第5話 土方歳三は新米士官に指揮を任せて自分は後ろにいた?

 土方歳三は、敗勢濃い中、少数の兵を率いて壮絶な死を遂げたとされていますが、NHKで、随分前ですが、それを否定する説が紹介されました。

 ある作家が見つけた、函館戦争に参加した幕府側士官の手記では、敗走して来た自分達の前に土方歳三が一隊を率いて現れ、自分に兵の指揮を任せて、自分は

「逃げる奴は斬る!」

と叫び兵をとどめた。彼が、託された兵を率いて進み、戦っているうちに気がつくと自分だけになっていた。

 番組では、土方歳三は味方から後ろから銃撃を受けて死んだのではないかと示唆する形で終わりました。

 でも、常識的に考えると、この手記はかなり非常識ではないでしょうか?

 土方歳三の率いる隊は、戊辰戦争中常勝軍団とも言えましたが、それは土方歳三がいたからであり、かつ、彼がいれば勝つと信ずる歴戦の兵士が少数でも中核にいてこそでした。それは、彼自身もよく知っていることであり、周辺の経験の少ない兵士達もよく知っていることだったはずです。

 一旦は、敗走して来た友軍の兵士達を

「逃げる奴は斬る!」

と止めたでしょう。ある程度まとまった段階で、彼らも率いて進むのが常識です。彼が率いて来た隊に加えれば、敗走してきたバラバラの兵士達でも、そういうことで、まとまった兵力となります。それを見れば、次々に敗走してきた兵士達も自主的に加わってくるはずです。

 しかし、時間こそ戦機だから彼に指揮を託して先に行かせた、と反論があるかもしれません。しかし、それなら、どこの馬の骨か分からない若い士官に任せるでしょうか?彼が率いていた兵の中の副官的な者にこそ任せるはずです。土方さんだからこそついてきた兵士達が納得できるはずはないですし、そのようなことも分からない土方歳三ではないはずです。実際、指揮をまかされたと称する者の手記では、指揮官たるものが、気がついたら自分だけになっていた、という指揮官とはとても言えないうっかりさんです。指揮官たるもの、常に全体に気を配っていいなければならないものです。この手記なるものは、かなり割り引いて読まなければならないものとしか思えません。良くて、敗走途中に土方歳三に

「逃げる奴は斬る!」

と言われて、足を止め、進む彼の後に自分もその他多数の兵士達の1人だったということに過ぎないものです。後は、自己顕彰に過ぎないものです。殆ど新しいことはありません。常識を当てはめれば当然起こる疑問を、どうして抱かず新たな真実として持ち出すのか、とても不思議です。

 次に上杉鷹山についても言及します。改革を進めて行く途中で反対派が出てきて、危なく押し込まれるところを脱出した彼は、全藩士を集め、改革をすすめることの是非を問うた。これを、民主主義とか、意思の共有とか主張する人々がいますが、状況と常識から考えると、踏み絵を踏ませたというのが本当ではないかと思えます。

 藩主押し込めは、幕府も認めた行為でした。成文化していたわけでもなく、明確な基準や方法など決められていたわけではありませんが、藩士達が一丸となっての行為として、幕府は容認していたのです。

 その方法も色々あるようですが、上杉鷹山の場合は、藩主を追い込んで、苦しませた挙げ句に、自分達に合意の言葉を吐かせる、認めさせるという方式の範疇でしょう。家老達に一室に閉じ込められて、彼らが納得しない限り動くことすら出来ない状態に追い込まれました。ここから、彼が屈服するかどうかが、両者の勝敗の分かれ目です。そして、上杉鷹山は、その場を側近の機転もあって脱出してしまいました。既に勝負あったと言えます。

 また、前藩主の養父が、彼の側に立ち、

「無礼打ちにせよ!」

と激怒しています。“引退、隠居した前藩主が、激怒したって何にもならないじゃないか。”と言われるかもしれませんが、孝を最優先にする江戸時代は、父に対するそれは我々が思うよりずっと大きいのです。隠居した前藩主が死ぬまで、藩主はやりたいこと(改革や倹約)が出来ないということは数多くありました。

 また、幕府は藩主押し込めを容認していたものの、アフターケアもしてはくれませんし、その後の処罰禁止などもありません。前藩主による報復だってあり得ます。自動的に、そのまま続けて、前藩主も押し込めなどはなりません。報復防止は藩士の協力体制にかかっているのです。

 すると、既に勝負あった、前藩主は激怒して、過激な措置を言っているのです。

 そこで、

「改革に賛成か否か?」

との問いは、

「あいつらに義理立てして破滅するのを選ぶか?」

ということに、藩士達には聞こえたのではないでしょうか?その後、それで得た藩士の声をも背景にして、家老達に過酷な措置をとっていますが。

 また、上杉鷹山の改革の個々の清算はどうだったのか、部分的にしか言及されないことに不満を感じます。藩士の俸禄を半減しま措置を何時までたっても続けて、次の藩主がそれを止めたらたちまち藩財政が困窮、隠居していた上杉鷹山が復帰して半減を復活して、藩財政を救うわけですが、それでは、彼の政策の成功は俸禄半減で成り立っていたということになるのですが。

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