第8話 スカラーとエジソン、勝利者は?

 エジソンは、電力事業で直流にこだわり、交流を頑なに拒否した結果、自分が創設した企業からも追われ、交流に対する悪宣伝、交流式の処刑用電気椅子など(実際は彼は直接関係したわけではないようですが)、の悪評を後世に残す結果となりました。これだけを見ると、エジソンが明らかな敗者のようですが、必ずしもそうではありません。

 スカラーが責任者となっての交流発電事業は、彼のあまりの理想を追うやり方のため、一向に進展せず、一方のエジソンは着々と直流電気事業を進めていました。交流発電事業が進展するのは、彼が追い出されてからでした。彼のために言えば、その際、彼は世の中のためということで、快く特許を譲り渡して去ったということです。

 第2ラウンドは、無線事業でした。エジソンも、無線開発の競争者の1人でした。ただ、彼にしては珍しく、マルコニィの特許を認め、周辺機器開発事業に力をいれることに転換しました。エジソンは、この時点で実用水準、距離は、短くとも、の無線機を作っていました。スカラーとはいうと、交流発電事業と同様、有力なパトロンを得て、巨大機器を建造したものの、通じる無線通信は出来ていませんでした。それでも彼は、「マルコニィは、自分の特許を何十も使っている」

と強気でしたが、マルコニィが大西洋間無線に成功したことで、またしても追い出されました。まあ、この辺は、テレビドキュメント番組からのものですが、そこでは、彼が、自分の無線事業は、全ての電気器具と結び合わせることを構想するという現在ようやく進行していることを、あまりに早く考えて、実行しようとした時代をはるかに超えた発想のため、他人に理解されなかったための悲劇の天才としていました。しかし、このようなことは、例えばエジソンもしていました。彼だけの「天才」ではないのです。

 エジソンは、鉄鉱山経営に失敗しました。無人・オートメーションシステムなどの機器を一から開発し、完成させ、技術的には成功、ただし粉塵のために保守員多数が必要になり、無人・オートメーションにはならなかった面もありましたが、直後に品質のよい大鉱山が発見されたこともあり、大きな負債を抱えて失敗したものの、彼は主要設備をセメント事業に転用して大成功しました。ちなみに、エジソンのシステムから、フォードは、フォード・システムを発想したと述べています。

 スカラーが、大スポンサーに頼って、彼では事業化出来ないと判断され追い出されました。エジソンは、成功、失敗を繰り返しましたが、自ら事業化まで進みました。エジソンも、高い、そして、時代を超えた構想はありましたが、今何が必要かを理解し、発明、開発しました。

 二人を分けたのは、その点だったと思われます。

 晩年、鳩に餌をやるだけが楽しみにする安宿暮らしのスカラー。

結局は実用には遠かったと評されるものの、死ぬまで、多年草からの天然ゴムの採取、製品化に取り組んでいたエジソン。その話を聞いた現代の環境運動家は、エジソンのそれを称賛しました。どちらが勝利者と言えるでしょうか。

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