第14話 信長様も辛かった

 最近、中公新書「応仁の乱」を読みました。ここでは、大和地方を中心に述べられています。印象としては、内部では、ついたり、離れたり、妥協もせず、延々と戦いあっている、そして、外部を引き入れたり、提携したり、そして乗り換えたり、裏切ったりと、何時まで争いあっているんだ、と思うほどです。ここに、

「我々には、〇〇〇国の吟じがあります。」

とかは存在しません。

 そういう状態のところに、関与したら、あちらを立てると、こちらが立たず、一国全体の利益あるいは平安の観点から妥協を模索しても聞き入れられないというところでしょう。

 どうも、最近の信長研究を見ると、現在の政局、政府批判から、悪い中央🆚地方の論理または一丸となった地方的な主張が幅をきかせているような気がしてなりません。

 例えば信長、あるいは秀吉、光秀の立場から見れば、

「そんなこと言ったて…。どうしたらいいんだよ!こっちだって苦労してんだ!」

というところではなかったか。松永久秀の離反、秀吉の播磨、光秀の丹後の総崩れの原因も、信長政権、秀吉、光秀の統治とかではなく、

「あいつも一緒なのは嫌だ。」

「なんか、あっちの勢力の方がよさそうだから、皆でつくか。」

「なんかやばそうだから、元に戻るか。」

「やっぱりあいつとは居たくないから、元に戻るか。」

等々の一貫性のない集合離散だとみたら、かえって理由が分かりやすいのではないでしょうか。

 さらに、応仁の乱以後の体験から、何時までも継続して戦えると考えて、かなり気軽に行動したのではないでしょうか。今日の我々は、信長に徹底的に叩かれる、攻め亡ぼされるということを考えることが出来ますが、彼らは信長軍がこのまま引きあげて行ってしまうと考えていたのではと思います。悲壮な覚悟で、

「我らの一分を守るのだ!」

というものではなかったと思います。

 それを前にして、出来るだけのことをしたけど、駄目だったので、の結果が、今日我々が見ている、信長、信長軍の行動だったのように思います。

 もちろん、これは信長側の勝手な都合なわけですが。かと言って、それが悪だというわけではないということです。

 ところで、関係はないのですが、実際は女城主でも、石田三成の水攻めをしのいで、反撃して撃退したとされる関東の忍城は歴史資料では、水攻めを受けたということだけしか確認されず、水攻めが進みつつある、まだ水を貯めている段階で、北条方が降伏したと推定出来るものだけのようです。それが何故、女城主の下、一介の一武士が主導して、大軍を撃退したという映画が、歴史資料に基づいたと銘打って放映されました。

 また、お城ブームもあり、各城の歴史が詳しく紹介されるこてが多くなったのはいいのですが、

「大軍を相手に、苦しめ、大損害を与えて」

「大軍が攻めあぐね、和議を持ちかけ」

半日で陥落であったり、僅か数日で和議が成立したりという場合がかなりあります。損害をものとはしない力攻めや“どうも損害が多く出そうだ。損害出したくないしな。”ということはあっても、“攻めあぐみ”“大損害を与えて”“苦しめ”という“表題”は過剰広告のように思えます。秀吉は、調略により無血開城ばかりしていては駄目だ、力攻めで落とすこともしなければならないと指示していますが、全体を見れば、調略による無血開城=損害のない城攻めが基本であることを言っているわけです。

 これで行けば、先の例は攻城側の想定内の勝利であると言えます。過大表題は、やはり最近の主張者の現在時点の政治批判を無理矢理反映させているように感じてしまいます。

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