第2話 魔女は未来が見えるらしい

 ジャングルジムの上で、突然声をかけてきたセーラー服の女の子、自称魔女、あらため──まよいしょうこ。


 間に宵の明星きんせいの宵、ガラスと書いて、しょうこと読むのだという。

ちょっと変わった苗字だけど、名前は古風でひと昔前ならよくありそうだと思った。


「本題って、なんだよ。俺とお前は初対面だろ?」


 一応、疑問形で聞いてみたが。

 確実に初対面だ。

 考えてみれば、こんなインパクトのあるやつ忘れるはずがない。

 いや……普通の格好で普通の出会い方をしていたら、忘れているかもしれないけど。


 見てくれはいい、と思う。

 どこぞの芸能人などには劣るだろうが、現実の補正とはかくも力強いものだ。

 テレビで見たら「ちょっとかわいいな」くらいでも、現実だと「すごくかわいい」だ。

 別に見とれてなどはいない。

 ないったらないのだ。


 ただ、なんというか。誰もが振り返るほどの美少女とかいうのとは違うと思う。

 真正面から見つめて、そして初めて驚きまじりに気がつくような感じだ。

 あ、意外と整った顔立ちしてるんだ、みたいな。


 クラスで三番、学年では十番、実際は人格的に選外、そんな感じの美人だった。


 間宵は意味深に目を細め、口角を上げた。

 十代にふさわしくない、背伸びしすぎてふくらはぎを攣りそうな笑みだ。


 こういうのが様になるから美人はずるい。


「そうね、初めましてだわ。だけど、私は前からあなたを知っていたの」

「つまり……ストーカー?」

「なんでそうなるのよ!」


 よし、笑みが崩れた。

 あれはなんというか健康に悪そうな笑みだった。

 チェシャ猫みたいなニヤニヤ笑いは、長時間見ていたら高確率で酔うと思う。


 ストーカー、と言われた間宵は、目をそらした。


「ちょっと、後ろから、たまに、時々、見てただけよ……」

「ストーカーじゃねえか」


 何も間違ってなかったじゃないか。


「ええい、脱線はそこまで! いい? 私は魔女なの、わかる? わかって。つまりね、もうちょっと敬意が、というか畏敬が必要なのよ! 頭が! 高い!」


 やけくそ気味に喚いて、間宵はびしり、と人差し指を突きつけた。


「本気で言ってんのかそれ」

「……ちょっと恥ずかしい」


 間宵はのろのろと指を下ろした。

 そのざまで羞恥心がまだ機能しているとはなんと不幸なことだろう。


「こほん、つまりね。あなたを見定めていたの。我が契約者にふさわしいか否か……あ、これ声に出すととても中二病っぽい。ナシ、今のナシ。ええとどう言えばいいんだろう……」


 まさか、今の今まで自分が中二病っぽくないと思い込んでいたのだろうか。

 いきなり魔女を名乗っておいて?

 重症だ。

 初対面の女の子にこうまで憐れみを抱かせるとは大したものだ。


「はぁ、わかったよ。魔女サマ。それで、あんたはどんな魔法が使えるっていうんだ?」


 ごっこ遊びに仕方なしにのってやると、間宵はぱぁっと顔を輝かせた


 変なやつだ。

 だけど鳩に豆鉄砲みたいな第一印象とは違って、第二第三印象は随分と分かりやすく安っぽい。


 そういうのは、嫌いじゃない。


「聞きたい? ええ、いいわ。教えて上げましょう──」






 ◇





「それで? そのあとどうしたのさ」


 間宵硝子に出会った翌日の放課後。

 普通に登校して居眠りもせず授業を受け終わり、俺は度々そうするように保健室を訪ねた。

 正確には、保健室の先生を、だ。


 保健室の先生こと、栞姉は、俺の話の続きを促す。


「どうしたって……そのあと何故かアイスを奢らされただけだよ。栞姉」

「タカられてんじゃん、アンタ」


 栞姉──養護教諭、乙浦栞おとうらしおりは小馬鹿にしたように鼻で笑った。

 纏め上げた黒髪に白衣、鋭い印象を受ける若い女性だ。


 栞姉は俺の母さんの歳の離れた再従姉妹、まあつまり親戚のお姉さんだ。

 学校に勤めているとは聞いていたがまさかこの中学とは知らず、偶然の再会を果たすというやつである。

 そんなわけなので、二人だけの時は「栞姉」と呼んでいる。


 親戚、と言っても。

 中学に上がって久々に会った上に、いつの間にか顔面工事レベルの化粧スキルを身につけていて見た目が変わっていたから、声をかけられるまで気がつかなかったのだが。


 まあそれは置いといて。

 知り合いとなると顔を合わせないように避けるのが(なんだか気まずいし)普通なのだろうが、栞姉とはなんとなく馬が合うためこうしてたまに顔を出している。



「で、その魔女って子、結局何者だったわけ?」


 世間話の流れでぽろりと昨日のことを漏らしたのだ。

 栞姉は俺のサボり癖を知っているが特に何も言うわけでもない。

 いや、むしろ面白がっている節がある。

 栞姉は「大人に向いてないのさ」とボールペンをくるりと回してすかした感じに言っちゃったりするダメな大人だった。


「わからん。名前しか聞いてない。見慣れない制服着てたからどっかの私立の子だと思うんだけど、中学生なのか高校生なのかも知らない」

「はぁん。つまり、クラスの女子よりはなんだか大人っぽく見えたってことね」

「言動は小学生の方がマシだったけどな」


 別に背が高いわけでも、大人びた顔立ちをしているわけでもないのに、どうしてだかそんな風に感じる。

 高校生は行き過ぎでも、中三と言われた方がしっくりとくる。


 不思議だった。

 自称魔女というあからさまに不可思議でいっそ型に嵌まってるような言動よりも、そちらの方がずっと。


 まあ何者っていったって、平日の朝っぱらにあんなところにいるのだ。

 俺と同類なのは確かだ。


「いいじゃないか」

「何が?」


 栞姉はなんだかご機嫌だった。


「だってほら、見知らぬ女の子と出会うってなんだかひと夏の冒険って感じがするじゃない?」

「しないしない。夏とかもう終わってる。肌寒いくらいだぞ」

「つれないなあ。青春じゃないの」


 そう、栞姉には厄介な病がひっついていた。

 青春病だ。

 しかも自分のではなく、他人のに反応する。

 青春っぽい風景を眺めるのが何よりも楽しみなのだそうだ。


 保健室の先生を目指したのも、青春の象徴『学校』に居座りたいが教鞭を執るのは嫌だという理由からとか。

 冗談なのか本気なのかは知らないが。


 まあそういうのとは無縁の俺には関係のない話だ。

 栞姉にはどうぞ勝手にやっていただきたい。


「っと、もうこんな時間か」

「何か用事?」

「ああ、帰りに買い物に行かなきゃ」


 当然のように帰宅部だから自堕落な放課後を謳歌するのが常だけど、今日の夕飯は俺の担当だ。


「じゃ、また。そのうち」

「ああ、また聞かせて」


 お互い三秒で忘れそうな約束だった。






 人気のない住宅街を歩く。

 建物の合間から覗く地平際の空は赤くほんのりと色付いていた。


 思えば学校に行かなかった日のことを話すのは、栞姉だけだった。

 同学年の友達にも何があったかなんて話すことはない。

 そんなことよりも話すことはたくさんあるのだ。日常は忙しい。

 だけど薄暗い廊下の奥にある保健室は、校庭から遠くはないはずなのに切り離されているようなあの場所は、まるで非日常だから。

 先生でも家族でも友達でも大人でもないように思える、『栞姉』だから、口が滑るのかもしれない。



『また聞かせて』というのは、きっと間宵のことをまた聞かせて欲しいという意味なんだろう。

 特に考えずに返した言葉に違いないから、真面目に受け取る必要なんてないんだけど。

 果たして、その『また』はあるのだろうか。



 基本的に真面目であるよう努力はしているので、そう頻繁に学校をサボったりはしない。

 いや、サボる前提になっている時点でもう逆立ちしたって真面目にはなれないんだけど。


 でも次の発作まで、おそらく二週間はもつだろう。

 つまりただでさえ機会はなく、間宵と顔を合わせる可能性はさらに低い。


 俺はあいつと連絡先を交換したわけでもないし、互いをよく知れるほどの一日を過ごしたわけでもない。

 あの後間宵はどこかに行ってしまって、なんとなく俺も家に帰ってしまった。

 自堕落な休日と同じような過ごし方をするのは不本意だったけど、あの後の時間の過ごし方がいつもに増してわからなくなってしまったから。



 ふと、俺は立ち止まる。

 視界の端で何かがちらついた。

 目線を横に向ければ、排水溝から飛び上がった黒猫の光る瞳がこちらを見ていた。



 栞姉にすべてを話したわけじゃなかった。

 あの自称魔女の言葉を思い起こす。



『私はね、未来が分かるの』



 青空に浮かぶ三日月のような笑みと、対価として支払わされた溶けかけの青い棒突きアイスと、アスファルトに転がる蝉の死体を一緒に混ぜ込んだような。

 どろりと冷たいあの声を。





『──あなたは、ろくなオトナにはなれないわ』





 黒猫は塀に飛び上がり、振り返りもせずに去っていく。

 どこへ向かうかなんて確かめることなく、俺は首を前へ戻した。





「知ってる」

 

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