私の平等
平等とは、十人いたら、十人に同じ対応とすること。
――ではなく、一人一人に違った対応で、誠意を尽くすことである。
これが私の信念のひとつ。
我が家は、配偶者が二十一人いる。全員を同じように好きでいるかというと、やはりそうではない。あまり話をしない人や、会うこともなく日々が過ぎてゆく人もいる。お互い無理して一緒にいたり、話したりする必要もないだろう。他に強く惹かれている人がいるのなら、その人のそばにいて欲しいと思うものだ。妻としては。
逆に、どうしようもなく好きな人が私はいる。先日、ある物語を読んでいて、この言い方が当てはまるなと思った。
「好きすぎる」
光命は私にとって、まさにこれである。そんな彼は今、コンサートツアーの真っ最中で、十月にならないと家へ戻ってこない。
彼のいない毎日で、ふとした隙間に思い出すたび、寂しくて涙がこぼれる。これが他の人なら、
「すぐに帰ってくるよ」
と、気楽に考えて待つことなど苦でもなんでもないのに、彼に対してだけはできない。結婚して、もう四年も経つのに、こんなところは変わらない。いつまで経っても、この恋は色あせないのだ。不思議である。
神である光命には、私の心の声は聞こえてしまう。出発前に寂しがっていて、彼を困らせることはできないと、平気なふりをして見送った。泣きそうな時は、彼の方には本体の私がついていくから、彼さえ寂しくなければ、私は満足だと、自分に言い聞かせた。
今こうして泣きながら、文字を打っているのを、代わりの燿が見ているのだろう。そして、これは光命に報告されてしまうのだろう。
会いに行けばいいのだ。心はどこまでも自由に行ける。霊層さえあれば、どんな遠くにでも行ける。
今夜はまた、光命に会いにいってみるか。遠いからうまく霊視できるかわからないが……。
2021年7月10日、土曜日
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