第17話 安藤昌益とレーニン

 忘れられた思想家と呼ばれる安藤昌益。中公新書で明治以前の科学思想家について述べた本の中で、安藤昌益も取り上げ、

「安藤昌益は、自然は不可知であり、農業労働を通して経験的に理解するものと考えていた。」

と結論づけていました。その根拠は、稿本自然真営道で、「古来聖人は、天地のことは不可知であるとしていた」旨書いていることを見た物でしょう。その部分の写真が掲載されていましたから。しかし、安藤昌益は聖人とされる存在は支配と被支配を作り出した支配者の虚言であるとする主張です。著者は、その安藤昌益についての初歩知識もなく、聖人の言葉を理論としているという知識で、稿本自然真営道をチラッと見ただけで論説していたわけです。研究者として赤面して、その著作の改訂をするところですが、それは全く気が付かなかったようです。安藤昌益の自然理論は非常に面白い物です。その考え方、自然理解に、今応用したと思いますが、彼が気の流れの観測方法というのは、全くの非科学的なものです。

 「マッハって、速度のマッハと関係あるのですか?」

「マッハは、単なる観念論者であって、関係ない。」

「先生。速度のマッハは、そのマッハに由来するんですよ。アインシュタインは、マッハの影響を受けたと言っています。」

「マッハは、そんなに立派な科学者だったのかい?単なる、時代遅れの観念論者と思っていたよ。」

 30年以上前、大学卒業後のマルクス経済学のゼミの集まりでの先生と教え子の会話がありました。

 マッハは、ニュートン力学の綻びが見え、光の伝導物質エーテルの存在に疑いをもたれる時代に活躍し、苦悩した科学者の1人でした。これが、アインシュタインの相対性理論で解決したわけです。

 その彼が、マルクス主義を学ぶ者から不当に低い評価を受けていたのは、レーニンの「唯物論と経験論批判」で徹底的にマッハが罵倒されているからです。

 この中でレーニンは、ニュートン力学の問題点への指摘やエーテルの存在への疑問を、観念論者であるとして徹底的に攻撃しています。レーニンの唯物論弁証法の考え方は、相対性理論を受け入れた方が都合がよかったくらいなのですが、ニュートン力学ということ確固とした物やエーテルという物質を否定する動きは唯物論を否定すると思えたのでしょう。

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