第11話

「ほお……!」

 小屋から出てきたトラッシュの姿に、ルーシィは感心の声をあげた。

「なかなか似合うじゃねぇか、トラッシュ」

 するとトラッシュは照れくさそうに笑いながら、自分の姿を見下ろす。

「そ……そうかな。なんか……オレがオレじゃなくなっちまったみたいな気がすんだけどよ」

 彼は今、夜の空のように深い紺色のつなぎの服と白銀の鎧、それに青みがかった、白く長いゆったりとしたマントを身につけていた。それはトラッシュが両親を失った四才の時に両親からリカルドの手を経て彼に受け継がれた物であり、また彼の過去を印す貴重な品でもあった。

 その鎧は戦士や兵士クラスの者が身につける物より遙かに上等なもので、胸当てには家柄を示す紋章が彫り込まれており、その上にまとっているマントは魔法をはね返す防呪の魔力を秘めた繊維で織られている。

 手には鎧と同じく代々受け継がれてきたショート・ソードを携え、トラッシュは今までずっと三つ編みにしていた長い黒髪をおろし、額に髪止めのサークレットをしていた。

「こんな鎧、着るの初めてだし、見るのだってこれで二度目だよ。……いいのかなあ、こんな立派なの、オレが使っちまっても」

 気後れしたような声でそう言うトラッシュに、ルーシィは軽く笑った。

「何言ってんだよ、もともとそれはお前の物だろーが。……こうして見るとなかなかだぞ、お前。さすがに血は争えないな」

「……だぁからぁ、やめてくれって、その言い方」

 と、トラッシュは頬を膨らませながら言う。

「オレ、親父のこと全然覚えてないって言ったろ。――リカルドに聞かされた時、正直言って冗談かと思ったよ。オレが……このオレがこんな立派な鎧を代々受け継ぐような家柄の人間だったなんてよ。大体、一年前お前に会ってなきゃ、オレ今頃まだ剣なんか使えなかった筈だぜ。……リカルドは弓が得意だから、飛び道具はけっこう使えるけど」

「そりゃ仕方ないだろ。リカルドもカルマも、まさかお前がアブダラに歯向かうなんてことになるとは思ってもみなかったんだから。……お前だってそのつもりだったんだろ?」

「ああ。シャルに会わなきゃ一生このまま森で暮らしてくつもりだった。リカルドもカルマもそれで良いって言ってくれてたし。大体、オレ堅っ苦しい生活ヤだもん」

 トラッシュはそう言って、ぐっ、と拳を握りしめた。

「……けど、シャルだけは渡せない。あんな男(ヤロー)の思いどおりにされてたまるか」

「おお、その意気その意気。大丈夫、お前の剣の腕もけっこうな物になったよ。――ま、このオレには劣るけどな」

「……それ〈エアリアル〉だろ。北方の国の有名な騎士が風の魔物を倒すのに使ったっていう――風の魔力が秘められてるとかいう奴」

「正確に言うと、風の女神を閉じ込めてた魔物を倒すために女神の夫である風神が、同じように魔物に恋人を取られた騎士に力を貸し与えて作らせた〈風の剣(エアリアル)〉だよ。魔力……ってほどでもないけど、まあ一応そこらの剣より格段に軽いのが特徴でな、同じ風の属性を持った人間が使えばちょっとした竜巻が作れるのさ」

「へえ……あ、それでお前〈旋風(トルビネ)のルーシィ〉なのか」

 トラッシュが納得したようにそう言うと、ルーシィはふと表情を曇らせた。

「ルーシィ?」

「あ?あ、いや……ちょっとな。トルビネ、ってのは……違うんだ。この剣は旅に出てからは一度も使ってないし……オレは……オレは昔の名は捨てて旅に出たから……」

 そのまま昔に思いを巡らせていたらしいルーシィは、ふっきるように首を振り、明るく笑った。

「オレ、トラブルメーカーらしくてさ。行くトコ行くトコ冒険ばっかで……で、大騒ぎを引き起こすってんで、つけられたあだ名が旋風、ってわけさ」

「ふうん……。ああ、そう言やぁお前って確か北方出身だもんな。トルビネってのはここらの地方の言葉だし……そりゃそうか」

「そういうこと。――さあ、そろそろギルドの連中もリカルドの所へ来てる頃だ、オレたちも戻ろうぜ。準備はいいか?」

「ああ。……カルマ、そろそろ戻るぜ」

 トラッシュが小屋の中へと声をかけると、中から目をうるませたカルマが出てきた。

「カルマ?」

「……ごめん、ごめんよ、あたしゃ嬉しくて……トラッシュ、肖像画の一枚ぐらい見せてあげればよかったねぇ……あんた、今のあんたは昔のお父さまにそっくりだよ」

「カルマ……」

「それでね、それで……これを持ってって欲しいんだよ」

 カルマは首にかけていた水晶のペンダントを取ってトラッシュに差し出した。

「なに?」

「……あたし、あたし考えたんだけどねぇ、これっくらいしか……ほら、あんたのその鎧、お父さまから受け継いだ物だろう?だからお母さまの物も身につけて行って欲しくて……でも、お母さまの形見の品はあんたの妹が全部持って行っているから、ここには何もなくてさ。それでね、思い出したんだよ、このペンダントのこと。……これはねぇ、昔あんたのお母さまがあたしに下さったんだよ、ご自分の結婚式の引き出物にってね。――一度も言ったことなかったけど、あんたのお母さまをお父さまにお引き合わせしたのはあたし達夫婦なんだ。あんたのお母さまもあたしと同じ占い師(ジプシー)の出身(で)だったから、リカルドを通じてお父さまにね。それで、お礼にって下さったのさ」

「……」

 トラッシュは黙ってそのペンダントを受け取った。

 それは物心ついた頃からカルマがずっと大事にしていた本当に見慣れた普通のペンダントだったが、真実を聞かされた後では少しだけ重みが違っているように感じられた。

「サンキュ、カルマ。……でも、これ母さんのだからじゃなくて着けてくわ、オレ」

「?」

 不思議そうなカルマに、トラッシュは若干照れながら呟く。

「全然覚えてもいない母さんより……これ、カルマのだからさ、だから……オレには、カルマとリカルドが両親みたいなものだし……だから着けてくよ」

 恥ずかしそうに目をそらしながらそう言って、トラッシュはペンダントを手首にぐるぐると巻きつけた。

「トラッシュ……」

 カルマの目からさらに涙があふれ出る。

 遂に子供には恵まれなかったカルマたち夫婦にとって、トラッシュはいくら彼の両親から託された大事な子とは言え、やはり自分の子も同然だったのだ。

「――おい、泣くなよカルマ。照れちまうじゃねぇか」

「……何言ってんだい、お前が泣かせたんじゃないか。ほんとにこの子は……」

「ちぇ、何だよ、オレ悪いこと言った覚えはないぜ。――とにかく、ほら、いつまでも泣いてないで乗れよカルマ。リカルドが待ってるんだからさ」

 照れくささを誤魔化すためにやや乱暴に言いながら、トラッシュは懐から魔法秘具のカードを取り出し、呪文を唱える。

「風よ。その手に世界を抱きしものよ。我が手に集いて力を示せ」

 するとカードから蒼い風が沸き起こる。

 その瞬間を狙ってトラッシュは再び呪文を紡いだ。

「我が手に集いしさかまく風よ。大地を吹き行く流れとなれ」

 トラッシュがそう唱えると、カードから沸き起こっていた竜巻のような風はフーッとその渦を緩めて遂には消えてしまう。そしてその直後、地面に置かれていたカードがまるで何かに持ち上げられたかのようにスーッと空中に浮かび上がった。

 カードにふりかけられたオパールの粉が輝く。

「……よし、と」

 トラッシュは風が絨毯化したのを確認し、ふとルーシィがこちらをまじまじと見つめているのに気づいた。

「なんだ?」

「おま……おま、それ……」

 ルーシィは信じられない思いでその秘呪を指さす。

「それ……それ、新しい呪文じゃねぇか、どうして……」

「ああ、これ?いや、例のマジック・ショップで怪しげな本見つけてさ、ちょっと立ち読みしたら載ってたんだ。この前ためしに使ってみたらけっこう使えたんでね」

「ためしに、って……お前、知らないのか?」

「何が?」

「それ、けっこう高等技なんだぜ。一度呼び出した風の精霊の形を変えるんだからな。それをよくもまあ簡単に……」

 呆れているのか感心しているのか、ルーシィが首を振りながらそう呟くと、カルマが笑った。

「そりゃそうだよ、ルーシィ。なんたって、この子の母親はそりゃあ優秀な魔技士だったんだから。占い師の一族ってのは、あっちこっちを旅して他種族と交わることが多い分、変わり種を生みやすくてね。この子の母親も、アルバータ様――トラッシュのお父さまと出会うまでは、その技能を活かして魔法同士を合成させたり、魔力で薬を作ったり、そうそう、魔法秘具なんかを作るのも得意だったんだよ」

「はあ……何でもあり、ってわけか。要するに、お前はサラブレッドだったわけだ。お前の父親もかなり腕のいい剣士だったらしいし。どうりで、素人が独学で〈風〉の秘呪を使えるようにはなるわ、剣の腕はめきめき上達するわ、まぁ身軽なのは環境のせいだろうけど……とにかく、やっとその理由(わけ)がわかったよ」

「親父のこと知ってるのか?」

「ああ。お前の父親も若い頃は放浪の旅をしてたらしくてな。昔立ち寄った国で聞いたことがあるよ。正義感が強いのはいいんだが、向こう見ずで血気盛んで、そーとー暴れちゃ周りに迷惑かけてたらしいぜ」

「やんちゃ……だったんだな」

「そう。今のお前にそっくりだろ」

「なっ……う……ぶー……」

 トラッシュは咄嗟に反論しようとしたものの、結局言葉が見つからずにぶーたれる。

 ルーシィとカルマは微笑みながらその様子を見つめ、〈風〉に乗った。

「ほら、行くぞトラッシュ」

「……ああ……」

 そして彼ら三人は、リカルドやジェイクたちギルド兵が待つ、リカルドの小屋へ向かったのだった――。

 

「おお、よく似合われますぞ、トラッシュ様」

 既にリカルドの小屋で待機していたジェイクは、トラッシュが鎧に身を包んでいるのを見ると嬉しそうにそう言って、サッと彼の前に跪いた。

「お、おいジェイ――?」

「これより我ら一同、長年の悲願であるアブダラ討伐に赴かれるトラッシュ様に心よりの忠誠を誓い、あなた様のためにこの命を捧げ、共に戦うことを誓います」

「おい、ちょ……ちょっと待てよ」

 トラッシュは困ったように手を振った。

「やめてくれよ、そんな堅っ苦しい挨拶。様とか忠誠とか……いいよ、そんなの。オレの方があんたらに頼んだんだしさ、オレ、まるっきり素人だから」

「そんなわけには参りません。どんな事情があろうと、これよりあなたは我らの主(あるじ)。騎士たるもの、己の仕えるべき主にはいかなることがあろうと忠誠を誓い、その証をたてなくてはなりません」

「だからやめてくれってば……」

 トラッシュは戸惑い気味に呟く。

 だが、本来の〈騎士〉という自分に完全に戻ってしまったらしい彼の決意は固そうで、その言葉づかいや行動を変える気はさらさらないらしい。

 トラッシュは暫く考え込んでいたが、やがて何か思いついたらしく、ポン、と手を打った。

「よし。……じゃ、こうしよう」

 トラッシュは跪いていたジェイクの肩に自分の剣の先を水平に置き、芝居がかった口調でこう呟く。

「オレ――じゃなかった……コホン。――我、疾風のトラッシュは汝、ウィスタリアの騎士ジェイコブ・ハリス以下ギルドの兵士すべてを、これより後、我に仕える騎士と認め、剣を授ける。……ジェイコブ・ハリスよ。我、いま汝に問う。汝、我の騎士となるこれより以後は、いかなる理由があろうと我に絶対の忠誠を誓い、我の命すべてに従うことを誓うか」

「誓います」

 ジェイクは真面目くさった調子で頷く。

「他の者はどうだ。我に忠誠を誓い、我の命すべてに従うことを誓うか」

「誓います」

 ジェイクにならい、トラッシュの前に跪いていたすべての兵士、戦士、騎士たちがいっせいに頷いた。

 トラッシュは厳かに、勿体ぶった顔で頷くと剣を鞘に収める。

「よろしい。では、これより後、汝らを我の騎士と認める」

「はっ」

 ジェイク以下、全員が神妙に頭を垂れた。

「……へっへっへ」

 その瞬間、トラッシュは悪戯っぽく、にーっと笑う。

「……?トラッシュ……様?」

 その変わり様に戸惑い気味に兵士たちが顔を上げると、トラッシュはすました顔で言った。

「よし。では最初の命令を与える。……これより以後、オレを様づけして呼ぶことも敬語を使うことも、ましてやオレを敬ったりすることは絶対に禁じる」

「なっ!?」

「つまり、オレもあんたらと同等の人間だと思ってもらうってこと。――いいよな?」

「し、しかし……」

 ジェイクが納得のいかなそうな顔で反論しようと口を開く。

 トラッシュはすかさず言葉をつないだ。

「これは命令だぞ。聞けねぇのか?」

「うっ……」

 途端、ジェイクは言葉に窮してしまった。

 確かに、彼はたった今トラッシュに忠誠を誓い、いかなることがあろうと彼の命には従うと誓ったばかりだ。

 ジェイク以下すべての兵士たちが黙り込んでしまうと、トラッシュは笑った。

「どうやら異論はねぇみたいだな。――ん?なんだよ、なに笑ってんだよ二人とも」

 ふと見ると、リカルドとルーシィが口を押さえ、肩を震わせながら必死に笑いをこらえている。

 トラッシュが声をかけた瞬間、二人は堰を切ったように笑いだした。

「あーはっはっ……おま……お前らしいやトラッシュ。やっぱ、お前はそーでなくっちゃ調子が出ねぇ」

「まったく、お前ときたら……。よろ……鎧が泣くぞ、まったく……」

「何だよぉ。いーじゃんか、そっちの方が気楽なんだから。……お前ら二人はもうちょっとオレを敬えよなぁ……うー」

「はーっはっはっ……いや、悪ィ悪ィ……だけど、けなしてるわけじゃないんだぜ。ただ、その鎧姿(カッコ)とのギャップがおかしくってよ……でも、その方がお前らしいよ。今更へんに気負うこたぁねぇんだ。お前はお前のままいればいい」

「そう、その通りだ。たとえ何者であろうと、結局、お前はお前自身でしかありえないのだから。自覚を持たずとも、それらしい言葉づかいが出来ずとも、肝心なのは心だ、形ではない。何をするか、何を思うか、それさえしっかりしていれば父上もお嘆きにはならんだろう」

 リカルドはそう言うと、何の前触れもなくトラッシュをふっと抱きしめた。

「リ……リカルド……?」

「よくぞ立派に育ってくれた。――何があろうと、お前は私たち夫婦の自慢の息子だ。十三年前お前を引き取り、今日まで育てられたことを嬉しく思っている」

 リカルドがそう呟くと、カルマもそばまで寄ってきてトラッシュの腕を軽く叩き、頷いた。

「そうだよトラッシュ。何があろうと、お前はあたしたちの誇りだよ」

「リカルド……カルマ……」

 トラッシュは優しく微笑むと、二人いっぺんに抱き返して呟いた。

「ありがとう……今日までオレを育ててくれて……オレも二人を誇りに思うよ……父さん、母さん」

「トラッシュ……」

「たっ、大変だ!」

 とその時。

 突然小屋の扉が開いたかと思うと、一人の兵士が血相を変えて飛び込んできた。

「どうした、何があった!?」

 すぐさまジェイクが彼に駆け寄り、問いただす。

 兵士は今にも倒れそうに激しく肩を上下させ、苦しそうにぜえぜえと息を喘がせていたが、大きく息をついてなんとか言葉を絞り出した。

「へっ……兵士が……兵士が大臣の……命令で……こ……こちらに……この小屋に向かっています!」

「何だって!?」

 途端に、小屋中にどよめきが沸き起こった。

「そんな馬鹿な、なんで今頃!?」

「情報が漏れたのか!?」

 兵士たちがざわざわと落ちつきなく言葉を交わす。

「お前たち――」

 ジェイクが騒ぎを静めようとそう言いかけたのを先んじて、トラッシュが叫んだ。

「落ちつけ!まだ追手の様子も聞いてねぇんだ、ちょっと黙ってろ!」

 トラッシュはそう言って、椅子に座り込んだ兵士に水を差し出す。

「とりあえずこれ飲め、苦しいんだろ。状況を説明するのは落ちついてからでもいい」

「……す、すみません。でも、そんな悠長なことを言ってはいられないんです。アブダラの直属部隊が動きだしました。どういうルートで私たちの動きを知ったのかはわかりませんが、どうやらアブダラは私たちの計画を察知したらしく、隊はまっすぐこちらを目指してやってきています」

「人数は?」

「はっきりとはわかりませんが、恐らく隊の半分――六十人前後は」

 兵士の言葉に、トラッシュは考え込んだ。

 この小屋に集まっているギルド兵たちは総勢五十人程である。だから、普通ならこのまま追手が来るのを待って一戦交えても何ら不都合なことはないだろう。

 しかし、如何せんギルド兵たちには十三年というブランクがあった。

 いくらギルドに集まっている兵士たちが皆ある程度の位を持った騎士、或いは実力を備えた戦士や兵士たちばかりだと言っても、相手はその十三年の間ずっと現役で兵士をやってきているのだ。場合によっては分が悪くなることもあり得た。

「――隊の半分って言ったな。てコトは残りの半分は城にいるのか?」

「はい。どうやら姫様のご婚儀は数日後に迫っているようで、塔の警戒は日に日に厳しさを増してきています」

「そうか……」

 トラッシュがそう言って黙り込んでしまうと、ルーシィが代わって口を開いた。

「アブダラの直属兵には、確か少数精鋭の親衛隊と、百人近い志願兵(チンピラ)がいた筈だろ。今回この森へ向かってるのはどっちだ?」

「はっきりとはわかりませんが……身につけている鎧で判断する限りでは、少なくとも親衛隊十名は全員参加しているようです」

「てコトは残りの五十余名が志願兵か……。そいつらだけならともかく、親衛隊十人も相手にするとなるとこりゃ……ちょっとキツイぜ、トラッシュ」

 ルーシィがそう言って振り向くと、トラッシュは困ったように頭をかいた。

「と言ったって逃げるわけにも行かねぇし……どうしたらいいと思う、ジェイク?」

「そうですねえ……」

 トラッシュがそう尋ねると、ジェイクは暫く考え込んでいたが、やがて何かを思いついたらしく、グラスの水を指先につけてテーブルに何やら図を書きながら説明し始める。

「――こういうのはどうでしょう?とりあえず森の奥……トラキーア城とは反対方向へ逃げ、追手を森の奥深くに引きつけておいて全員バラバラに森を迂回し、追手の背後に回り込んで直接城を攻める」

「うーん……」

 トラッシュは暫くその図を眺めながら考えあぐねていたが、やがて首を振った。

「だめだ、奴らが真っ直ぐオレたち目指して走ってきてくれるって保証はねぇ。……まあ、鼻先にエサぶらさげた馬を相手にするんなら話は別だけどよ」

「しかし……」

 ジェイクが反論しようと口を開くと、それを遮るように兵士の中から声が上がった。「――それなら、わたくしが追手にエサをぶら下げて差し上げましょう」

「誰だ?」

 トラッシュが呼ぶと、兵士の中から法衣(ローブ)を着た小柄な女性が現れた。

 薄紫色に染められたウエーブヘアと、額に押された炎の烙印の他は、普通の女となんら変わりのないその女性は、手にした水晶玉を差し出し、にこりと微笑む。

「薄紫色の髪と法衣、それに炎の烙印……幻惑を司る女神ミラの神官か。名前は?」

「はい、わたくしは幻惑師(イリュージョナリスト)ミルファ・ロイドと申します。わたくしの術をもってすれば、追手の目の前にわたくしたちの幻を出現させることなど、たやすいことですわ」

 しかしトラッシュはそれでも決断を渋った。

「幻惑か……確かにそれはいい方法だけど……でも、あんた自身も逃げながら術を維持させなくちゃなんないんだぜ。身体の方は大丈夫か?ここで無理したら城に乗り込むまで保たないぜ」

「ご心配には及びません」

 ミルファは微笑む。

「わたくしの術はこの水晶球を媒体としております。追手を引きつける最終的な場所にこれを置いてさえおけば、後はそれが破壊されない限り、幻は蓄積されたその魔力によって、半永久的に出現し続けます」

「逃げる時は走ることに専念できるってことか?」

「はい」

「そうか……それなら……」

 トラッシュはルーシィやジェイクと頷きあった。

「よし、じゃあ任せるよ。……ルーシィ、水晶球はどこに置いたらいいと思う?」

「そうだなあ……お前の小屋はどうだ?あそこなら奥深くて鬱蒼としてるし、ここからも遠く離れてる。オレたちはここに身を潜めて、奴らが小屋へ向かうのを確認してから動きだそう」

「オーケー。――ミルファ、あんた馬には乗れるか?」

「いいえ」

「じゃあ、オレが小屋まで乗っけてってやるよ。っと……馬で行くより秘呪使った方が早いか。よし、行こうぜ」

「ちょっと待ってくださいトラッシュ」

 ミルファとともに外へ出て行こうとするトラッシュを、ジェイクは慌てて引き止めた。

「?何だ?」

「その前にやることがあるでしょう?あなたは我ら反乱兵を率いる主なのです。……叫んで下さい、その剣を掲げて。我らがここに立ち上がる、その誓いを」

「ああ――そっか」

 トラッシュはジェイクの言葉に頷き、外に出て大きく深呼吸した。

 そして剣を鞘から抜き、頭上高くに掲げて叫ぶ。

「――この森に集いし我ら、今ここに神に誓う!今こそ我らが力合わせ、積年の恨み必ず晴らさん!我らが仇敵、トラキーアを蝕む諸悪の根源アブダラ・マクミールを倒し、トラキーアの姫、我らが希望の光ルナシエーラ姫をとらわれの身よりお救いするのだ!」

 その叫びに応じるように、切っ先がきらめいた。

 そして彼の叫びに呼応して雄叫びをあげた兵士たちの声が、いつまでもいつまでも森全体を震わせていた――。

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