の名前がどんな漢字を書くのか見たことはなくても知っている。


 まよいしょうこ。



 名前だけがあの学校にはあり、誰も彼女を見たことがない。

 うちの生徒、という認識のもとでは。


 別世界じみた空気を纏うセーラー服の彼女は、学校の前まで来ているというのに。

 彼女は一度もうちのブレザーに袖を通し、門をくぐったことがないのだ。


「知ってたの」と疑問符付きのように呟いた間宵はほんの少し顔を上げる。

 目は合わせない。


 だんまりは続かなかった。





「あのね……おじいちゃんが、帰ってくるんだ」

 

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