第9話 新井白石の近年の復帰の怪

 何時だったか、この時点で、それ程前ではなかったと思います。

「新井白石は、石器を見て、北方の遊牧民のものだろうと言っていました。石器を、神世の人のものと神様が作ったものと考えていた当時にあっては、実に合理的、近代的な思考でした。」

という解説を耳にしました。

 これには、「?」と思ってしまいました。

 新井白石の言葉は、孔子が、石鏃を受けて死んでいた鳥を見て、遠くから来たと言って、その訳を説明したことを受けての言で、江戸時代には、「とかく儒学者は、孔子の言をそのまま引用するものだ。」と批判されていたものです。また、「神世の人」という言については、たしか講談社新書「日本人は何処から来たか」だったと思いますが、「日本書紀・古事記以前の人」という認識で、新井白石の考えより、一歩も二歩も進歩した考えとして、評価して、紹介していました。岩波新書「古代国家の起源」だったかと思いますが、新井白石の邪馬台国=大和説と比較して、本居宣長の九州説では、中国史書の漢字の意味を厳密に検討していることを評価していましたが、現在では、一方的に本居宣長の九州説を皇国史観の非合理説、新井白石を近代的と評価する逆転現象が生じています。

 新井白石の功績として高く評価されている日本からの金銀流出の警告ですが、1960年代の研究で、かなり問題があることを指摘されています。実は、かなり以前から、かなり、金銀決済ではなく、銅決済もしていたのです。さらに、他の物品の輸出、のちの俵物の前身といえるものもされていました。新井白石は、それを全てが金銀支払いと仮定して計算したものであるとそこでは、厳密に説明されています。

 金銀流出防止の貿易制限も、徳川綱吉政権下で、逐次強化されていました。しかも、金銀銅に代わる輸出品の試みを、試行錯誤しながら、長崎のオランダ商館と協力して試みていました。貿易制限しか考えがない新井白石より、綱吉政権の幕僚は、はるかに優れています。

「新井白石は、それだけではない。」

と強弁がされる時があります。京都の絹製品を将軍に見せ、

「日本で国産できるので、輸入する必要はありません。」

といったことで、積極的な政策もあったというのです。

 しかし、“できる”というだけで、国産品で取って代われるものではないこと、輸出できるわけではありません。生産量、安定した品質、価格、流通網、さらにブランド感を考えて、政策を実施しないとなりません。

 やはり、新井白石は、実際に、それを行っていた綱吉政権より、はるかに劣る政策担当者としか言えないでしょう。それが証明されている先行の研究を全く無視して、歴史が創られている状況に不信感を感じます。 

 また、次の彼の言葉から新井白石の兵学家として高く評価した人もいました。

「鉄砲の時代では孫子は通用しないのではないか、と言う人がいるが、鉄砲などは初めは驚いたが、なれれば何でもない。だから、孫子の兵法は今でも通用するのだ。」

 孫子の中の一部の記述は、兵器の発展で通用されなくなっていますが、それを超える、時代を超える孫子の普遍性があるのです。それを述べるのではなく、「鉄砲など役に立たない」=「孫子」は通用するのだという主張は、兵学家としては無能、単に古典をひたすら固守する儒学者に過ぎない新井白石を証明し、彼を評価する人の不勉強を証明するだけのものでしかありません。

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