第5話

「わあ……!」

 ルナシエーラは目の前に広がる町並みに感嘆の声をあげた。

 それは他人から見れば何の変哲もない、いや、普通の町よりは少し活気にあふれているかもしれないが、それでも別にきらびやかな建物が並んでいるとか、道行く人が美男美女ばかりだとかという変わったところなどどこにもない、貿易の盛んなここトラキーアでは良く見受けられる賑やかな普通の町だった。

「……」

 トラッシュもルーシィも、子供のように目を輝かせるルナシエーラに微笑みあう。

 そう、十三年もの長い間外界から隔離されていた彼女にとっては、そんな平凡な風景でさえ十分感動するに足りる新鮮な風景であった。

 最初この下町へ向かう馬の上では不安そうにしていたルナシエーラだったが、そんな不安は町に入った途端に吹き飛んでしまったらしく、トラッシュとルーシィは小走りに町に入って行くルナシエーラを慌てて追った。

「おい、そんなに走ったら迷子になるぜルナ――」

 ルナシエーラを見失いそうになり、大声で叫びかけたトラッシュの口をルーシィが慌てて塞ぐ。

「フガ……ふぁにふぅんらよ、るーふぃ((なにするんだよ、ルーシィ))」

「お前な……こんな町中で彼女の名前を呼ぶ奴があるか。どんなに抜けてる兵士(やつ)だって、名前を聞きゃ気づいちまうだろ」

「……」

 納得したようにトラッシュが掌をポン、と打つ。

「わかったか?」

 トラッシュがコクコクと頷くと、ルーシィはため息をつきながら手を放した。

「トラッシュ!ルーシィさん!」

 と、ルナシエーラが向こうの方で手を振っている。

「早く!」

「やれやれ」

「……子供のお守りしてるみたいだな」

 二人はそう言って肩を竦めあうと、彼女の方へ走った。

「何かいいもんでも見つけたのか?」

 トラッシュがそう言うと、ルナシエーラは嬉しそうに頷く。

「あのね、同じなの」

「へ?」

「だから、同じなの、それと」

 ルナシエーラが指さしたのは、トラッシュがいつも左耳につけているピアスだった。

 これも魔法秘具の一つで、耳たぶのところにはオパールが埋め込まれている。

「これ?」

 トラッシュが聞き返すと、ルナシエーラは頷いて背後を振り返った。

「ほら、あれ」

 ルナシエーラが指さしたのは、露店のマジック・ショップだった。本物かどうかあやしい物が売られている代わりに、たまに値打ち物が驚くほど安値で売られていることもある。

「……ふむ」

 トラッシュはルナシエーラが指さした、カウンターに置かれていたピアスを取り上げる。

 それは確かにトラッシュのピアスと同じもので、その上、秘石はルナシエーラの属性、光のダイアモンドがついていた。

「……どう思う?」

 トラッシュがそれをルーシィにも見せると、彼はじっと見て頷く。

「本物だな」

 この手の物は偽物が多い。特にダイアモンドの秘具はよく見ないと、秘石の代わりにガラスが使われていたりする。だが、盗賊稼業で培った彼らの眼は、このピアスに埋め込まれた石が本物だと告げていた。

「よし。……親父、これいくらだ?」

「買ってくれるの?」

 ルナシエーラはカルマから好きな物を買えるように幾らかの金貨をもらっていた。

 トラッシュは笑って頷く。

「ほら」

 差し出されたピアスを嬉しそうに受け取ると、ルナシエーラはそれの片方だけを右耳に付ける。

「?」

 不思議そうなトラッシュの視線に気づくと、彼女ははにかみながら言った。

「こうすればあなたと並んだ時、ちょうどバランスが取れるじゃない」

 頬を染めながらそう言ってはしゃぐルナシエーラに、トラッシュは微笑んだ。

 と、ルーシィが脇でぽそっと呟く。

「……はいはい、ごちそうさま。おい、そろそろ目指す買い物しちまおうぜトラッシュ」「あ?ああ、そうだな」

 すっかり二人の世界に入っていたらしいトラッシュが我に返ったように頷くと、ルーシィは慌てたように手を上げる。

「?どした?」

「行っちまったぜ、彼女」

「へっ?」

 見ると、今度は何を見つけたのかルナシエーラがいない。

「どこ行った?」

「あっち」

 ルーシィの指さす方向を見ると、ルナシエーラが人だかりの中に入って行こうとしているのが目に入った。

「あ……」

「なかなか大胆なお姫さまだな」

「あいつはまったく……世話の焼ける」

 トラッシュはため息をつきながら後を追いかける。

「悪ィ、先に店に行っててくれルーシィ。オレもすぐ行くから」

「OK」

「……」

 トラッシュが人込みをかき分けてその最前列へ行くと、ルナシエーラは一心不乱にそれを見つめていた。

 空中をナイフが飛ぶ。壺の中から出てきた蛇がくねくねと踊る。

「何だ、大道芸か」

「あ、トラッシュ。ねぇ、おもしろいわね、これ。ぬいぐるみじゃないんですって」

「は?」

「だって、音に合わせて踊るのよ。ぬいぐるみだとしか思えなかったの。でも、そう言ったら大笑いされちゃった。……どうしてかしら」

「……」

 トラッシュは疲れたように肩を落とした。

 教養と常識ってのは別モンなんだな。

 そう思いながらトラッシュがふと顔を上げると、ルナシエーラがいない。

「!?」

 慌てて辺りを見回すと、今度は別の方向へ行こうとしている彼女の姿が目に入った。

「おっ、おいちょっと待てよルナ――」

 思わず名前を呼びかけてトラッシュは言葉を飲み込む。

「心臓に悪いや、こりゃ……」

 ため息をついてルナシエーラの後を追ったトラッシュは、殆ど誰もいない露店の前に佇んでいる彼女を見つけた。

「……今度は何だい?」

「カード」

 要するに、手品だった。

 だが、そのマジシャンが使っている手品はもう使い古されたかなり前のもので、道行く人々は何の興味も持たずに通りすぎて行く。

 ただ、ルナシエーラにとってはそんな手品でも初めて見る不思議なパフォーマンスであった。

「なあ、もうそろそろ買い物しねぇと……」

 トラッシュはためらいがちにルナシエーラの肩に手をかけたが、そんな言葉も聞こえないのか彼女はじぃっと手品に見入っている。

 仕方なく諦めると、トラッシュは懐から何枚かの金貨を取り出した。

「おっちゃん。悪いけど彼女のこと頼むわ。オレ買い物があるから……これ、その分の代金な」

「はいよ」

 マジシャンが快く頷くと、トラッシュは一度だけ心配そうな表情で振り返り、人込みに紛れて行った。

「……お嬢ちゃん、今のは恋人かい?」

 手品を続けながらマジシャンが尋ねると、ルナシエーラは頬を染める。

「ううん。そんなんじゃないわ」

「でも、そうなるのを望んでるんだろう?」

「……」

「ハハハッ、お嬢ちゃんは正直だねぇ。いいさいいさ、若い者(モン)てのはそうでなくちゃいけないよ。……どうやら彼の方でもお嬢ちゃんが気に入ってるみたいだし」

「そう……かしら」

「そうさ。じゃなきゃお嬢ちゃん一人を置いてったりなんかしないよ。あの彼はあんまりお嬢ちゃんが楽しそうだから無理に連れて行けなかったのさ。……いいねぇ、若いってのは」

 マジシャンはそう言うと、最後の手品を披露した。

 手品がまた最初に戻ると、ルナシエーラは立ち上がる。

「ありがとう、とっても楽しかったわ」

「おや?もう行っちまうのかい?もう少しおいでよ、あのお兄ちゃんが戻ってくるまでさ」

「ええ、でも、まだ見たいのが沢山あるし……」

「慌てなくてもまだお日様は沈まないよ。……あ、ちょっとお嬢ちゃん!」

 マジシャンは慌ててルナシエーラを呼び止める。しかし彼女はキョロキョロと辺りを見回しながら人込みの中へと消えた。

「……やれやれ」

 マジシャンはため息をついて暫く考え込む。そしてフッと笑った。

「仕方ないねぇ。本来なら無料奉仕なんてやったりしないんだが――あんなに気立てのいいお嬢ちゃん、放っておくわけにもいかないねぇ」

 そのマジシャンは古ぼけたカードをしまいこむと、懐から丸い水晶を取り出した。

「どれ、ちょっと後を追わせてもらおうかね」

――ここトラキーアのどこかの町には、遙か地平線の彼方から水平線の向こう側まで、何でも見通せる不思議なマジシャンがいると言う……。

 

「よお、ねーちゃん別嬪だな」

 あのマジシャンの店を離れた後、物珍しそうに辺りを見回しながら歩いていたルナシエーラは突然数人の猛者に囲まれた。

「えっ?」

 周囲の光が遮られ、ルナシエーラは顔を上げる。

 そこには、見るからにタチの悪そうな連中が立っていた。

「あの……」

 ルナシエーラは止まりそうな心臓を奮い立たせ、何とか声を絞り出す。

「わたしに……何かご用でしょうか」

「ご用と来たか」

 チンピラたちは下卑に笑う。

「ああ、ご用がおありなんだよ。オレたちゃ最近すっかり日照り気味でねぇ。あんたみたいな別嬪さんにちょっとばかしお恵みしてもらいたくてさぁ」

 言いながら、一人のチンピラが彼女の肩に手をかける。

「や……」

 本能的に身を引いたルナシエーラは、突然その男に手首をつかまれ、悲鳴を飲み込んだ。

「何も怖がるこたぁねえだろう、ねーちゃん。オレたちゃ別にあんたを取って食おうってわけじゃねぇんだからよ」

 すると他のチンピラたちが意味ありげに笑う。

「なぁ、ちょっとつきあってくれよ」

 チンピラがルナシエーラの顎に手をかけ、いやらしく笑った時、突然背後で別の男の声がした。

「やめないか、お前たち。レディに失礼だぞ」

「あんだとぉ?」

 チンピラたちが死んだ魚のように濁った目をルナシエーラの背後に向ける。無理やり体をねじったルナシエーラは、そこにスラッとした青年の姿を見た。

「レディが嫌がっているじゃないか、その手を放したまえ。……レディ、もう大丈夫ですよ、安心して」

「てめぇ……」

 彼が自分たちより遙かに……いや、比べる以前のレベルで美形なのに腹を立てたのか、チンピラたちがさっと彼を取り囲む。

「いい恰好してくれるじゃねぇか、あんちゃんよ。その細っこい体でオレたちに勝てるとでも思ってんじゃねぇだろうな」

「……」

 フ、と男が笑った。

 それを合図に、チンピラたちが一斉に飛び掛かって行く。

「……!」

 ルナシエーラはギュッと目を閉じ、それからほどなくして突然ポンポン、と肩を叩かれて飛び上がった。

「あ……?」

 恐る恐る目を開いた彼女は、そこに予想した血まみれの青年ではなく、顔を真っ青にして腹やら頬やらを押さえながら走り去って行くチンピラたちの姿を見た。

 男は優しく微笑んで服の埃を落とす。

「大丈夫ですか、レディ?」

「あ……ええ、あの……ありがとうございました、危ないところを――」

「こんなところをあなたのような美しいレディが一人で歩かれては危険ですよ。最近ではこのトラキーアもめっきり物騒になりましたから」

「はい」

「それじゃあ、わたしはこれで……イタッ」

 微笑んで立ち去ろうとした男は、突然足首を押さえて座り込んだ。

「あっ、あの、大丈夫ですか?」

「えっ、ええ……だが、さっきの争いでどうやら足を挫いてしまったようだ。レディ、申し訳ないがわたしを自宅まで送っていただけますか?」

「えっ……」

「ああ、誤解しないでください、わたしは何も下心があって言っているわけではありません。実は私はすぐそこの路地に住んでいる医者なんですが、もうすぐ患者がやってくる筈なんです。待たせてしまうと悪いですから……」

 ルナシエーラの見るかぎり、彼は爽やかな顔をしていた。その精神はとても強靱なのだろう、歩けないほどの怪我をしているというのに、これっぽっちも痛そうに見えない。

「お願いします」

 心配そうに自分を見つめて頼み込む男に、ルナシエーラは頷いた。

 本当ならそれは彼女の秘呪ですぐに治せるような怪我だったが、医者が秘呪や魔法で怪我を治してもらったとあってはプライドにも評判にも傷がつくかもしれない。

 ルナシエーラは彼に肩を貸して体を支えてやりながら、男が導くままに路地へと入って行った。

「ありがとうございました」

 男は家の戸口で振り返り、そう言った。

「どうです、中でお茶でも。……どうやら患者はまだ来ていないようですし」

 男がそう誘うと、ルナシエーラは若干顔を引きつらせながら首を振る。

「ありがとうございます、でもわたし……」

「ああ、いいんですよ、お忙しいんでしたら無理にとは申しません。本当にありがとうございました」

「いえ、こちらこそ」

 ルナシエーラは男が本当に下心を持っていないのを知って肩の力を抜く。

 男は優しく微笑んだ。

「では、お気をつけて」

「はい」

 男に頭を下げると、彼が戸口を閉めるのを確認し、ルナシエーラは踵を返す。

 と、そこにはさっき逃げ帰った筈のチンピラ達がいた。

「……ひっ」

 ルナシエーラは咄嗟に男の家の扉を叩く。

「たっ、助けて!助けて下さい!」

 しかしどういうことか、扉はまるで開く気配を見せない。

 いやらしい笑い声をあげるチンピラたちに怯えながら、ルナシエーラは仕方なく反対方向……路地の奥へと走った。

「……」

 何故だろう。チンピラたちはまるで慌てる様子もなく、ゆっくりと歩いてくる。

 ルナシエーラは必死で奥へと逃げ、その理由を知った。

「そんな……」

 目の前は壁だった。

 三方を壁に阻まれ、ルナシエーラは震えながら振り向く。

「……へへ、残念だったな。ここは袋小路になってンだ」

 チンピラの一人が言う。彼らはさっき殴られて逃げ去った筈なのに、どこにも傷がない。驚くべき回復力の成せるわざか、それとも魔法を使ったのだろうか。

「最近じゃこんな別嬪さんにゃ滅多にお目にかかれなくなっちまってるからな。きっと高く売れるぜ」

「あ……?」

 ルナシエーラはその言葉に目を見張った。

「あなた達……人買いの……?」

「そうさ、オレたちゃ人さらいよ。だぁから言ったろ、あんたを取って食うつもりはねぇって。……けど、そうだな。散々手間かけさせられたし、それくらいのマージン取っても罰はあたりゃしないよな」

 その行動自体が既に罰のあたるものなのだが、チンピラたちは一様に納得したように頷いている。

「や……いや……」

 ルナシエーラは微かに首を振りながら壁に背を押しつけ、前に進み出てきたチンピラの頭(かしら)に両手首を高く持ち上げられて恐怖に身をよじらせた。

「助けて……助けて……!」

「残念ながら、今時こーゆー人気(ひとけ)のねぇ路地に入ってくんのは、オレたちみてぇなワルか、あんたみてぇな馬鹿だけさ。諦めるんだな」

「いやあぁっ!」

 ルナシエーラが涙をあふれさせながらそう叫んだ時、チンピラたちの背後で怒りを無理やり押さえつけたような、ドスのきいた低い声がした。

「……馬鹿で悪かったな」

「なっ!?」

 どうやら予想外の出来事だったらしいそのチンピラが振り返る直前、後ろにいた男たち数人が声もなくくずおれる。

 ルナシエーラは恐る恐る開けたその目に映る人影を確認し、喜びの声をあげた。

「トラッシュ!」

 それは、両手に大きな紙袋を抱え、鋭く目を光らせて唇を固く引き締めたトラッシュだった。

「まったく……突然消えちまうからどこに行ったのかと思えば――随分と頭悪そうな奴にコナかけられてんじゃねぇか」

「な……お前、一体どうやって……」

 チンピラは成す術もなく気絶した仲間に目をやり、その血走った目を他の仲間に向けた。

 そしてクイッと首を傾げる。

 途端、チンピラたちは声をあげてトラッシュに飛びかかってきた。

「……お前らさあ……悪いこと企むんならもうちっと頭使えよなぁ」

「なにっ?」

 人一人通るのがやっとの狭い路地を走り抜けてくるチンピラに、トラッシュは呆れたような息を吐く。

「だからもうちっと頭使えっての。こんな路地でケンカ売るなんて馬鹿げてるぜ」

「ばっ……馬鹿とはなんだ、馬鹿とは!」

「おっと、気に障ったかい?悪ィな、思ったことはすぐ口に出しちまう方でよ」

「てめぇ……随分とナメた口きいてくれるじゃねぇか。両手に荷物抱えたままでこの人数と戦うつもりかよ」

 血走った目で睨みながら脅しをかけるチンピラに、トラッシュはため息をついた。

「あーあ……これだからお前ら馬鹿だってんだよ」

「なにィ!?」

「こんな狭い通路で数もへったくれもあるもんか。いくら沢山いたって一人ずつ列になってるようじゃ――」

 突然、足が繰り出された。

 それは見事に拳を振り上げていた一番前のチンピラの腹にくいこみ、彼はたまらず後ろへ吹っ飛ばされる。

「わっ!?」

「わっ!?」

「わっ!?」

「わっ!?」

「わっ!?」

 ……以下略。

「――こうすりゃ倒すのは簡単なんだよ」

「げ……」

 ルナシエーラをとらえていたチンピラは真っ青になってその光景を見つめていた。

 チンピラは彼を残して全滅していた。

 何のことはない、狭い通路で一人がトラッシュに吹っ飛ばされると、後に続いていたチンピラは次々に将棋倒しになってしまったのだ。

「だぁから言ったろ」

 トラッシュは紙袋を抱えたまま、小馬鹿にしたように笑った。

「こんな狭い路地じゃ多人数だって関係ねぇんだよ。数に物言わせてぇんなら、もちっと広いトコでやんなきゃな」

「くっそ~……」

 一人残されたチンピラは、最後の手段、とばかりにきらめくナイフをルナシエーラの首に押し当てる。

「ひっ」

「!」

「動くな!」

 チンピラは暗ぁい表情で笑う。

「いいか、動くなよ。少しでも動いたらこいつの命はねぇぞ。……そこを退け!」

「……お前、矛盾してるぞ。動かなきゃ退けねえじゃねぇか」

「う、うるさい!へ理屈こねてねぇで、さっさとそこをどきやがれ!」

 トラッシュはゆっくりと紙袋を下へ置き、耳の後ろをぽりぽりとかきながら言った。

「やだ」

「なっ?」

「……正真正銘の馬鹿だな、お前」

「まっ……また馬鹿って言いやがったな、馬鹿って!」

「馬鹿を馬鹿っつって何が悪い!?オレがさっきどうやってあいつら気絶させたと思ってんだよまったく……はっ!」

 疲れたようにそう言うと、トラッシュは瞬時にして天高く飛び上がった。

 さすが盗賊稼業で鍛えている彼はあっという間に二メートルはあろう男を飛び越し、背後へ下り立つ。

「わっ」

 そして男が咄嗟にナイフを動かそうとした瞬間、彼は懐から細長い針を取り出し、それを男の背中の一点深くに差し込んだ。

「っ!?」

 途端、男の腕が金縛りにあったように動かなくなる。

「……あのな」

 わけがわからず呆然としている男に、トラッシュは囁いた。

「人質ってのは諸刃の剣なんだよ。そーゆーのは絶対的に強い人間が圧倒的に弱い相手に対して使うもんなのさ。何故なら……」

 トラッシュは再び男の前方へと飛び、ルナシエーラを彼の手から放すとその目を閉じさせる。

「反撃のチャンスを与えちまったが最後、攻撃は倍以上になるからな!」

 言うが早いか彼の拳がチンピラの体の至る所にめり込んでいく。

 ――やがて、殆どサンドバック状態のチンピラがズーン、と鈍い音を立てて背後に転がると、トラッシュはフッと攻撃を止めた。

「……もう大丈夫だぜルナ――わっ!?」

 振り向いてそう言いかけたトラッシュは、突然ルナシエーラに抱きつかれて辛うじて彼女を抱き止める。

「トラッシュっ!!」

 体を小刻みに震わせながらしがみついてくるルナシエーラに微笑み、トラッシュは優しくその肩を抱いてやった。

「……もう大丈夫だよ。さあ、広場へ出ようぜ」

「ん……」

 ルナシエーラが体を離すと、トラッシュはその肩を優しく押して外へ促す。

 そしてある程度広い場所まで来ると、彼は一つ大きく深呼吸し、突然声を荒らげた。

「一体どーゆー神経してんだ、あんたは!」

「えっ……」

「トラキーアは昔と違うんだぞ!こんな人気のない寂しい路地になんか入ったらあんたじゃなくたって襲われるさ!もう少し警戒心を持てよ、警戒心を!」

「あ……だって……」

 ルナシエーラは反論を口にしようとし――トラッシュの顔を見て言葉を飲み込む。

 口調こそ激しかったが、彼の瞳は決して怒ってはいなかった。ただ、心配そうに曇る優しい光がそこにあるだけだった。

 ルナシエーラは俯いて呟く。

「……ごめんなさい」

 だが、トラッシュはまだ言い足りないのか更に続けた。

「大体、こんな見るからにうさんくさい連中に関わるから悪いんだぞ。こんな人通りのない路地になんか入りやがって、まるで襲って下さいって言ってるようなもん――」

「……おいおい、それくらいにしといてやれよトラッシュ。今回は彼女のせいだけじゃねぇだろ」

 とそこへ、ルーシィが一人の男の腕をねじり上げながら現れた。

「あら」

 ルナシエーラは彼がつかまえている男に驚きの声をあげる。

「あなたはさっきの」

 それは、さっき彼女を助けてくれたあの医者だったのだ。

「どういうこと?」

「何だ、まだ気づいてなかったのか?」

 ルーシィはトラッシュともども苦笑して言った。

「……君は騙されたのさ」

「えっ?」

「つまり、こいつもグルだったってこと」

 男を突き飛ばし、ルーシィは肩を竦める。

「最近よくあるんだ、こーゆー手。一旦助けて警戒心を解いてからこーゆー人のいない路地へ引っ張り込んでさ、そこで何かしちゃおうってわけ。こいつは呼び込み役なんだよ」「そんな……」

「と、いうわけだ。今回はまぁ許してやるよ。……だけど」

 トラッシュはふいに背後からルナシエーラの肩に腕を回し、ぎゅっと抱き寄せた。

「頼むからもう一人で出歩かないでくれ。……心臓が止まるかと思ったよ」

「……ごめんなさい」

 ルナシエーラがそう呟くのを見守っていたルーシィは、ふと気づいたように、こっそり逃げ出そうとしていた男の後ろ襟首をつまみ上げた。

「んで、こいつはどうする?」

「ひっ」

 男は二人に睨まれ、恐怖したようにへたり込む。

 トラッシュは男を脅すように指を鳴らした。

「当然、あいつらと同じ目にあってもらうさ。――彼女を傷つけようとした罪は重い」

「あ……あ……お、お許しを……」

「やめてトラッ……」

「ちょっと待ったトラッシュ」

「あん?」

 トラッシュが拳を繰り出そうとした瞬間、ルーシィが声をかけた。

「何だよ」

「いや、今日はおいしいトコ全部お前に持ってかれそうだからさ、最後ぐらいオレに譲ってもらおうと思って」

 お気楽にそう言いだすルーシィに、トラッシュは呆れたように手を振った。

「……勝手にしろ」

「んじゃま、お言葉に甘えて――」

 ギンッ!

 ルーシィが凄味のある目で男を睨むと、男は声にならない悲鳴をあげて凍りつく。

「お?」

 見ると、へたりこんで震えている男のズボンの股間からゆっくりと染みが広がっていく。

「お――おいおい、オレまだ何も言ってないぜ?オレの顔そんなに怖かったか、今」

 不思議そうにルーシィが尋ねると、トラッシュは肩を竦めた。

「今の顔が怖いんじゃなくて、普段のお前がちゃらんぽらんすぎんだよ」

「あにをぅ!?」

 ルーシィが不服そうに口を尖らせるのを無視して、トラッシュはルナシエーラの方を向いた。

「まぁ、今回はあんたを一人にしたオレにも責任があることだし、これくらいで勘弁してやるよ」

 そう言って、トラッシュは広場へと出た。

「……でも、さっきの人たち、どうして急に気絶したの?」

 ルナシエーラが不思議そうに尋ねると、トラッシュは軽く笑う。

「ああ、あれか。ありゃ神経を刺激されたからさ」

「神経?」

「そ。厳密に言うとツボってやつかな。……オレ、ダーツ得意なんだよ。だからあいつらの体に針を何本か刺してやったわけ」

 得意なんてレベルじゃない。普通のダーツの矢は針などとは比べ物にならないくらい太く、投げやすい。一体あとどれだけの技術を持っているのかわからないトラッシュに、ルナシエーラは改めて感心していた。

「それにしても、預けたおっちゃんがいい奴でよかったよなぁ」

 トラッシュは改めて頷く。

「まさかあのおっちゃんが有名な千里眼師だったとは思わなかったぜ」

「千里眼師?」

「ああ。あのおっちゃん、あんなみすぼらしい恰好(ナリ)してたクセに、その気になれば国のお抱えになれるほど腕のいい〈見通し屋〉だったんだ」

 千里眼師――これと言って魔法が使えるわけでも剣技に長けたわけでもないが、いながらにして世界のすべてを見通せる、占い師の一種である。

「あのおっちゃん、あんたは途中でいなくなっちまったけど、それだけの金貨もらってるからってさ、あの後ずっと水晶であんたを尾行(つけ)ててくれたんだ。だからオレたちすぐに居場所がわかったんだぜ」

「そうなの……」

「ところで」

 感心したようにルナシエーラが頷くと、トラッシュは突然話題を変えた。

「馬、買ったぜ」

「えっ?」

「馬だよ、馬。あんた乗ったことないって言ってたろ?ちょうど出物があってさ。来いよ」

 トラッシュに引っ張られて馬を繋いである柵の所まで行くと、そこには確かに一頭の白い馬が繋がれている。

「ほら……こいつがあんたの馬だ」

「これは……」

 ルナシエーラは目を疑う。

 それはただの馬などではなく、背中に透き通りそうなほど白い翼を持った聖獣だったのだ。

「聖天馬(ペガサス)……!?」

「じゃないんだ、残念ながら」

「!?」

 トラッシュは白馬の首筋を撫でてやりながら言う。

「こいつは魔法合成獣(キマイラ)なのさ。上手く出来ちゃいるがな」

「キマイラ?」

「そ。……いくら名馬の産地トラキーアと言えど、聖天馬(ペガサス)や一角聖獣(ユニコーン)は値が張ってオレたちにゃ手が出せねぇよ。こいつはペガサスと普通の馬をかけあわせた飛天馬(ペガサス)なのさ」

「飛天馬……名前は?」

 ルナシエーラがそっと馬を撫でながら尋ねると、トラッシュは首を振った。

「まだねぇよ、生まれたてだから」

「えっ?」

「……魔法合成(かけあわせ)ってのはさ。本来、自然界にゃルール違反みたいなもんなんだよ。だからコイツらには時間の流れがねぇ。コイツらは魔法合成した魔道士の意志によって姿形も年齢も決められ、死ぬまでこのまま……成長も進化もしないのさ」

「何だか可哀相……」

「そっか?そうでもないと思うぜ」

「!?」

「確かに時間の流れからは弾き出されてるけどよ。いい飼い主に当たればそれなりに幸せなんじゃねぇか?普通の馬だってペガサスたち聖獣だって、悪い飼い主に当たりゃあ、コイツらより不幸になることだってあるんだ。要は飼い主(あんた)がどんだけこいつを可愛がってやるかにかかってんじゃないかな」

「トラッシュ……」

「それに、仮にもトラキーアの姫(あんた)がそんなこと言っちゃいけねぇよ。トラキーアがこんだけ発展し、名馬の産地として名を馳せたのは、この魔法合成技術(かけあわせ)によるところが大きいんだからさ」

「ええ……そうね」

 トラッシュの言葉に納得したのか、ルナシエーラは頷いて馬の首をそっと抱きしめてやる。

「よろしくね」

 するとその飛天馬は彼女の言葉を理解したのか、小さくいなないて体をすり寄せた。

「ふふ、可愛い」

 ルナシエーラが嬉しそうに呟くのを見て、トラッシュも微笑んだ。

 と、後ろでルーシィの退屈そうな声がする。

「……おい、そろそろ帰ろうぜ」

 彼はまださっきのことを根に持っているのか、ムスッとした表情のままだ。

「何だよ、まだムクれてんのか」

「ほっとけ」

「ダメよトラッシュ」

 ルナシエーラは小さく睨んでトラッシュをたしなめると、ルーシィの所へ走った。

「……ん?何だい?」

「ごめんなさい、わたしのせいで余計な手間をかけさせてしまって……」

「あ――いいよ、気にしてないよ、それは」

「でも、結局それが間接的に原因になってるわけでしょう?」

「へっ?」

「あなたが気分を害した原因」

 ルナシエーラはくすくすと笑う。

 ルーシィは一瞬呆気に取られていたが、やがてフッと微笑って肩を竦めた。

「そうだな。じゃあ受け取っておこうか、その謝罪も」

「ええ」

 ルナシエーラは歩きだしたルーシィの後について、馬の方へと踵を返す。

 と、足元に転がっていた石につまづき、彼女は思いっきり前方へと倒れ込んだ。

「きゃっ!?」

「わっ!」

 ルーシィは背後の気配に咄嗟に振り向き、両手を広げる。が、ルナシエーラの勢いに圧されて自分もよろけ、結局二人して地面に倒れ込んでしまった。

「おっ、おい大丈夫か!?」

 慌てて二人に駆け寄ったトラッシュは、砂煙がおさまると目を剥く。

「ム……ムム……ムーッ!……ムムーッ……ムムムーッ!!」

 下方で何やら息の詰まったようなうめき声がする。

 ルナシエーラは転倒のショックから立ち直ると、自分がどういう態勢でルーシィに倒れ込んでしまったのかを知った。

「きゃっ!」

 彼女の胸が、ちょうどルーシィの顔を塞いでいた。

 ルナシエーラは驚くほど素早く飛び起き、両手で胸を覆って顔を赤らめる。

「く……苦しかった……」

 ルーシィはその途端どーっと大きな息を吐き、ふと、自分を通り越して世界を一周してしまうんじゃないかと言うくらい鋭い――或いは火山のマグマよりも熱く激しく燃える炎のような――視線を背後に感じ取った。

「……」

 振り向くと、そこには果してギンギンに目を光らせたトラッシュがいる。それは先程チンピラたちに見せた怒りの表情とはまた打って変わって、まるで体の中から金色の炎が吹き出しているかのようにさえ見える顔つきだった。

「……ふむ」

 ルーシィは怯えるどころか、にーっと笑う。

 さっきはひでぇ言われようしたからな。ふふん……イジメちゃる。

 それは端から見ているルナシエーラにも、いや、おそらくトラッシュ以外なら誰にでもわかるほど明らかにからかいの表情を浮かべた顔だった。

「ルー……」

「悪ィなトラッシュ、お前の役得奪(と)っちまって」

「……!」

「でもまぁ、たまにゃあいいよな、たまにゃあ。最近お前ばっか目立ってるし」

「……!……!」

「大体さ――そう、そうだよ、恋人ならともかく、お前はナイトなんだもんな。オレにだって彼女にコナかける権利はあるんだよなぁ」

「……」

「ちょっ……止めてくださいルーシィさん」

 ルナシエーラは次第に黒さを増すトラッシュの赤い顔に慌てる。

「からかうのにだって限度がありますよ」

「大丈夫だよ。……それに」

「きゃっ!?」

 突然ルーシィに抱き寄せられ、ルナシエーラは慌てた。

 咄嗟に身を硬くした彼女に微笑み、ルーシィは耳元に口を寄せる。

「君だってトラッシュの気持ちを確かめてみたいだろう?」

「えっ?」

 それが遠目にはまるでキスしているかのように映ることなど先刻承知でルーシィは続ける。

「ま、ナイト役ならあいつにゃかなわねぇし、オレが役に立てるなんてこれくらいだからさ。……少しははっきり意思表示した方がいいぜ。あいつ鈍感だから」

「……」

 ルナシエーラはフッと力を抜いた。

 そしてくすくすと笑い、頷く。

「でも、どうするんですか、あれ」

 ルーシィが彼女を放すと、ルナシエーラはため息をつきながらそちらを指さす。

「ん?」

 その先には、ムスッとした表情で馬に荷を乗せているトラッシュがいた。

「ありゃ」

「……完全に怒っちゃったみたい。知りませんよ、わたし」

 おもしろそうに言いながら、ルナシエーラは飛天馬の方へと走って行く。

 ルーシィはため息をつきながら首を振った。

「まったく、これだからお子ちゃまは……ジョークぐらい理解しろよなぁ」

 そして彼は、誤解をとく為に走って行った――。

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