四章 夜の付属病院
「先生聞いて、私、妹ができたのよ」
嬉しそうに笑うミナの元気な姿に診察を終えた医者は優しく微笑んだ。
「それはよかった。いつもより元気な理由はそれもあるのかな?」
「ええ!お父様はお仕事が忙しくて滅多に帰ってこれないし、お話できる家族が増えたのがほんとうに嬉しい」
「そうかそうか」
目を細めた医者はミナが幼い頃に亡くなった母親も看取っている。残された父親は東方との交易の仕事に夢中になることで寂しさを紛らわせていたようだが、病弱なミナが一緒についていくことはできず、彼女は世話係の婦人とこの家で長年暮らしていた。
「先生にも紹介してくれるかい?」
「んー、ミーナがいいって言ったらね」
「妹さんはミーナっていうんだね」
「そうなの、私とほとんど同じ名前。すごい偶然でしょ!」
診察道具を片付けながら談笑していると、婦人がお茶を運んできた。
「先生、いつもありがとうございます。どうでしょうか具合は」
「いやいや、素晴らしい回復ぷりですよ。先日のちょっと変わった旅人一行が採ってきてくれた薬の材料、あれの質が良くてね。効力の高いものができたというのもあるが、それよりなにより、気力の向上が著しい。妹さんができたと聞きましたよ。家族が増えたことで生活が充実し、張りができたおかげで本人の免疫力が上がっていることがなにより大きいですね。このまま安定していくといいのですが」
「よかった…」
婦人が医師を見送りに出ていったあと、ミーナがひょこりと顔を出した。
「お医者さん、終わった?」
「ええ」
ミナはにっこり笑ってミーナを手招きする。
「着替えるから待っててね。いいお天気だからお庭でお茶にしましょう」
「わーい!あのね、待ってる間ちょっと泳いできたんだけど、いいもの見つけたからその時に見せてあげる」
「何かしら、楽しみね」
ミーナはすっかりここでの生活に馴染み、毎日ミナと過ごしていた。庭でお茶とお菓子を楽しみながら、水底で集めたキラキラの戦利品を嬉しそうに広げるミーナ。
「こうやってお姉ちゃんと一緒なんて、夢みたい」
「私も妹ができて嬉しいわ。お母様が亡くなった時に、兄妹は諦めたから…」
「実はね、ミーナも兄妹に憧れてたんだ」
「そうなの?」
「うん。なんでかっていうとね、人魚はね、女の人しかいなくて」
「へえ!じゃあ結婚とかしないの?子供は?」
「あのね、ツガイにならないの。タンイジュタイ?ってやつ?なんだって。サイボーをブンレツして子供を作るの」
「えっ、細胞分裂?」
「お姉ちゃんわかるの?すごい!ミーナ難しくてよくわからなかった」
「本で読んだことはあるけど…」
「でね、お母さんは一回しか分裂しないから、子供はみんな一人だけなの。一人っ子なの」
「じゃあ人魚の子供には兄妹がいないんだ」
「うん。でもお話とか伝説だと、兄妹がでてくるのがたくさんあるから、兄妹ってどんななのかなーってちっちゃい頃からずっと気になってたんだ」
「家族はお母さんだけなのね。私はお父様だけど、一緒だ…」
ミナは一瞬寂しそうな顔をすると、改めてミーナに向き直った。
「ねえミーナ」
「なあに」
「お家へ帰りたくならない?お母さんに会いたくない?」
「…お母…さん…には…」
さっきまでの楽しげな表情はどこへやら、唇を噛み締めて俯くミーナ。
「お母さん…。でも…だって…会えないもん…。ミーナ、どうやってアトランティカへ帰ったらいいかわからないもん…」
「アトランティカ…?そこがミーナのお家のある場所なのね」
「うん。海があって、割れてて、大きな歯車があって。人魚ばっかり住んでる」
「海…割れてる…?歯車…??」
外に出られないため本は人一倍たくさん読んでいるミナだが、そのような場所に心当たりはなかった。
(お父様なら知ってるのかしら)
東方との交易が主だが、仕事がら顔の広い父親ならもしかして噂くらい聞いたことがあるかもしれない。
「でも、大丈夫だよ、ミーナここにいるから。ここにはお姉ちゃんがいるから寂しくないもん」
「ミーナ…」
えへへと笑うミーナをミナはぎゅっと抱きしめる。
「うん、私、あなたとずっと一緒にいるから。大丈夫よ」
「うん!」
「ミーナが来てくれて、妹になってくれてよかった」
「うん!!」
一方のアルドたちは、ここしばらく他に急ぎの依頼などもあって忙しくしていた。
「さて、今日こそ地図の情報を聞いて回ろう」
「何か情報があるといいわね」
ようやく落ち着いてアクトゥールに再びやってきた一行が歩きだすと、どこかから聞いたことのある声が聞こえてきた。
「お兄ちゃん、こないだのお兄ちゃん!」
きょろきょろとアルドが周囲を見回すと、すぐ近くの水辺から小さな頭が現れた。
「よかった、探してたんだよ!」
「ミーナじゃないか。元気だったか?」
膝をついて目線を合わせると、ミーナが水から上がってきた。
「ミーナは元気なんだけど、お姉ちゃんが」
言いながら、涙をぽろぽろと零す。
「お姉ちゃん、お姉ちゃん…」
「わわっ」
目の前で小さな女の子に泣かれて狼狽えるアルド。どっちみち目立つ外観のミーナから、この道端で話を聞くことはできない。
「どうしよう、どこか目立たない場所で…」
「ミーナ!」
慌てる足音と共にまた聞き覚えのある声がして、先日の婦人が現れた。
「急にいなくなるから心配したんですよ。どうしたの?…ってあら」
「あのね、お兄ちゃんたちを探しに出てみたの。そしたらちょうど会えたから」
「そうだったのですね。ともあれ、ここでは何ですからよければうちへ」
ぐすぐすと鼻をすするミーナに羽織物をかけてやりながら、婦人は屋敷へと一行を案内した。
婦人とミーナの話によると、あれからしばらくはミナの体調もよくミーナと二人で仲良く過ごしていたらしい。すっかり意気投合した彼女たちは本当の姉妹のようで、その仲睦まじく微笑ましい様子に婦人は影で涙をぬぐうこと度々だったという。
ところが二日ほど前に酷く咳き込んで血を吐いたミナは急に体調を崩し、もうずっと寝込んでいるらしい。高熱が続き、食事も取れない様子に医者もお手上げなのだという。
「だから、だからね」
一生懸命にミーナが語る。
「お兄ちゃんたちを探せば、なんとかなるかもしれないって思って」
心配のあまりミーナは水路経由で屋敷を抜け出し、アクトゥール中を回ってアルドたちを探していたのだ。
「そうだったのか」
アルドは腕を組む。
「しかし俺たちも医者じゃないからな…」
やりとりを聞いていたエイミとリィカが頷きあった。二人はアルドとサイラスを部屋の外に連れ出す。
「アルド」
「アルドさん」
「彼女の病気は『水結核』…かもしれないわ。お医者さんじゃないから断言はできないけど」
目を伏せて躊躇いがちに伝えるエイミ。
「前回お会いした時に全身のスキャンを簡易的にデスガさせてもらいマシタ。その結果及び今日聞いた症状を総合スルと可能性は非常に高いデス」
「そんな病気があるんだな」
「病の名前は時代や場所によって変わるでござるからな」
アルドの時代にはあまり聞いたことのない病名だったが、そういえば似たような症状で亡くなる人が何年かに一度いたような気がする。
「水結核はこの時代だと不治の病だけど、私たちの時代だと完治できる病気なのよ」
「本当か!」
「ええ。昔は罹ったら死亡率100%だったらしいんだけど」
「今ハ良く効く抗生剤があるはずデス」
「ただ…空気も水も衛生状態が徹底的に管理されているエルジオンでは、今はもうほとんど根絶されててめったに罹かる人もない病気だから、薬はそんなに一般的じゃないの」
「認可されている市販薬のリストにはアリマセン」
「いくつかの製薬会社はまだ作っていなかった?」
「〇〇社と☓☓社ハ数年前に製造を中止。現在も生産ヲ続けているノハ△△社のみデス 」
「直接行って売ってはもらえないかな」
「それは無理だと思うわ。実際の患者が目の前にいるわけじゃないもの。認可もされていない薬を外へ持ち出すことは難しいのよ」
「ではどうすればいいでござるか」
「エルジオンの医科大学にハ、再発生に備え昔の病気の資料などヲ保存シテイル研究室がありマス」
「そうか!もしかしたら、メディカル・レルムにある付属病院にも」
「その可能性は高いデス」
「少しでもあるなら行ってみよう!」
ミーナたちに一旦別れをつげ、未来へと飛んだアルドたち。早速向かった付属病院で問い合わせるも門前払いを食らってしまった。
しかし。
彼らは夜を待って病院の入り口でなにやら相談していた。
「やはり正攻法はダメでござったか」
「こうなったら申し訳ないけど」
「人の命がかかってるんですもの。手段は選んでられないわ」
エイミが全員の意見をまとめる。
「あるとしたら薬の保管室ね」
「かなり厳重な防犯が予想されマス」
「昼間院内の地図を貰っておいてよかった」
「道案内はまかせてくだサイ」
「それは…ちょっと…」
かくして一行は夜の病院に忍び込むこととなった。
警備のガードドローンを倒してしまうと騒ぎが大きくなるため、物陰に身を隠しながら進むアルドたち。見つかれば入り口からやり直しだ。慎重に先へと進む。ようやくたどり着いた薬保管室の電子錠をリィカが開けると、中から声がした。
「誰だい、こんな時間に」
まさか人がいると思わなかった一行は驚いて飛び退る。
「まあ、こんな夜更けの訪問者は、貴重なデータを盗みにきた産業スパイと相場が決まっているよね。僕の素敵な相棒に可愛がってもらうといいよ」
中にいたのは白衣を着た風変わりな研究員が一人。彼が手を上げると、天井から大きなドローンが姿を現した。
「侵入者 排除 プログラム 起動」
「僕は奥の部屋で調剤してるから、終わったら声かけてね〜」
のほほんと声をかけ奥の扉に消えた研究員だったが、急に襲われたアルドたちは構うどころではなかった。
空中を飛び回りながら警戒音を出すドローンが、長い4本の腕を伸ばしてくる。
「侵入者確認 4個体 人間2 KMS社製アンドロイド1 データ無シノ生物1」
目にあたる部分のガラスがちかちかと光る。あれがセンサー部分だろう。
大きさの割に小回りがきくのか意外と動きが早く、目の前にきた腕を払うので精一杯だ。
「くっ、狭い部屋だから大技は使えない」
「大ごとにはしたくないし、動きを停止できればそれで充分なんだけど」
「本体ノ大きさに不釣り合いな腕の長さデス。関節部を壊してバランスを崩せば自滅すると思われマス」
「よし、やってみよう。エイミ、まずセンサー部分狙えるか」
「任せといて!」
机に飛び乗り壁を蹴って。エイミは一瞬にしてドローンと同じ高さまで宙を舞う。
「いっくわよー!ブラストヘヴン!!」
単眼のモニターアイに渾身の拳を叩き込む。案の定衝撃には弱かったらしく小気味好い音をたててセンサーが弾け飛んだ。
「よし、俺たちも!」
「タイミングを合わせるでござる!」
アルドとサイラスが同時に反対方向にじぐざくに動く。センサーのなくなったドローンは二体同時に動きをとらえきれず、片方を追おうとしてもう片方を向いてしまい、体勢を大きく崩した。
「今だリィカ!」
「ガイアスタンプ!」
タイミングを見計らっていたリィカが大きく振り上げたハンマーを腕の付け根部分に振り下ろす。一本とはいえ歪んだ腕がぶら下がったままになった為、バランスを取れなくなったらしいドローンは宙に浮けなくなってふらふらと床に墜落した。白い煙が上がっている
「やれやれ」
「防犯カメラとかなければいいけど」
奥の扉をノックすると、先ほどと同じのんびりした様子で研究員が戻ってきた。
「結構時間がかかったね…って、おや?」
目の前の光景を確認し、かけている眼鏡を少しあげた。
「これは驚いた。僕の相棒が倒されるとは」
エイミが両手を腰にあてる。
「急に襲いかかってこられたら仕方ないじゃない」
「話くらい聞いてほしかったでござる」
「俺たちは産業スパイなんかじゃないんだ」
事情を説明するアルドたち。話を聞いた研究員はふむふむと頷いてから思案するように顎に手を当てた。
「なるほど事情はわかったよ。確かに薬はここにある。ここ以外には医大本学の研究室か製造メーカーくらいにしかないだろう」
「じゃあ」
「譲っていただけるんデスネ」
「いや。それは無理だ」
「どうしてでござるか」
「薬は厳重管理品にリストアップされているから、持ち出しや使用には権限と管理が必要なんだ。権利は僕も持ってるけど、どれくらいの量をどこの患者にいつ使用したかを細かく記録して残しておく必要がある」
「そんな…」
ここに、この時代にいない患者のことを記録に記載するわけにはいかないだろう。望みを失ったアルドの表情が曇る。
「………」
再び思案顔になった研究員は黙って奥の部屋へ入ると、小さな薬瓶と袋を手に戻ってきた。アルドたちに背をむけ大きな声で呟いた。
「これは独り言なんだけど」
(…なんだ?)
「薬って、使用期限がきたらもう患者には使えないんだよね。効果はまだあるのに、なにかあった時の保障ができないからって捨てちゃうんだ。あーもったいない」
手にした薬瓶を一行によく見えるように掲げる。
「この薬もさあ、水結核の特効薬なんだけど、患者さんが長いことでてないから明日で期限がきれちゃうんだ。新しいのがメーカーから届いてるから入れ替えとかないと。こんなことまで僕の仕事なんだ。研究だけしてたいのに面倒だよね」
がさりとわざとらしい音をたてて、薬瓶を袋に突っ込む研究員。そしておもむろにくるりと振り向いた。
「あれ、君たち見たことない顔だね。産業ゴミ回収業者の新人さんかな?ちょうどよかった。この薬の回収を頼むよ」
きょとんとするアルドの手に袋を強引におしつけると、研究員は眼鏡のレンズをきらりと光らせた。
「ああ大丈夫。処分記録は僕のほうで書いておくから。じゃああとは頼んだよ」
「あ、あのっ」
「すまない、助かるよ!」
「かたじけないでござる」
「これで病気が治せマス」
「書類のお礼なんていいから、ほら早く行った行った。僕は相棒を修理しないといけないからね」
ひらひらと手をふり、強引に一行を部屋から追い出す白衣の研究員に、改めて礼を言い、アルドたちは夜の病院を後にした。
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