第6話 嘘でも出まかせでもない


 そして間宵はぽつりぽつりと、間宵自身のことを、価値観感性、頭の中身以外のことを初めて俺に吐き出した。


 祖父の家に越してきたこと。

 祖父は各地を飛び回っていて滅多に家に帰ってこないこと。

 祖父は間宵が、学校に行っていないなんて知らないということ。


「……コンビニで傘を盗られてしまったから、雨が弱まったうちに帰ろうとしたら家に、明かりがね、点いていたの。連絡なんてなかった。驚かせようとでも思ったんだわ。そういうとこ、ある人だから」


 説明はたどたどしく、ひどく頼りない。


「未来は見えなかったのか」

「……い、いつでも分かるわけじゃ、ない」


 間宵はどもりながら言い訳をした。

 今のは余計だったな。


「その、まずいことを聞くかもしれないけど。そのおじいさんに何か問題とかあるのか?」

「ううん。いい人。大好き。滅多に会えないから孫に甘すぎるくらい」


 目を泳がせる。


「ただ……あの人には、嘘を吐けないの。嘘が分かってしまうの」


「おじいちゃんは私が、普通に、あなたの中学校に通っていると思っている。電話ではいつも、学校の話を聞かれるの。全部、去年のことを思い出して話した。嘘じゃないけどほとんど嘘みたいなものだわ」


「電話は本物の声じゃないから。ニセモノの声には嘘を乗せても構わなかった。だけど……」


 声はどんどん気弱な調子を帯びていく。

 何にも縛られないような自由気ままな、猫のような彼女はいない。


 劇的な人間なんて、そうそういるわけがないのだとそんなことを今更ながらに思い知る。

 目の前にいるのは、嘘を吐くことを恐れる小さくてつまらない女の子で。


 俺の、友達だ。




「隠し通せばいいんだな」


 だから、


「手を貸してやる」


 そう言う他にないじゃないか。





 ◇





 ひとまず俺の家に間宵を連れて帰った。


「とりあえずドライヤーかけてこい。制服、スカートはそのまんまでごまかせるとして、シャツも新しいのがあるな……サイズあんまり変わんないだろ。ボタンの向き逆だけど。カーディガンは……」

「ぶかぶかが普通」

「ダメ押しに校章でいけるか。靴はどうしようもないや」


 一式を押し付けて俺は探し物に入る。


 指定の鞄はあるけれど形骸化していてほとんど誰も使っていないから実質新品だ。

 それを引っ張り出す。


「着たけど……」


 ドアから身体を半分ほどこちらへとはみ出させた間宵は驚くほど、地味だった。

 存在感がひどく希薄に見えた。


「あ、ああ。早かったな」


 自信に満ち溢れたセーラー服の魔女は消えてしまった。

 どことなく罰が悪そうに間宵は言う。


「その……ありがとね。これなら誤魔化せそう」

「いや、俺もついていっていいか。傘を忘れたらから送ってもらったとでも言えばいいだろ」

「え?」

「だってほら、友達と一緒に帰ってきたって感じの方がそれっぽいじゃないか」


 間宵は、嬉しそうに目を見開いた。






 着いた、と言われてその建物を二、三度見直した。


「間宵、お前、お嬢様なの?」

「そんなわけないじゃない」


 この前帰りに別れた道の先はぽつぽつと色々すごい家があることで噂だったけど、まさかその中の一軒だとは思わなかった。


 洋風建築とでも言おうか。窓がやけに大きくてレトロな雰囲気の一軒家だった。

 レトロ、というより実際に年季が入っているのだろう。

 見るだけで気が引ける。


 確かにお嬢様の家ではなかった。

 どちらかというと、魔女の家だ。蔦が生い茂っていれば完璧だった。


 お嬢様ならもっとがっつり豪邸だろうしな……夕飯をチェーンの定食屋で食べたりはしないのだ多分。魔女も食べない。


「明かり、消えてるな」

「そうね」


 柵門を押し、通る。

 間宵は大きな扉に、似つかわしくないごくごく普通の鍵を差し込んだ。







「おかえりショーコ!」


 扉を開けた途端、開く音を塗りつぶすように、低くよく響く声がした。


 洒落たスーツに整った髪と髭、しゃっきりと伸びた背筋に長い手足。

 映画から出てきたんじゃないかと思うほど。

 唖然とした。

『おじいさん』ってこんな生き物だったっけ。


「おや、びっくりして声も出ないかい?」

「え、ええ」


 おじいさん、もしかしてずっと玄関で待ってたのか……?

 いや、物音で帰ってきたことに気が付いたんだろう。きっとそうだ。


「ただいま。それから、おかえりなさいおじいちゃん」

「うむ、おかえり。そしてただいまだ」


 そしてやっと間宵よりも一層にも二層にも、舞台じみた老紳士がこちらを向いた。


「ン、そちらはご学友かい?」

 

 随分と華やかな笑い方をする人だ。

 会釈をする。


「……はじめまして。乙浦珠海です。間宵にはお世話に……ん、間宵? 硝子さん?」


 家族の前で苗字呼びはよくないよな?


「ちょっと、急に名前で呼ばないでよ」

「じゃあ三人称で『彼女』。……には、お世話になってます。……なってるか?」

「なんで、なんでそこに疑いを持つの」


 ははは、とおじいさんが笑う。


「乙浦クンだね。仲良くしてくれているようで嬉しいよ。ところで渾名はタマとみた」


 間宵の感性は祖父似か。


「乙浦クン、傘ありがとう。もういいよ」

「そうか」


『もう、大丈夫』と間宵が俺に合図を送る。

 確かに随分と落ち着いてきたように見える。

 だけど大丈夫な気はあまりしなくて、それを聞くわけにもいかない。


「帰ってしまうのかい? 折角来てくれたんだ。お茶でも如何かな」


 その誘いは助け舟かそれとも薮蛇か。

 間宵の目が揺らいだ。

 俺は答える。

 

「いただきます」






 家の中は色々な茶色で塗り潰された落ち着いた趣で、生活感がとことん薄かった。


 人の家に初めて入るのはいつだって緊張するものだけど、今回はひと際だ。

 テーブルはなんだかいい色をしているし、出されたお茶は紅茶だし、ティーパックで入れたやつじゃないし。


 間宵はおじいさんと楽しげに話をしている。

 内容はおじいさんの土産話で、彼女は無邪気そうに相槌を打っていた。


 どこからどう見ても孫の顔だった。

 普通の会話、できるんだよなこいつ。


 空気に慣れないまま、お茶を啜る。

 砂糖もう少し入れていいかな。


 角砂糖の瓶にそうっと手を伸ばし、空気が変わったことに気がついた。


 話題が変わる。


 おじいさんが間宵ではなく、間宵と俺を見た。


「学校はどんな感じかね」

「もう、そればっかり。概ねいつも通りよ」

「そうか。じゃあ学校は楽しかったかい」

「っ……」


 間宵が口を閉ざす。

 答えられるわけがない。

 おじいさん相手には、嘘が吐けない。

 電話とは違って、躊躇は目に見えてしまうだろう。

 



「授業はともかく、授業外は楽しいですよ」


 だから、話に割りこんだ。

 おじいさんの視線は最初から俺を含んでいたのだし、そんなに不自然ではなかったはずだ。

 実際、気に留めた様子はなかった。


「それはよかった。君たちは同じクラスなんだね?」

「いえ」


 カップから伝わる熱を手のひらで感じる。



 考えてはいたんだ。

 今日をやり過ごすだけじゃなくて、間宵がこれからも嘘を吐かずに済む方法はないかって。


 そんな都合の良い方法、考えに考えたに決まってる間宵が考えつかなくて、俺に思いつくはずがないのに。


 いや、思いつくことには思いついたんだ。

 ただ……。


 腹をくくるなんて前に躊躇っていられる時間は尽きた。


 ああ、もう。

 ごめん間宵。


 多分俺、今から余計なことをする。

 



 「部活です」




 間宵がひ、と小さく息を乱した。

 おじいさんがほう、と軽く息を鳴らした。


「どんな、かな」

「いろんな場所に行きます。山に登ったり、町中を散策したり。博物館とか美術館とかも、行くかもしれません。学校の外で何かをするんです。普段しないようなことを」

「それは良い。自主的な遠足のようなものと言えないこともないわけだね」


 何一つ疑いなんて見せる様子もなく、機嫌良さげに笑みで皺を増やした。


「それで、なんていう部活だい」

「名前は──」









 柵門を挟み、見送りについてきた間宵がさよならの前に聞いた。


「なんで、あんな出まかせを言ったの?」

「出まかせってわけでもねーよ」


 傘を間宵の方に寄せる。


「つまり本当に作っちまえばいいんだろ部活」


 そんなうまくいくわけないか、と思って一度自分で却下した案だったから本当は少し後悔していたりもするのだが。


 名前がないのはまだ正式に設立していないから。

 嘘か本当かは曖昧で、ギリギリそれっぽくなかっただろうか。

 無理か。無理かな。

 口から出まかせは難しいな……。


「まあ、本当に部活を作れるのかどうかはわからないけど。あの瞬間は本気だったし、やってみるだけやってみようという思いくらいはないこともない。多分ある。だからそのつもりだったのは嘘でも出まかせでもない、うん……自信なくなってきたな……」

「……ばか?」

「そうかも」


 俺は多分間宵に、学校に来いなんて言わない。

 どんな些細な理由だろうと大変な経緯だろうと、それは本人のものだと思う。

 そんなこと言いたくないし言われたくないだけの話だけど。


 強みも弱みも無いから頓着しようのない俺とは違って、間宵はきっと自分の弱みなんて人に握らせたくない子だと思っているから、予想通りだとすれば彼女の理由を知ることはないだろう。


「ただ、これならもう嘘をつく必要はないだろ。俺とお前が会うのは部活だってことになるんだから。これからは部活の話を、嘘じゃない学校の話をすればいい。……なんて、自信持って言えるように、もう少しうまくやれればよかったんだけどな」


 俺は優等生か不良かの二択ならば後者に入るようなやつだし、正しいこととか善いこととか、そういうことを言うのは大人の役割だ。

 俺は間宵の悪い友達で、不良仲間で、敵か味方の二択で言えば味方なのだ。


 部活の名前は、『まだない』と。

 授業でやった昔の文学作品にあやかって、勿体ぶって言った。


 おじいさんはお気に召したのか、低い声で笑っていた。

 名前はまだ、ない。

 けれど。

 確かに存在はしている。

 きっとそういうことだ。


「名前。課外活動部、とかどうだ」


 間宵は呆気にとれたような顔をしていた。


 遅れてお愛想のような薄っぺらい笑い声を立てて、ようやく彼女は魔女に戻る。


「不登校部の間違いでしょう。乙浦クン、ほんと虚言に向いてないんだから」


 俺と同じようなものしか見えてないのだろう目を、全てを見透かすような三日月にして。


「あなた、ロクでもないやつね」


 苦笑交じりにそう言った。


「知ってる」





 ◇





 ほんの少しだけ、前の話だ。



「少年、私はね。嘘も隠し事も嫌いじゃあないんだよ」


 間宵が席を外したテーブルで、穏やかな声が語りかける。


「嘘と隠し事は、砂糖のない珈琲のようなものさ」


 本当のことだけを見透かして、しかし眺めるだけのような目がこちらを見つめる。


 そしておじいさんは、間宵そっくりに微笑んだ。

 全部わかっているとでも言いたげな、三日月の笑み。


 大人にはかなわない。


 嘘も隠し事も口から出まかせもその場の勢いも、上手くなるにはまだ随分とかかるらしかった。

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