第4話 夕焼けとナポリタン


 慌ただしくはなくも平穏無事とは言えない一週間が終わった。


 予定のない土日は家に引きこもって過ごす。

 ただこの土日はいつもに増して自堕落だった。なんせ母親が出張でいない。


 二度寝を二度といわず繰り返して、ふとそういえば今日何も食べてない気がすると思い出した頃にはもうすぐ夕方という頃合いだった。しかも日曜。


 食が細いのかなんなのか、まあ多分運動らしい運動をしないせいなんだけど、うっかりすると食事を抜いてしまう。スナックパン一袋を昼休みでぺろりとたいらげるような周りが目立つだけかもしれない。


 食べるのが自分しかいなくて作るのも自分だとそうなるものだと思う。




 寝すぎて痛い頭を抱えて冷蔵庫を覗く。

 魚肉ソーセージくらいしか残ってない。野菜室はそれなりに残っているんだけど。インスタント麺も在庫切れ。


 ……ポテトチップスが食べたい。コンソメだ。

 唐突にそんな衝動に駆られた。


 こういう、発作的な特定の何かに対する食欲はちゃんと解消するまで引き摺るのだ。福神漬を食べたい欲を半年引き摺って思い知った。

 

 とっとと買いに行くことにしよう。

 明日、学校に行くのが死ぬほど面倒くさいな、と思いながらカーテンを閉めた。





 自転車をのんびりと漕ぎながらスーパーに向かって、ポテチだけをかごに突っ込んだところで、あっ別にこれなら近くのコンビニでよかったじゃないかとようやく気が付くも手遅れだったりしながら、軽いビニール袋をお供に自動ドアをくぐる。ルーチンって厄介だ。


 どうやら陽は落ちてしまったらしい。空が紫だ。

 帰り道、ほんの緩やかな下り坂でペダルを踏むのをやめてふと西側を眺めた。

 植木や塀で遮られていた地平線は急に開け、太陽が沈みきった後の夕暮れの名残が視界に飛び込んでくる。


 思わずブレーキを踏んだ。

 紫の空の端に茜色に染められた薄い筋雲が、焼け付くような鮮やかなオレンジ色が、目に痛いほど強く塗り込まれていた。


 空がこんな色してていいのかよ、とあきれたくなってしまうほどの傍若無人な色彩に釘付けになる。

 この景色があと数分すらも持たないということがにわかには信じがたかった。


 そうだ、写真だ。

 思い出したようにポケットに手を突っ込んだがそういえば財布と鍵しか入れた記憶がなかった。ちくしょう。


 諦めて自転車のハンドルを握りなおし、俺と同じように夕焼けを見つめる誰かが少し前にいたことに気がつく。


 オレンジに染められることのないような、黒いシルエット。

 風に、青いスカーフが揺れた。

 地平を見つめる横顔に、ぞくりと肌に寒気とは違う感覚が走る。



「……間宵?」



 その背中は、横顔はひどく冷たく、声をかけなければならない、そんな強迫観念に駆られた。






「あら、奇遇ね!」


 しかし俺に気がついた彼女は世界が終わりそうな夕暮れとは程遠い、からりとした晴れやかな笑顔を見せた。


 力を抜く。

 まったく、夕暮れの照明効果とは恐ろしいものだ。


 自転車に跨ったままの俺に間宵が近寄る。相変わらず手ぶらだ。


「何してたんだ?」


 日曜の夕方なんかに一人で。


 そういえば。

 間宵がセーラー服なのは当たり前な感じがして、今の今まで気付きやしなかったけど。

 今日は、日曜日じゃないか。なんで制服を着ているんだろう。


「んー。今からね、ご飯食べに行こうと思ってたの」


 間宵はチェーンの定食屋さんの名前を挙げる。

 今日だけが特別というわけじゃなくて、いつもそうだというような口調。


 なんだかとても意外な気がした。

 あのひっそりとした店内に間宵がいるというのがしっくりとこない。


 だって、普通の女の子みたいじゃないか。

 定食屋にいる女子中学生(多分)は普通じゃないけど。




 そもそも、定食というのが似合っていない気がした。サバの味噌煮とおひたしと白ご飯と間宵。なんか違う。

 じゃあどんな食べ物が似合うのか、って言ったらちっとも思いつかないんだが。かろうじてアイスだ。

 食事そのものが似合わない気がした。


 そんなわけないんだけど。



「なぁ、よかったらうちで飯、食べていくか? 今日は母さんいないし、今から作るから遅くなるけど」

「作るの? 乙浦クンが?」

「なんだよ」


 なんとなくムッとすると、間宵は小さく笑った。


「不思議。似合わないのに似合ってる。簡単に想像できちゃうんだもの」

「なんだそれ」


 エプロンが似合わない自覚はあるよ。


「お誘い、嬉しいわ。それじゃあご馳走になります」

「おう。で、何か食べたいものとかあるか」


 夕飯ポテチのつもりだったので考えなんて当然無い。

 無いのに、どうしてまあこんな誘いをしてしまったのだろうか。

 衝動的。よくわからない。


 間宵は考えこむように視線を逸らした。

 

「カレー?」

「時間かかりすぎだ、んなの」


 ほぼ反射で却下。というか真っ先に思いついたのがそれか。お前は小学生男子か。


「えー、じゃあナポリタン」

「ああ、それなら簡単だ」

 

 簡単だけど、チョイスがなんというか……。

 真っ赤なスパゲティを頬張る間宵の姿を思い浮かべた。やっぱり似合ってる、とは言えないけれど。

 多分、ハンバーグとかオムライスとかも普通に好きで、コーヒーとか飲めないんだろう。

 なんだか笑えてきた。


「子供舌だな」

「な、大人だって食べるでしょ!」 


 自転車から降りた。

 あの鮮烈な夕焼けはもう鳴りを潜めて、空は穏やかなグラデーションを浮かべている。


 食材を買いに戻る必要はなさそうだった。





 ◇





 そうして突発的な調理実習が始まった。


 包丁は苦手と自己申告した間宵の担当は鍋だ。

 麺が折れたり噴きこぼれたり伸びてしまったりとまあ些細な(味は変わらない、些細だ)アクシデントがあったりしたが些細な問題だ。

 間宵は鍋を使えないタイプの魔女だった。


 俺だって別に料理が得意なわけじゃないので何も言うまい。

 自分の切った具材の不揃いさに目を瞑る。本質的に不器用だった。


 紆余曲折閑話休題そんなこんなで出来上がり。

 ピーマンがなかったから人参を投下したナポリタンは見事にチープな赤一色で、少々配分を間違えた玉ねぎと在庫処分のソーセージが大変な自己主張をしていた。

 麺より具が多いのは気のせいだとごり押した。


 そんな、土曜の遅めの昼食みたいな料理を休日最後の晩餐に据えた午後七時半。


「あ、美味しい」

「見た目は良くないけどな」


 テレビを点けた。

 クラスの誰もが知っている人気番組のチャンネルを押す。

 実家のような安心感のあるお笑い芸人がお決まりのツッコミを入れたところだった。


 間宵にとってもそれは馴染み深かったようで、そっか今日、日曜日なのね……なんて呟きながら目を向けていた。

 当たり前に知っているはずのその番組を、間宵が知っているということがとても意外に感じる。




 間宵を、気付かれないようにちらちらと盗み見る。

 やっぱり、クラスで一番くらいにかわいいと思う。


 遠目で見れば、高嶺の花。古臭く言えばマドンナ。しかしその実態は誰とでも分け隔てなく言葉を交わし、急速に距離を詰めては好かれる人気者。

 そんな肩書きがいかにも似合いそうで、だけど『間宵硝子』がそうでないことは当たり前だ。

 

 彼女の肩書きは『魔女』なのだから。

 せいぜいリアルに名乗るなら宇宙人までだろう。宇宙は魔法よりもリアルだ。


 しかし『魔女』というものがケチャップ味のスパゲッティを頬張りバラエティ番組を見て俺と談笑する女の子という定義なはずもなく。


 ちぐはぐなのだ。

 すべてが中途半端。


 体の半分は休み時間の教室で出来ていて、残り半分が放課後の階段で出来ているような。


 明るさと薄暗さ、華やかさと野暮ったさ。

 曖昧であやふやな混合した雰囲気。


 それが俺の感じた違和感の正体で、俺が、どうやら間宵のことを割と気に入っているらしい理由なのだろうな、と。

 論理性のない納得感を麦茶と一緒に流し込む。


 間宵が見られていたことに気付き顔を向けた。

 何か用件を捻り出さないと。

 考えて、すぐに浮かんだ。


「今日も勝手にいなくなるのか」

「……?」

「いや、毎度いつの間にいなくなってるじゃん、お前」


 口をもぐもぐと動かす間の沈黙。

 ごくりと飲み込んで口を開く。


「今日は招かれたから。私、いるわよ」

「なんだそれ」


 至極当然。そんな顔。

 ごくごく普通の会話を重ねた後だから、相変わらず間宵が何考えてるんだかよくわからないことにほっとする。


「まあよかった。じゃあ帰り、送っていくよ」


 次の一口を入れた間宵はこくりと頷いた。







「ここまででいいのか」

「ええ、十分」


 夕方、遭遇した辺りの分かれ道で立ち止まる。

 街灯はそれなりにあるけれど休日の夜の道は人気がない。

 ここで帰していいものかと思いつつ、けれど最後まで付いて行くのはなにか『不正解』な気がした。


「そうだこれ、私の連絡先」


 間宵はポケットを漁った。

 そうだ、なんて思い出したように言ったけれど明らかに用意されていたものだ。

 一体いつの間に。

 なんという不自然なタイミングの不自然な渡し方だ。

 脱力しながらもありがたく受け取る。


 かわいらしい小さなメモ用紙に書かれた、今時とんと使わなくなったEメールのアドレスを見る。

 名前と数字のごくごくありふれた並びだった。


「いつでも呼んで。飛んでくわ」

「言葉通り?」


 にっこりと、満月のように笑った。

 暗い景色の中で赤いヒールが軽やかに音を立てる。

 滑るように間宵は離れていく。

 夜の中に溶けていく。


「じゃあまたね。今日は、ありがとう」


 もしかして今、初めて彼女は礼を言った?

 普通の子みたいに?


「……ああ、またな。気をつけて帰れよ」


 俺はひらりと手を振りながら、間宵のことをやっぱり何の疑問もなく友達だと思い始めていることに気がついた。







 緩やかな坂道を一人、急かされるように下る。

 飛んでいくと彼女は言った。

 あの魔女は、この夜空の中を飛べやしないのだろう


 でも、否定でも肯定でもないあの笑顔は謎の自信に満ち溢れていた。

 だから、飛べても飛べなくても変わりはしないのだ。


 そのことが羨ましくて、もう十二時間後すぐにあいつに会いたくなる。

 呼び出してしまいたくなる。


 間宵が学校に行かない理由はさして知りたいとも思わないけど。



 きっと、俺とは違うのだ。


 わけがわからなくて、すこし不思議で、だけどしっかりと形のある理由なんだと思った。


 そうであったらいいな、と。




 ああ、だから。

 何が『だから』なのかちっともわからないけど。

 わからなくてもいいや。


 明日は、学校に行こう。

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