第3話 日本軍の幹部は無能だった…か

「日本軍の兵隊は硫黄島でも、沖縄でも大変勇敢に戦ったが、幹部は無能だった」

 これはよく引用される言葉です。アメリカ合衆国政府あるいは軍による戦史なりの日本軍研究での結論と思われているのではないでしょうか。

 しかし、実はそんなものではなく、極東軍事裁判、東京裁判で検事側の証人として出席した米内光政海軍大将を罵った言葉なのです。

 戦前、短期間成立した米内内閣は親米内閣とされ、陸軍側の反発で昭和天皇の期待も虚しく崩壊したのですが、当時の陸軍大臣が被告で、被告が米内内閣を倒閣したことを米内光政に証言させようとしました。米内大将はしかし、のらりくらりとして、かつ、度のように言われても、「当時の新聞にも書いてあるだろう!」と言われても、「その通りですが、内閣は一致しておりました。」と言って検察側の求める言質を与えませんでした。これに苛立った検事側が、

「日本軍は兵士は、硫黄島でも、沖縄でも勇敢に戦い、大変優秀であったが、幹部が無能であったことがよく分かった。」

罵りました。結局、この点での有罪化はできませんでした。日本側でも、米内大将のやり方には非難があるものの、裁判長は、

「米内が勝った。」

と評しています。ですから、この言葉は、負け惜しみ、漫画などでの、敗れた悪役の、

「次に会った時はこうはいかないぞ!」

「勝ったと思うなよ!」

の逃げる際の言葉と同様のように思えるのではないでしょうか。

 日本軍幹部(米内大将)への敗北宣言と聞こえてくる、この言葉を日本軍分析に引用して、自分の主張を補強使用とする人が多いのどうしてでしょうか。

 日本軍関係なくても、前後を切り離して、状況を考えずに、自分の主張に使う例はかなり多くあります。

 石原完爾。満州事変の立案者であり、世界最終戦などの著作とともに、日華事変、太平洋戦争に反対した陸軍幹部です。彼は、

「満州事変を起こした責任は自分だ。」

と東京裁判で堂々と主張したことで評価されていますが、随分前、確か朝日新聞だったかと思いますが(当時購読していた新聞が、朝日新聞と読売新聞だったのですが)、旧日本軍幹部が自分の責任を取ろうとしなかったことを非難する特集で、

「満州事変の責任を認めたと評価されているが、責任をはペリーにある、彼が来て、開国していなければ、日本は平和な農業国だった、と主張するていたらくだった。」

と書いてありました。

 しかし、小林ヨシリン先生の「ゴーマニズム」では、様相が異なってきます。

 当時、病床にあった彼は、熱心な彼の支援者により大八車で運ばれ、

「何時になったら呼び出されるかと待っていた。」

と言ったあと、検事側について罪状を尋ね、

「何時の時点から罪状なのか?」と質問したところ、

「日清戦争からである。」

という回答に対して、前述の言葉を述べています。あまりに馬鹿らしい主張に対する皮肉で返した言葉であり、さすがに検事側もすぐ撤回して、第一次大戦後の国際体制後からと修正したのを聞いた上で、

「それなら、私に責任がある。」

と満州事変での自分の責任を述べるとともに、日本にとってやむを得ない事情をとうとうと主張したことになっています。ここでは、彼がいかにも堂々と、自分の責任を認めつつ、検事側と渡り合っている姿になります。

 ヨシリン先生のファンではないし、先生としているのも、ちょっと皮肉るところもあります。

 しかし、朝日新聞の記載と矛盾もしていないので、まず事実ではと思います。

 今言ったように、朝日新聞の記載は嘘ではない、全くの事実であり、非難しても、事実であると胸を張って反論できるでしょう。しかし、前後、事情を切り取れることで、正反対の印象を与えているわけです。

 ヨシリン先生がらみで、もう一つ。

 占守島戦車戦です。「1945年最期の日ソ戦」(図書刊行会)の記載では、

「…多数の対戦車銃を持っており、このため相当数の戦車を失い…連隊長戦死後…歩兵と協力して、ソ連軍と攻防を繰り返した。」

「…戦車も20~30両破壊されたと見られる。」

とありますが、この記載では、対戦車銃で半数近くの日本戦車が破壊された、“なんて日本戦車は脆いのか。一方的にやられていた。”という印象を受けてしまうのではないでしょうか。基本的には多くの著書では一致していますが、ソ連軍陣地を蹂躙した、海岸線まで追い詰めたと期しているものもあります。

 「ゴーマニズム」では、どうでしょうか?戦車第十一連隊は、撤収作業中で、97式改中戦車の大半はすぐに発進できない状態で、池田連隊長は戦いは機先を制することであると判断し、準備が整った95式軽戦車を主体とした一部のみを自ら率いて先行、準備完了後に連隊主力は続くように命じて出撃しました。そして、遅れて出撃した主力部隊が見たものは、全滅した先行部隊の95式軽戦車の残骸、1両が全乗務員が戦死しているはずなのに、ぼろぼろになっても動いている姿。弔い合戦とばかりに、97式改中戦車を主体とした主力部隊は、対戦車銃陣地を突破して、ソ連軍陣地を蹂躙して、今一歩まで追い詰めたところで戦闘を中止を命じられたと描いています。上半身裸で出撃した池田連隊長の悲壮感漂う姿も描かれ、彼が危険を覚悟してのことであることが、感じられます。これで見ると、損害の大半は95式軽戦車を主体とした先行部隊で、主力部隊は対戦車銃などをものとはせず、ソ連軍陣地を突破、蹂躙したことになり、97式改中戦車の力強さを感じてしまうでしょう。

 しかし、どちらが嘘かと問われれば、どちらも一致して、矛盾はありません。それでも、何処かを省略して、かなり異なる印象を与えることが出来るのです。

 ヨシリン先生の功績は、功績ということで。

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