ぼくたちの不登校部 〜小さな魔女と未来の話〜
さちはら一紗
一章 世迷魔女
第1話 ジャングルジムの小さな魔女
その日は、なんでもない日だった。
大きな事件はひとつもなく、天気はとてもよかったから、学校に行きたくなかった。
そんな平日の晴れ空の下。
涼やかな風が木々をざわめかせる中で。
夏が終わったことを知らない蝉がか細く鳴く残暑の中で。
黒猫に横切られるように。
俺は、魔女に出会った。
◇
教室の窓から顔を出して、下を覗き見たことはあるだろうか。
生ぬるい風を浴びながら、横でばさつく埃っぽい薄黄のカーテンの気配を感じながら、手の届かないほど遠く、けれどすぐ近くにあるようにも錯覚する真下を覗き見たことは。
このまま落ちたらどうなるんだろう、と空想したことはあるだろうか。
俺にとって学校をさぼるということは、大体、それと同じようなものだった。
いや、この感覚と『落ちる妄想をする』ということは、少し違うかもしれない。
破滅的な結末がわかりきっている薄ら暗い好奇心とは。
よく似ているけど強いていうならば、そう。
道路の模様を踏んで歩くという一人遊びの最中やめ時を見失って
「このまま足を踏み外してみたらどうなるんだろう」
と夢想するような、そんな些細でつまらない感覚だ。
つまりなんだっていうと、大事なことはひとつだけ。
「別にどうということもない」だ。
死にもしないし怪我もしない、あるのは一瞬心に渦巻くもやだけだ。
ほんの少し道を踏み外してみたくなった。
別にそれで世界が変わるわけでもないことを知りながら。
そんな曖昧な理由と感情で、真昼。
俺は制服のまま、今日もひと気のない町を歩き回っていた。
俺──
平均身長平均体重。
勉強も運動も可もなく不可もなく。
友人も多い方ではないだろうが困るほどではなく。
家庭環境も今時珍しくもない母子家庭というだけで特記するような問題はない。
平均なんて知らないから適当だけど。
自覚するような不自由も特になく、ぬくぬくとのびのびと育ったつもりなのだが。
どうしてだかこうやって、さしたる理由もないくせに時折学校をサボる非優良児と化してしまった。
学校に行った方が楽しいのは理屈では理解している。
夏休みの最後の方なんて、やることがなさすぎて早く学校が始まらないかとまで思ったものだし。
何度かこういうことを繰り返して、皆が教室で授業を受けている間に本来いるべきところでないところにいるのは、ひどく息苦しく退屈なだけだと身に沁みているというのに。
どうしてだか、やめられずにいた。
要するに、中学二年特有のアレなのだ。
そう俺自身は解釈している。
だからといって治す気もあまりない。
治し方を知らないし、名前からして期間限定かつ自然治癒性の病なのだろう、中二病なんてものは。
でもって大人、特に教師陣はご大層に何か悩みがあるんだろうなんて慮ってくれるわけだから外部ブレーキもないわけだった。ザ・駄学生。
いや、女手ひとつで育ててくれた母親にちょっと申し訳ないという気持ちはあるのだが。
「いいよいいよ、そういうこともあるよねー」と適当なことを言って、毎日バリバリと仕事をこなしているので、ちょっとその言葉に甘えている。
そんなふうに、当て所なくさまよい歩いて。
誕生日に貰った腕時計で時刻を確認し、まだ二限目の時間だということに軽く絶望しながら暫定目的地に辿りつく。
目的地、というのは坂道の先にある寂れた小さな公園だった。
がらんとして人はいない。
閑古鳥の鳴き声が今にも聞こえてきそうだ。
辺りをぐるりと見回した。
幼い頃にここを使った覚えなどないのでノスタルジーなんて微塵もないはずなのに妙にしっくりとくる。
ブランコ、滑り台、ジャングルジム、どれも古びていてうっすらと錆が浮いていた。
さて今日はどれにしようか、と三秒ほど悩んで、低いジャングルジムの中腹に腰掛ける。
ベンチよりは見晴らしがよく、滑り台よりも開放感があり、ブランコは漕ぐ気力がない。そんな理由だ。
馬鹿は高いところがほどほどに好きなのだった。
一息をついた辺りでスマホを取り出し、通知を確認する。
『休みかい?』
友人の榎本からのメッセージだった。
送られた時刻は明らかに授業中なんだけど。
相変わらず、あいつは真面目そうな雰囲気をしているくせに、ほどほどに不真面目なやつだなと思う。
学校をさぼる罪と授業中にスマホをいじる罪、どちらが重いだろう?
多分前者の方なのに、ネチネチと説教をされるのは後者の方。
割りに合っていないな、と思う。
『休みだ』
そう、いつものように返信をし、電源ボタンを軽く押した。
その時だった。
「わるい子ね!」
笑い声を混ぜ込んだような軽やかな声が、背後で、頭上でした。
「うわっ!?」
俺のスマホの電源ボタンはいつの間にミサイルの発射ボタンになったんだ、とでも言いたくなるような衝撃だった。
俺が座っているのはジャングルジムの上だぞ、それも、朝っぱらの人の気配なんて微塵もなかった公園のだ。
背後から声って、そんなわけあるか、と後ろに首を回し……
ジャングルジムのてっぺんに仁王立つ、得意げな笑みを浮かべる女と、目があった。
「…………は?」
言葉が出ない。
こいついつのまに登ってきたんだ、とか。
然程高くはないとはいえ、てっぺんに立つとかバカじゃないのか、というかスカートの中身この角度からだと見えそうだからやめろよはしたない、とか。
色々あって、ありすぎて。
とりあえず後ろを見続けた首が痛くなったので俺はジャングルジムから飛び降りる。
下に置いていたリュックに蹴っ躓きそうになったりもしながらだ。
まったく、格好悪ぃなあとしかめ面。
そうして未だ上に立つ、異様な女を凝視する。
女の子は、ここいらでは見られない、古臭い黒いセーラー服を着ていた。
物珍しい青色のスカーフがふわりとなびく。
一体、どこから来たのだろう。
年は同じくらいか、それとも少し上だろうか。
長い髪は景色に沈むほど黒く、制服と相まって陰鬱で寒々しい。
だが、相反するようにその顔立ちは華やかなものだった。
焼けることを知らないような白い肌に嗜虐的に歪む赤い唇、ぱっちりとした猫のようなつり目。
化粧なんてしてるはずがないのに、どことなく作られたような雰囲気のある美人だった。
いやいやいや、見とれている場合じゃない。
「誰……いや、何だお前」
「今、何で言い直したのかしら? 『誰』でよくなかった?」
彼女はほんのりと、不愉快そうに眉を寄せる。
「得体の知れない奴は『誰』よりも『何』の方がしっくりくるだろ」
「なるほど、三分の二理くらいはあるわね」
そう言って軽やかに速やかに、彼女はジャングルジムから跳ぶように降りて、崩れた膝丈のスカートを優雅に払った。
そして、彼女の靴がローファーやスニーカーではなく赤いよそ行き靴だということに気がつく。
高いヒールは透明で、まるで数センチ宙に浮いているかのようだった。
お前、なんて格好で遊具に登っていたんだ、信じられないと顔いっぱいに主張してみるが、彼女はこっちのことなんか微塵も気にしちゃいなかった。
「その理屈に免じて、答えてあげましょう。自己紹介というやつね」
名前も得体も知れない少女は、小説のような話し方、演劇のような動き方のまま、俺の前へと詰め寄った。
どう考えたって初めましてのはずなのに、なんとなくデジャヴ感を引き起こす。
「
現実にそぐわない単語が、聞こえた気がした。
気のせいだろうか。気のせいだろう。そういうことに、しておこう。
それよりも大事な問題があった。距離があまりに近すぎるのだ。
ふわりと香る花のような匂いに一歩後ずさり、その後「よろしく」とにこやかに差し出された手をまじまじと見つめる。
別に穴あきグローブの着けられているわけでもない、白くて細い普通の女の子の手だった。
握れるか、んなもん。
目を逸らす。
まじまじと見てしまった途端に照れくさい。
「……乙浦珠海」
握手は無視した形になったが、彼女──間宵は特に気にしたそぶりも見せず手を下げた。
「タマ、ね。覚えたわ」
「……もしかしてそう呼ぶつもりなのか」
「そうよ? 覚えた、と言ったじゃない」
抗議される謂れはないとでもいうような、とぼけた顔だった。
俺は猫かよ。なんとなく癪に障る。
「俺、犬派なんだけど」
「そう、魔女は太古の昔から猫派と決まっているわ」
二度目の魔女発言は流石に空耳扱いができなかった。
でもってこいつは俺の抗議を受け入れる気がなかった。
双方向から目眩がやってくる。
が、ここで折れるのは我が校を代表する突発的不登校児の名が廃る。
聞き分けが良くてはやってられないのだ。
「……マヨ」
「はい?」
「間宵。だからマヨ」
「……」
間宵の笑みが消えた。
「こほん。乙浦クン、それじゃあ本題に入りましょうか」
さいわい、彼女はそれなりに聞き分けが良いらしかった。
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