第十六話 女医と聖騎士
「この屍者くんに使える記憶、選別されているのかもね」
短く答えたユディートが、俺を横目に流し見る。
「屍者くんの霊魂と元の体は“銀の
「その体は今どこに?」
ハーネマンのこの質問には、俺にもある程度の答えはある。
「パ、ペッタ、ノ、アリ、オスト、ポリ……」
女医と聖騎士が顔を見合わせた。
「『アリオストポリ』って、隣のアープの王都? ちょっと前、この国の軍と酷い戦いがあったって……」
「パペッタの魔法屋はアリオストポリにあるって噂だから、たぶん屍者くんの体もそこにあるんじゃないかな」
ユディートが、両手の人差し指と親指で、再び矩形を形作った。
そのアングルの中に俺を収めつつ、彼女はつぶやくように言う。
「キミの頭から出てる“銀の緒”をたどっていけば、アリオストポリにあるキミの体には行き着けるはずだけど……」
「アープのアリオストポリなら、このルディアから歩いて十日くらいの街よ」
そう教えてくれたハーネマンの顔が、気の毒そうに曇ってくる。
「でもあの戦い以来、アープとルカニアの国境の門は全部封鎖されてるらしいから、当分の間アープに行くのは無理だと思うわ」
「それにアープのアリオストポリは、厳重な検問で有名だから。キミみたいな怪物まがいの不審者なんて、その場で退治されるよ」
にんまりと楽しそうに笑う、腕組みのユディート。
心の底から楽しそうだ。
腹立たしくも思えるが、彼女はまあこんなものだろう。
彼女の態度には、少し慣れてきた。
それにユディートの言うことも、もっともではある。
「ココ、ハ、ドコ、ダ……?」
「キミは気付いてなかったんだね」
ユディートが曖昧な笑みを湛えたまま、俺に告げる。
「ここはルディア。このルカニア東北地方では、もっとも大きな街の一つだよ。それでもここ、アープのアリオストポリに一番近い都市じゃないかな」
ユディートがくれた情報に、俺はこくこくと浅くうなずく。
アリオストポリは、別の国にあるのか。
しまりのない顎からはますます力が抜け、頸椎もついうなだれてくる。
気落ちの隠せない俺を前に、ユディートの表情から曖昧な微笑は消えた。
代わりに浮かんだのは、十代少女の真剣な思案顔だ。
「そういう訳だから、キミが本当にアリオストポリへ行く気なら、この街で国境の門が空くのを待った方が無難かもね」
「イツ、開ク……?」
「そんなこと、あたしに分かる訳ないじゃない」
ユディートが即答した。
ついでにちろっと舌を覗かせる彼女。
それはそうかも知れないが、その無責任な口調に、少しばかり腹が立つ。
しかし彼女に怒ったところで仕方がない。
結局は俺の問題なのだから。
俺は不満の気分を肋骨の内側に押し込む。
そんな不機嫌な俺に気付いたのか、ハーネマンが慎重な口調ながら、こう言った。
「国境の開放は、アープのひとがルディアに来るようになったら分かるから。本来、ルカニアのひととアープのひとは仲が悪い訳じゃないし、アープからはたくさんの商人が来ていたから。この花街にもね」
何度もうなずいたユディートが、ハーネマンに視線を移した。
「どっちにしても、屍者くんはしばらくの間、白鷺庵で過ごすことになるんじゃない? マイスタさんも女の人たちも、屍者くんを生きた怪我人だと思ってるから、それはそのままにしておいた方がいいと思うけれど、ハーネマンさんはどう思う?」
「同感ね」
ハーネマンがうなずいた。
「この花街の人たちは、マイスタさんの言うことなら疑わないから、少なくともあのひとにはそう思わせておいた方がいいわね。幸い、このひとは受け答えができるみたいだし」
そこでハーネマンの眼鏡の奥の瞳に、深い疑念が湧き上がった。
「でもそのパペッタっていうひとは、どうしてこのひとを『屍者』にしたのかしら?」
「『贖罪』のため、でしょ」
ユディートが華奢な肩をすくめる。
「屍者くんを屍者にしたことがどう贖罪になるのか、今はまだ分からないけれど。でもパペッタは、屍者くんの記憶を操作してるみたいだから、そのうち本人には分かってくるかも」
そこでハーネマンが、お医者鞄の中から真っ白な太めの包帯を取り出した。
「さ、座って下さい。楽にして」
女医の指示に従って、俺は床に再びしゃがみこむ。
ハーネマンも、同時に床へと膝を着いた。
「このひとは”酷い全身ガス壊疽”、ということにしておきましょう。後でマイスタさんに一筆書いてあげるから。死に至らないのは、ユディートさんの法力の影響ということにしておけば……」
「まあ何とか誤魔化せちゃうかもね」
ふふーん、と少女特有の甘い笑いを洩らしたユディートの前で、女医ハーネマンが俺の顔に真新しい包帯を巻いてくれる。
まあ、どうせまたすぐに、包帯は顔の腐肉に貼り付いてしまうとは思うが。
俺の手当を続けながら、ハーネマンがユディートに聞く。
「それはそれとして、このひとの名前くらいは、何とか分からないかしら? このひとを何て呼べばいいのか分からないのは、不便だもの」
「別に『屍者(エシッタ)くん』でいいと思うけれど」
「でもそれじゃ屍者だってみんなにばれちゃうでしょ? 私が『診断書』を出す意味がなくなっちゃうわ」
揶揄するようなユディートをハーネマンが穏やかに諭す。
その和気あいあいとした様子は、まるで仲の良い姉妹のようだ。
彼女たちは、この花街の娼婦たちの心と体を、マイスタと三人で支えているのだ。
やはり深い絆があるのだろう。
つい微笑ましくなった俺の顔だけでなく、両腕にも両脚にも包帯を巻き終えて、ハーネマンが俺の全身を改めて見回した。
「何かこのひとの身元が分かるものがないかしら……」
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