第3話 再会


 再会は意外と、というかめちゃくちゃ早かった。


 今週は午前中授業の日が一度あり、それが今日だった。

 帰る前に少し校内で用事を済ましていた俺は皆より遅れて校門に向かった。

 人気の少なくなった門を横切ろうとし、そのまま真正面の駐車場に目が釘付けになる。


「なんでお前、いるんだ」


 足を止めた。


 塀にもたれかかるセーラー服の女の子が、こちらを見て待ち人を見つけた時特有の笑顔を見せる。

 どこからどう見たって間宵硝子だった。


 一人でよかった。

 他のやつと帰っている時に遭遇したら気まずいにもほどがある。


「なんでって、会いに来たの。今日午前授業でしょ?」

「ストーカーめ」


 制服的に学校はともかく、なんで時間割まで知ってるんだよ。

 間宵はにこにこと、悪びれる様子がない。


「で、何か用でもあんの?」

「ないわ!」


 すっぱりと言い切った。

 なんだこいつ。


 駐車場前で立ち尽くしてるのも馬鹿らしくなって歩き出す。

 当然のように間宵はついてきた。


 道はいつもに増して人気のない路地を選ぶ。

 学校の付近で違う制服を着た間宵は恐ろしく浮くのだ。

 気遣いというよりは俺の保身だ。


「てか、何も用がないのに会うほど交流を深めた覚えはないんだけど」


 一方的にアイスを奢らされて暴言を吐かれた程度の仲だ。

 ひどい。友達ですらない。


 なのにこいつの纏う空気感は、旧知の仲であるかのような馴れ馴れしくてそぐわなくて、なのにガラス一枚隔てているみたいだった。


 クラスの真ん中の方にいる友達百人いますみたいな奴の雰囲気の中に、セミの抜け殻とか油粘土とか欠けたおはじきとか、そういう得体の知れないものを混ぜ込んだような。


 何がなんだかわからない。


「じゃあ今日、これから深めましょう。この前言いそびれたけど、私、あなたと話がしてみたかったの」

「なあ、それ、初めに会った時に言えなかったの?」

「魔女ですもの」


 澄ました顔だった。

 それが免罪符になると本気で信じているような。


 こういうの電波系っていうんだったか、と思い出す。

 なぜか今の今までその単語かすっぽりと抜け落ちていた。


 何か違う気がするのだ。

 本気で妄想を信じているというよりは、思い出したように『魔女』と言っているだけのような……。


 まあいいや。




 黙りこくっていた俺の顔を間宵が覗き込む。

 ふと、綺麗な顔をしているなとぼんやりとした感想を抱く。


 ああ、なるほど。

 あまりこいつに不快感を抱いてないのはこの顔のせいか。

 嘘だろ俺、「人は見た目じゃない」って価値観じゃなかったのかよ。

 軽く絶望する。


「ね、いいでしょ。どうせ暇でしょ」

「お生憎様。今日に限ってはそうでもない」


 俺は下校前に取ってきた、木製のカバンを見せつけるように持ち上げた。





 ◇





 公園の屋根付き休憩所のテーブルに、ノートサイズの小さな画用紙を広げる。

 用事とは、美術の授業課題のことだ。

 宿題ではない。

 ただ、周りはもう完成間近という中、俺は未だに絵の具を一色も塗っていないだけだ。


 美術は苦手だ。

 下手以上に描くのがものすごく遅い。


 美術は月曜にあって、俺が学校をサボるのもやはり月曜が多い。

 そんなわけでただでさえよくない進捗は悪化の一途を辿る。

 こうして時々取り戻しておかないといけないくらいに。

 本当は学校に残ってやりたかったのだが今日は居残り禁止だった。


「水、汲んできたけど」

「おう、ありがと」


 結局間宵は普通についてきた。

『じゃあそれ、見てる』とか言いながら。

 昼飯はどうするのかと聞けば『私、今日ブランチだったから』と答えが返ってきたので、俺だけ買っていたパンをもちゃもちゃと食べた。

 奢らされなくてよかった。

 中学生の財布は基本的に寒い。


「ねえ、どうして外で描くの」

「昔、家で絵の具やってたら盛大に水をぶちまけたのがトラウマだから」


 どす黒くなった水を吸収したカーペットを見た途端にすべての気力は吹き飛んで、絵の具嫌いに拍車がかかった。

 嫌いなのにこうして持ち帰ってまでやってしまうあたりが、俺の小者たる所以だと思う。

 不良にも無気力系にもなる気力がない。


 まあクラスの不良も美術の授業にはちゃんと参加していた気がするしそれでいいのだ。何が?




 やたらと重たいだけのスカスカの木箱の中からほとんど使われていない絵の具を取り出し、雑に並べる。

 今回の課題は遠近法がどうたらこうたらで、定規を使ってひたすら箱を描くというやつだった。


 なんだ定規を使っていいのか、楽だなと思ったんだがこういうシンプルなものほどセンスが浮き彫りになるらしい。

 制作途中のみんなの作品を見てそう思った。


 諦めよう。うちの先生は丁寧にさえ塗れば評価をくれる。


 無心で筆を動かしてしばらく、間宵はそれをじっと見たまま身動きひとつしなかったようだ。

 ふと存在を思い出して顔を上げると、最初と同じように頬杖をついたまま画用紙を眺めていた。


 マジで何しに来たんだこいつ。

 話がしたいと言って一言も発していない。

 いや、邪魔しないでくれるのはありがたいんだけど、そんなのなんだか良識人みたいじゃないか。

 どうせ良識人やるなら手伝ってくれたりアドバイスくれたらいいのに。

 

 視線に気がついたのか間宵も顔を上げた。


「絵の具、出し過ぎよね」

「あ、まあそうだな」


 ほとんど手付かずのままパレット上で乾きそうなのがいくつかある。

 もったいないけど、どうせ絵具なんて他にさして使わないから問題ない。


 間宵は手のひらを差し出した。


「紙と鉛筆と筆、貸して。あとその余った絵の具、ちょうだい」

「紙、プリントの裏しかないけど」

「いいわそれで」


 退屈そうに(実際退屈だったに違いない)そう言った。

 何を描くつもりなのか気になるところだけど、俺も作業に戻らねば。





 そんなこんなで多分一時間程度。

 いつの間にか、あの絶望的な白紙が半分ほど絵の具で埋まった。

 絶望的にサイケデリックな配色だ。

 出し過ぎた紫を多用したのがまずかったか。

 なお、反省を次回に生かす気は毛頭ない。


「終わり?」


 あくびをしながら間宵が聞く。


「ああ、疲れたし。もういいかなって」


 あと家帰ってゲームしたいし。


「そう、お疲れさま」


 画用紙を乾かしている間に道具を片付けよう。

 と、その前に間宵は何を描いたんだろう。

 覗き込む。


 見えたのはよれよれの紙に水でふやけたような鉛筆の線、盛大にはみ出した太筆の塗り。

 だが一目でわかる。描かれているのは紫陽花だ。


「……綺麗だな」


 俺じゃ上手いのかもよく判別がつかないが、ぼんやりと滲んだ淡い青と紫はなんとなく良いものに見えた。

 紫陽花の季節ってわけでは全然ないけど。

 水彩画って言うんだったかこういうの。


「毒があるのよ」


 にんまりと、そう言った。

 悩みなんてひとつもないみたいな得意げな顔で、ほんのりと水を差した。


「なあ、お前、友達いないだろ」


 ため息交じりに言って、道具をそばの水道のもとに運ぶ。

 間宵は律儀に自分の使った筆を持ってついてきた。


「乙浦クンはいるの?」


 答えがわりのその問いかけには否定も肯定もなかった。

 文脈的には『いないでしょ?』なんだが、その態度がなんだか『いないわけがないよね?』みたいなニュアンスを含んでいた。

 なるほど、質問返しってうざったい。

 蛇口をひねる。


「いるよ、普通に。放課後とか休みの日とか遊びに行くくらいに」

「そう、じゃあ。放課後に遊んだ私もあなたの友達ね」


 彼女は声色で笑った。

 そうきたか。


「あーあ、否定できないなそれ」

 

 パレットにこびりついた絵の具をこすりながら唸る。

 なるほどその定義だと俺と間宵は友達というわけだ。ならば。


「そうだ、聞こうと思ってたんだが連絡先とか……」


 よし、絵の具は取れた。

 と腰を上げて間宵の方を振り返り、言葉を止めた。

 

 先ほどまでいたはずの彼女はいつの間にか、いなくなっていた。

 貸していた筆は水入れバケツに無造作に突っ込まれている。

 さよならもナシだ。


「マジかよ…………」


 水も流しっぱなしに俺は立ち尽くす。

 

 最初に会った時も言いたい放題してそのまんまいなくなってしまったが、今回は会話らしい会話をしただけ消化不良感が凄まじい。


 わからなかった。

 普通の、会話をしたはずだったのに。


 そういえば俺は今日も彼女自身のことを何も聞いていなかった。

 何を話したのかも、さして覚えてはいない。



 蛇口をひねる。水を止める。


 間宵は、何を見て何を考えているんだろう。

 いなくなってやっとそんな疑問が浮かぶ。



 きっと、違う生き物だ。

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