第三十九話 カイファの告白
――ミザール商会の不始末――
商人カイファの奇妙な言葉が、俺の緊張を一層煽り立てる。
同時に腐敗の進む脳の中に、何か涼風が吹き込むような、おかしな感覚が広がってきた。
落ちそうな顎をしっかりと引き締めて、俺はカイファの語る話に意識を集中する。
「僕が聞く限り、トバル=ルッカヌス=カルヴァリオ隊長は、生まれも育ちケルヌンノスの街だそうです。隊長の家は、ケルヌンノス駐屯の山岳猟兵を務めた家柄だとか。もっとも、ケルヌンノスの山岳猟兵隊は、先祖代々で務める家も珍しくなくて。その意味で、一応は国軍の一部隊でも、内実は土着の勢力に近いとされていました」
一度言葉を切ったカイファだったが、彼はすぐに話を続ける。
「カルヴァリオ隊長は、元々の土地の人でした。それに、 何があっても動じず寛容で、それでいて豪胆な人柄は、隊長の束ねる山岳猟兵隊でも、絶大な人気がありました。もちろん街の人々、男はもちろん、女性にも」
そこでカイファが、ふふっ、と好意的に笑った。
「言い寄る女性もたくさんいたみたいですが、隊長は身を固めようとはしませんでした。僕が知る限り、隊長は最後まで独り身だったはずです」
「何故、ダ……?」
俺が聞くと、どこか寂しげな空気が、カイファの静かな笑みにまとわりつく。
「あるとき、隊長は言い寄る女性に言ったそうです。自分は生粋の軍人だから、いつ死んでもおかしくない。俺が死んで泣く者は、一人でも少ない方がいいって」
カイファが眼鏡の奥で目を伏せた。
懐かしげな、思慕と尊敬に満ちた笑みが、賢そうな口元に浮かぶ。
「そんな隊長ですから、部下たちからの信望も篤く、ケルヌンノスの山岳猟兵隊の結束は岩よりも鋼鉄よりも固い、そんな風に噂されていました。ケルヌンノスの街も、山岳猟兵隊に守られて、平穏な日々を送っていたのに」
カイファが深い吐息を吐き出した。
苦悩と悲しみ、それにわずかな憤りの色が浮かぶ、濁った息だ。
「ある日突然、ケルヌンノスの街に乗り込んできたんです。彼らが」
「『彼、ラ』……。 中央、国軍、カ……」
カイファの呻きをなぞった俺に、この青年は顔を伏せたまま、力なくうなずく。
「ええ。マノ大尉が率いる中隊が二つ。いきなりこのケルヌンノスに駐屯すると言って。マルーグ峠の城砦を攻めるために」
深い苦悩の覗く吐息を洩らし、カイファがわずかに顔を上げた。
だがその暗い眼差しは、どこか低みに注がれている。
「ケルヌンノスの辺りは、隣り合うアープの村々とは昔から親類同士に近い付き合いがありました。特にこの百年ばかりはアープとの小競り合いもなく、お互いに行き来も盛んで、ケルヌンノスにはアープ人が常にいたし、アープにもケルヌンノスの住人が足繁く通っていたんです」
なるほど、彼が語るケルヌンノスの状況は、元軍人エノスの話と一致しているようだ。
かくかくとうなずく俺を見ないまま、カイファが幾度目かのため息をついた。
ここまでよりもさらに重苦しい口ぶりで、彼が切々と続ける。
「僕が会頭から預かった店が、ケルヌンノスにあって」
「『会頭』……? ミザール商会ノ、カ……?」
何となく引っかかった俺が、わざと話の腰を折った。
するとカイファは、どこか気恥ずかしげな視線を俺にちらりと寄越す。
「ええと、ミザール商会の会頭は、僕の父です。僕は三番目の息子なので跡は継ぎませんが、商流を幾つか預かっていて、マイリンク会頭とも、よく一緒に仕事をさせて頂きました」
やはり思っていたとおりだ。
端々に覗く彼の才覚と育ちの良さを、しっかりと裏付ける話ではある。
恐らくはその頃からマイリンク家には出入りしていて、エステルともすでに恋仲だったのだろう。
だがカイファの若々しい笑みは、すぐに黒々とした悲しみに塗り込められた。
「ケルヌンノスのその店にも、アープから住み込みで働きに来ている女の子がいました。純朴で真面目な働き者の彼女は、僕たちにとっては頼れる存在だったのですが……」
そこで言葉を詰まらせたカイファ。
うなだれた彼の息まで、不規則になっているようだ。
言おうか言うまいか、迷いに迷っているのが、手に取るように分かる。
そういうところは、この傑物カイファもやはり多感な若者なのだと実感する。
俺は彼に声を掛けてみた。
「大丈夫、カ……?」
「あ、はい。大丈夫です。ありがとうございます」
カイファが身を起こした。
決まり悪そうに自嘲的な苦笑を洩らす様子は、やはり若々しい。
「済みません。取り乱してしまって」
「気ニ、スル、ナ……」
そう言い添えた俺の前で、カイファがスッと姿勢を正した。
眼鏡越しの翡翠の目が、俺の化け物顔を正視する。
ふうっと息を整えたカイファが、慎重に選んだ言葉を少しずつ繋いでゆく。
「そのアープの女の子は、しばらくして、山岳猟兵の少年と恋仲になりました。血気盛んで、一途な男の子と。彼は百人いる猟兵隊の中では、ほとんど最年少だったとか。傍目に見ても、微笑ましい、誰もが応援したくなる、そんな二人でしたが……」
凛とした姿勢を保ちつつも、カイファが哀しそうに目を伏せた。
その重責に耐える若者の表情は、見ているこちらまで辛さが込み上げてくる。
「女の子の両親は、アープの村に住む農夫だったそうです。ですが彼女の兄は両親とは違い、アープの兵士でした」
俺の腐った首の後ろが、むずむずしてきた。
この座りの悪さは、嫌な話の予兆だ。
俺が覚えた悪い予感を察したのか、カイファが重苦しく、鈍い仕草でわずかにうなずく。
「彼女の兄は、マルーグ峠に常駐する、守備隊の一員だったのです」
その瞬間、眼球の前に紫紺の雷光が閃いた。
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