第7話 ソクラテスと桜田門外の変
この二つに関係があるかと言うと、全く関係はありません。しかし、重要な事実関係があるのに、それを無視して、ああだ、こうだと言っていることが類似しているため、あげたものです。
順序を逆に、桜田門外の変について言うと、刀にかける袋の紐をはずしている時間を測定して論じるテレビ番組がありましたが(刀剣の専門家が紐は結ばず、かぶせてあるだけで即座に刀を抜けると主張してもいますが)、あの行列の大部分が長屋の熊さんハッサン達であるという指摘をあげると、副次的なことでしかなくなってしまいます。江戸時代も後期になると各大名家は赤字財政、それを何とかするため四苦八苦していましたが、一番の経費がかかる江戸藩邸の対策が不可欠でした。人員削減、でも江戸城へは格式に基づいた決められた人数等で行かなければなりません。数合わせのために、格好だけ藩士に仕立てたアルバイト、その時だけの、を雇っていたのです。その比率は、2/3にもなった場合もあるとか。桜田門外の変では、籠を捨てて逃げたということで、それは確実なアルバイトの熊さん達です。そんな重要な役がアルバイトなら、かなりの比率だったでしょう。斬り込む、決死の尊皇の志士、多分竹光刀の熊さん達は、当然のこととして右往左往、逃げ惑うでしょう。その状況を想像してみて下さい。この混乱の中では、刀を抜いた本当の彦根藩士もどうしようもなかったでしょう。
さて、ソクラテス先生です。
ソクラテスの裁判と同時期に多数の告発、裁判がありましたが、その多くは、敗戦後スパルタの占領軍の力を背景に独裁、圧政を敷いた三十人委員会側などに対する復讐裁判でした。スパルタの仲介で、三十人委員会関係者への復讐が禁止されていたため、事実無根の罪での告発したものです。ソクラテスは、三十人委員会側の人間として復讐の対象の1人だったわけですが、それを無視し、何か意味つけをしようとする人が絶えません。はては、30人委員会が、本当に、一番恐れ、殺そうとしていたのはソクラテスであり、同政権が、もう少し延命していれば、ソクラテスを処刑していたであろう、と主張する人すらあります。しかし、唯一のソクラテスの反30人委員会行為、命令無視後も、ソクラテスには何らのお咎めなし、さらに民主主義派の決起後、支持者確保のため、500人委員会に拡張、その中にソクラテスも入っていました。もちろん、勝手にソクラテスの名を入れたのであり、ソクラテスにとっては預かり知らぬことだったでしょう。しかし、ソクラテスは拒否することはありませんでした。また、この中に名が入ることで食糧供給などの特権がついているのです。さらに、穿った見方をすると、ソクラテスへの命令も、30人委員会の中のソクラテスの弟子であるクリティアス達が、
「ソクラテス先生は我々の側なんだ」
と内部での非難に反論するため、師に箔をつける、功績を挙げさせるためだったと考えられないでしょうか。不肖の弟子からは、
「弟子の心、先生知らず」
でしょうが、彼らは
「ソクラテス先生らしいな」
と苦笑するばかりだった図を描くのは、間違えではないと思えるのですが。
同時期に、市民ではないのに、市民をかたらって、市民にだけ許されている行為を行ったとして告発された男がいます。
彼は以前に功績を上げ、解放奴隷ではありながら、市民権を与えられたり人物で、30人委員会との民主主義派の勝利後、その戦いでの功労者に与えられる勝利の行進の100人に選ばれ、さらに、その功績で幾つかの特権を与えられています。これは考古学的にも、それが記された石版が発見されていて、今日では証明されています。しかも、30人委員会との戦いでは、有志が決起したものの、ろくな武器もなく、多くの市民が様子見を決め込んでいる中、いち早く参加した人物です。その彼がなぜ?それは彼が多数の人から、復讐の対象とされていたからです。彼のために、自分達の肉親、身内が死んだ人が多くいたからです。
彼が犯罪を犯したわけではありません。スパルタとの戦いで、敗色濃厚で、和平交渉、降伏交渉ですね、が進められている中、愛国派はスパルタからの和平使節を殺害して、和平交渉を決裂に持ち込もうとの陰謀を企てました。それは事前に発覚し、関係者の証言を、彼は求められました。が、彼はそれを拒否して国外に逃亡するということはせず、証言しました。そのため多くの人々が処刑されるこてになりました。ただ、普通は首謀者の幹部だけが処刑の対象となるだけで、このようになるとは彼も思ってはいなかったでしょう。しかも、当時の状況は、アテナイにとって最早更なる抗戦という状況ではないことは一目瞭然であり、和平使節を殺害するなどは非道な行為です。彼の行為は、情状酌量されていいものと思われます。彼が決起に参加した時には、少しでも味方が欲しい時に、彼を殺そうとする者がおり、さらによくない待遇をされました。それをわかっていながら、決起にいち早く参加し、アテナイのために奮戦した功労者にさえ、このように告発されたのです。ソクラテスが、告発されないのは、おかしいくらいでしょう。「ソクラテスは何故殺されたのか」ではなく「過去の憎しみによる呵責ない断罪は何故になされたのか」ではないでしょうか、こうなると。
ソクラテスは、民主派という側の感情に動くことを知っていたから、支持しようとも思わなかったのかもしれませんが。
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