第4話

「あぁ、おかえりトラッシュ。よかった、無事だったんだね。あんまり遅いから城で何かあったんじゃないかって心配――おや?」

 扉が開く音で奥から出てきた老婦人は、トラッシュが少女を抱きかかえているのを見て驚いた。

「その娘さんは?」

「それよりあったかいスープくれねぇか。腹ぺっこぺこで今にも倒れそうなんだ、オレ」

「だけど……」

「頼むよカルマ。詳しい話は後でちゃんとするからさ」

 トラッシュはルナシエーラをソファに寝かすと、奥から毛布を持ってきて彼女にかける。

「とにかく何か食べさせてくれよ。まだ起きねぇと思うけど、一応彼女の分もさ」

「……はいはい、それじゃ今あたためてくるよ」

 カルマが台所へと引っ込むと、外から老人が入ってきた。

「トラッシュ、馬は小屋(なか)へ入れたのか?ん、その娘さんは?」

「ちょっと事情があってね。行きがかり上ほっとけなくて取り敢えず連れて来たんだ。ところで、ルーシィは帰ってるか?」

「いや、まだだが。何かあったのか?」

「ん、ちょっとトラップに引っ掛かっちまってね。二手に別れて逃げ――つっ」

 トラッシュが顔をしかめて右足に手をやると、老人はすぐに理解したらしく棚から薬箱を取って来る。

「弓兵にやられたようだな。……どれ、ちょっと見せてみろ」

「わ!――あ、い、いや、いいよリカルド。後で自分でやるから」

 トラッシュが引きつった顔で慌てて身を引くと、リカルドは訝しげに眉を上げる。

「何言ってる、手当ては早いに越したことはないんだぞ」

「いいってば」

 何しろハンパじゃねーからなー、リカルドの手当ての荒っぽさは。

 そんなことを考えながら頑に首を振るトラッシュに、リカルドは何か気づいたようだった。

 悪戯っぽく瞳をきらめかせ、彼は無理やりトラッシュの脚を押さえつける。

「そんなこと言わずに見せてみろ」

「わっ、ちょ、おいやめてくれって、いいよ、やめてって……カルマ!カルマ何とかしてくれよっ」

 強引に包帯を取ろうとするリカルドにジタバタと抵抗しながら、トラッシュが殆ど悲鳴に近い声でカルマに助けを求めると、ソファの方からくすくす笑いが聞こえてきた。

「ん……?あ、悪ィ、起こしちまったか」

「いいえ、あなたの声で起きたんじゃないわ。……あの匂いに誘われたの」

 ルナシエーラがそう言いながら身を起こした時、カルマが鍋を持って現れた。

「さあ、スープが温まりましたよ。……おや、娘さんも起きたんだね。一緒にどうだい?あたしのスープは世界一だよ」

「ありがとう、いただきます。……ねえトラッシュ、その傷の手当て、わたしにさせてくれる?」

「えっ?」

「これくらいじゃとても返しきれないけど、少しでも恩返しさせて」

 そう言って、ルナシエーラはトラッシュの前に跪いた。

「ルナ――」

「すべての生命(いのち)の源よ。白く輝く優しき光よ。汝が慈愛を分け与え、傷つく者に癒しの力を」

 すると、ルナシエーラの掌から柔らかな光が放たれた。そしてその光はトラッシュの傷を見る間に塞いでいく。

「ほお……」

 リカルドが感心したように呟くと、トラッシュはルナシエーラをまじまじと見つめた。

「あんた……魔法使えるのか」

「いいえ、わたしもあなたと同じ精霊使い(エレメンタルマスター)よ。わたしは光の属性を持つ〈光使い(ホーリーマスター)〉。この指輪が増幅体となる魔法秘具――光の秘石ダイアモンドがついたマジック・リングなの」

「光使い――主に回復の秘呪や防御の秘呪を使う神官みたいな精霊使いだったよな。……でも、そんな力があるなら今までどうして――」

「あそこは特別な場所だもの。光の秘呪には風使いのような移動秘呪はないし、あの部屋の壁には封呪の魔法がかけられていたから」

「なるほど」

「さあさあ、おしゃべりはそれくらいにして、早くスープをお飲みなさいな。……あたしは寝床の用意でもしてこようかね」

「あ、わたしもお手伝い……」

 ルナシエーラが立ち上がろうとするのを制してカルマは笑う。

「いいんだよ、あんたは食事をしておくれ。……何があったのかはまだ話してもらってないけど、こんな夜更けにこの子が連れてきたくらいだ、只事じゃないんだろう?今日はもう遅いし、食事をしてゆっくりと休むがいいさ」

「ありがとうございます。突然お邪魔してご迷惑おかけしてしまって――」

「いいさ、この子が判断して決めたことだ、話は明日にでもゆっくりと聞かせてもらうよ。……トラッシュ、お前はどうする?」

「……ん?」

 一人もくもくと――脇目もふらず一心不乱にスープをすすっていたトラッシュは顔を上げた。

「どうするって、帰るよもちろん。ああ、アレッサのことか……んー、いいや、〈風〉使うわ。今日は珍しくいい風が吹いてるし、さすがに疲れてっから」

「そうか。じゃあ私はアレッサを小屋へ入れてこよう」

「ああ、よろしく」

「――どこへ行くのトラッシュ?」

 その時、不安そうな声でルナシエーラがトラッシュの腕に手をかけた。

「ん?」

「あなたの帰る家へは連れて行ってくれないの?」

「えっ……」

 すると、何を思ったのかトラッシュは真っ赤になってあたふたと慌てる。

「だっ、だって……オレ、森の中央で一人で暮らしてんだぜ。いくらなんでも女の子を泊めてやるわけにゃいかねぇよ。大丈夫、カルマたちが世話してくれるからさ。何かあったらすぐに飛んでくるし、奴らだってすぐには追ってこれやしないよ」

「でも……」

「娘さん、トラッシュを信用してくれるのは嬉しいんだけどね、年頃の女の子が若い男の家へ行きたいなんて言っちゃいけないよ。あんたの面倒はあたしたちがちゃんと見てあげるから、安心してお休み」

「そういうこと。明日の朝また会いに来るよ。な」

「……約束してくれる?」

「オーケー、約束だ。……じゃ、後はよろしく頼むよリカルド」

「ああ、わかった」

 トラッシュが自分の家へ帰って行くと、カルマは微笑みながらルナシエーラの肩を抱き、囁いた。

「あんた、幸せ者だよ」

「えっ?」

「あの子、盗賊なんてことをやってる割には優しいし正義感も強い方だけどね、あそこまで他人を……とくに女の子を気づかうなんて滅多にないんだよ。あんたがどんな目に遇いなさったか知らないけどね、いくら困っていても、下町の宿屋に連れて行かずにあたしらの家まで連れて来て面倒を見させるなんて初めてだよ。……あんた、よっぽどあの子に気に入られたんだね」

「……」

 カルマの言葉に顔を赤らめながら、ルナシエーラは窓の外の暗闇を見つめ、振り返る。「あの……わたしに何か出来るでしょうか?あの人が喜ぶような、何か――」

「んー……料理はできるかい?」

「あ、いいえ……家事と呼ばれるものは何も……」

「ふーん、まぁ、最近の娘さんはそういう人が多いっていうから不思議はないけどねぇ。でも、あの子が喜ぶようなことって言ったら、美味しい料理を作るくらいしかないよ」

「じゃあ、教えていただけますか?わたし、何か恩返しがしたいんです。不器用ですけど、一生懸命覚えますから」

 カルマは、真剣な口調で頼み込むルナシエーラに内心にっこりと微笑んだ。

 こりゃ、いい選択したかもしれないねえ、あの子。今どきこんな純粋で綺麗な目をした娘はなかなかいないよ……。

「お安い御用だよ。……とにかく、今日はもうお休み。ベッドは用意しておいたから」

「はい」

 ルナシエーラはペコリと頭を下げ、カルマが教えてくれた部屋へ入って行った。

「なかなかいい子じゃないか」

 馬を小屋へ入れて帰ってきたリカルドがそう言うと、カルマは大きく頷く。

「ええ、近頃じゃ滅多にお目にかかれないほど気立てのいいお嬢さんですよ。器量もいいし、言葉づかいもしっかりしてるし。トラッシュもいい子を見つけたもんですねぇ」

「まぁ、意図的に見つけたわけじゃないだろうがな。……四才だったあの子を私たち夫婦が引き取って十三年。そろそろあの子にも春が来たというところかな」

「そろそろと言うか、やっとと言うか」

 カルマはテーブルに腰かけたリカルドにコーヒーを渡しながらため息をつく。

「あの子ときたらまるで女の子には興味がなくって、本当に心配してたんですよ。このまま独り身を通す気かってね」

「おいおい、まだ十七だぞトラッシュは。いくらなんでも、そりゃ結論が早すぎるさ。だが……何だか妙な胸騒ぎがするな」

「あの娘さんのことですか?」

「ああ。――もっとも、年寄りの取り越し苦労かもしれんがな。……あの娘さんの着ていた服、あれは寝間着のようだったが、今どきこのウィスタリアやトラキーアであんなシルク地を寝間着に使えるのは相当な家柄の人間だけだろう。それに耳につけていたアクセサリーもかなりの値打ち物だ。トラッシュの奴、一体なにをやらかしたのか知らんが、どうやら厄介ごとに巻き込まれている感じがするな」

「それだけじゃありませんよ」

 カルマは胸元に下がる水晶のペンダントを持ち上げる。

「あたしは家系の中でも落ちこぼれで、未来のことは殆ど見通せませんけどね。それでも占い師の血が何かを告げていますよ。……間違いなく、あの娘さんはあたしたちに何か大きな転機をもたらします。それが災厄なのか幸運なのかはわかりませんけどね」

「まぁ、それはあの子たち次第だろう。例えもたらされる転機が災厄だったとしても、自分たち次第で運命は変えることができる筈だ。私はトラッシュを信じているよ」

「あたしもですよ。あの子は両親の強い意志の力と希望を信じる強靱な精神(こころ)を受け継いでいます。きっと幸せを掴みとりますよ、えぇ、そうなりますとも」

 きっぱりとそう断言するカルマに微笑みながら、リカルドはゆっくりとコーヒーを飲み干した。

「さてと、それじゃあ私たちもそろそろ休むとするか」

「扉の鍵はどうします?」

「あぁ、開けておいた方がいいだろう。ルーシィが飛び込んでくるかもしれんからな。……それにしてもあの男も変わっているな。一流の剣士でありながら主(あるじ)に仕えることを拒み、流浪の旅を続けるとは。あの男がトラッシュを盗賊に引っ張り込んだ時は心配したが、どうやらトラッシュの人を見る目は確かだったようだな」

 カルマはテーブルの上を片づけながら頷いた。

「そうですね。確かにルーシィは変わっていますけど、人の痛みを思いやれる優しい子ですからね。流浪の旅を続けているのだって、何でも最初に仕えていた城を理不尽な理由で追われたせいらしいじゃないですか。それなのに変にヒネくれもせず、決して弱みを見せず……トラッシュはいい兄貴分にめぐり会いましたよ」

 二人がどういう状況で二手に別れたのか知らない老夫婦は何の心配もせずに部屋へと引き上げる。

 いや、もし知っていたとしても、彼らは同じように心配しなかっただろう。

 盗賊になりたてのトラッシュならともかく、ルーシィの剣技や咄嗟の判断力はトラッシュの数段上を行っていた。

 そんな彼に一年ほど前に出会い、トラッシュが身の軽さだけでなく、格闘技や剣技をも身につけどんどん強くなっていったのは、もしかしたら運命が彼らに差し伸べた〈救いの手〉なのかもしれなかった――。

 

「ん?」

 翌朝。

 まだ周囲が紫色の朝霧に包まれている中、水を汲むために小屋から出てきたリカルドは背後に物音を感じて振り返った。

「誰だ?トラッシュか?」

「オレだよリカルド」

 森の木立の中を、長身で長い髪をした黒い影がこちらに向かって歩いてくる。

「おぉ」

 リカルドはその影が木々の間から差し込む朝日の下に立つとにっこりと笑った。

「おはようルーシィ。どうやら無事、逃げおおせたようだな」

「ああ、おかげさんで、どうにかね。その様子じゃトラッシュも無事に帰ってきたらしいな」

 ルーシィはリカルドの持っていた水桶を受け取りながら小屋へ向かう。

「それで、トラッシュの奴、脚の方はもう大丈夫なのか?」

「ん?何だ、先に会いに行ったんじゃなかったのか?」

「いや、行ったんだけど家にいなくてさ。で、こっちにいるのかと……いないのか?」

 ルーシィの言葉にリカルドは頷く。

「ああ、まだ来ていないが……ま、そのうち来るだろう。約束だからな」

「約束?」

 ルーシィが聞き返した時、小屋の扉が開いてカルマが現れた。

「おやルーシィ、無事だったんだね」

「よっ」

 軽く片手を上げて挨拶すると、ルーシィはカルマの背後にもう一人、別の人間の気配を感じ取って覗き込む。

「誰か先客かい?」

「えっ?ああ、あの子のことかい?いや、昨日トラッシュが連れて帰って来てね。一晩ウチに泊めてあげたんだよ」

「トラッシュが?」

「ああ、そうだよ。何だ、あんたもあの子が誰だか知らないのかい」

「へっ?」

「いや、トラッシュはまだ何も教えてくれなくてね。あたしらもあの子が誰だか知らないんだよ。名前すらね」

 のんきに微笑むカルマに、ルーシィは苦笑した。

「相変わらず人がいいねぇ、二人とも。……じゃ、オレもちょっと挨拶してくるかな」

「――トラッシュ!?」

 背後に人の気配を感じて振り返ったルナシエーラは、見知らぬ男の姿にハッと硬直した。

「だ……だれ!?」

「これはこれは美しい娘さん、気持ちのいい朝ですね。……私の名はルーシィ。ルーサンド・アル・ダミラスと申します」

「あ……」

 ルナシエーラは昨夜のトラッシュの会話を思い出した。

「あなたがルーシィさん。……昨日、宝物庫の鳴子に引っ掛かった方ね」

「へっ?何で君がそれを……」

「よおルーシィ!無事だったのか」

 と、その時トラッシュが戸口に現れた。

「トラッシュ!」

「……やっと来たか。どこ行ってたんだよ、お前ん家まで行ったんだぜ」

 不満げなルーシィに肩を竦め、トラッシュはルナシエーラに微笑みかける。

「おはよう。よく眠れたかい?」

「ええ、とっても。……足、大丈夫?」

「ああ、あんたのおかげでね。……カルマ、これ」

 トラッシュは懐から金貨の入った重そうな革袋を取り出す。

「……お前…あの騒ぎん中でしっかり獲物を盗ってきてたのか……」

 呆れたように首を振るルーシィ。

 トラッシュは軽く頷いた。

「まぁ、一応なんか盗ってこないと盗賊の沽券にかかわるからな。それに、ちょっとギルドにも用があったし」

 トラッシュがそう言ってルナシエーラに微笑みかけると、ルーシィは思い出したように尋ねる。

「トラッシュ、彼女は一体?」

「……」

 不安そうに身を寄せるルナシエーラの肩をそっと叩くと、トラッシュはテーブルにつく。

「ルーシィ、お前、お前の剣にかけて信用できる奴だよな」

「あ?何だよ、いきなり」

「それにカルマもリカルドも、絶対にオレを裏切ったりしないよな」

「むろんだ」

「怒るよトラッシュ」

 三人の答えに満足したのか、トラッシュはルナシエーラに一つ頷いて彼女の名を三人に明かした。

「な……」

「この子が、あの……?」

 三人は目の前に立つ可憐な少女を改めて見つめる。

 ルナシエーラは恥ずかしそうに俯いていたが、やがてきっぱりと頷いた。

「なんてこった……」

 ルーシィが疲れたように座り込む。

「ルーシィ?」

「お前、自分が何をしたのかわかってんのか?彼女を助けたってことは、大臣に追われるってことだぞ?彼女を取り戻す為だけじゃない。お前はアブダラの企みを知る、生かしてはおけない人間になっちまったんだぞ?」

「わぁかってるよ、んなコトぐらい、ガキじゃねぇんだから。……でもよ」

 トラッシュは心なし俯いてぽつりと呟く。

「ほっとけなかったんだよ。何となく……オレが護ってやらなきゃって気がしたんだ」

「……」

 ルーシィはそんなトラッシュを温かく見つめた。そしてフッと微笑む。

「OK、わかったよ」

「ル……?」

「お前が信じたことなら、最後まで貫けばいいさ。オレはただ信じたダチについてくだけだしな。……あんたらはどうする?」

 ルーシィが振り向くと、リカルドもカルマも肩を竦めていた。

「そんなこと聞かなくてもわかってるだろう?トラッシュが決めたことに口出しなんて出来やしないさ。この子が自分の意志で決めたことが間違ってたことは一度もないんだから」

「そうだな。私らに何が出来るかはわからんが、少なくとも反対はせんよ。こんな気立てのいいお嬢さんを見捨てるわけにもいかんしな」

「あ……ありがとうございます。わたし……なんてお礼を……」

「いいんだよ、そんなこと。その気持ちだけで十分さ」

 カルマは優しくルナシエーラの肩を抱く。

「今までさぞ辛かったろうねぇ。きっと天国のご両親も、よく頑張った、って褒めて下さってるよ」

「カルマさん……」

「カルマでいいよ、お姫さま。あんたは何の心配もしないでトラッシュを信じておいで。きっと何とかなるからさ」

「はい」

 ルナシエーラがこぼれる涙をそっと拭った時、隣で大きな音が鳴り響いた。

 ぐーっ。

「!?」

 続いて別の方向からもう一つ。

 ぐーっ、きゅるるーっ。

「……」

 ルナシエーラはカルマと顔を見合せ、吹き出す。

「や、いやだよぉトラッシュったら……」

「ルーシィさんも……大きな音……」

「へ……」

「へへ……」

 トラッシュとルーシィは照れくさそうな顔をしながらお腹をおさえている。

「……さあさあ、それじゃあ朝食にしましょうかね。お姫さま、手伝ってくれるかい?」「あ、はい。喜んで。……でも、そのお姫さまってやめてください。ルナシエーラでいいですから……」

 二人が台所の方へと消えてしまうと、ルーシィはふと真剣な表情で囁いた。

「……これからどうするつもりだ、トラッシュ?」

「あん?」

「このままでいられるわけないだろう。何か手を打たんと……」

「ああ、とりあえず打ってきたよ。ギルドの連中にデマを流してもらうよう頼んできた」

「デマ?」

「ん。豪勢な身なりの女が南の方へ脱出したらしいってさ」

 トラッシュは眠そうにあくびをしながら言う。

「本当にそうなら一番いいんだろうけどさ。でも実際は国外脱出なんて殆ど不可能に近いだろ。だからせめてデマ流してほとぼりをさまそうと思って」

「で、ギルドの連中は?」

「もちろん快く承知してくれたよ。と言っても、事情を知ってんのは頭(かしら)のジェイクだけだけどね」

「ああ、あいつなら嫌とは言わないだろうな」

 ジェイコブ・ハリス。元々はウィスタリアの王宮に仕え、二十才の若さで王の親衛隊長にまで上り詰めたほどの騎士である。

 ――本来、盗賊ギルドのような組織は権力を持った悪党と癒着し、その甘い汁をすすることが多いが、現在トラキーアで幅をきかせているのは彼が仕切る盗賊ギルドである。

 城の騎士でありながら国を追われたジェイクは盗賊に身をやつし、同じような境遇の人間を集めてトラキーアの盗賊たちを仕切ることで、大臣や彼に追随する腹黒い金持ち連中へのささやかな抵抗を示しているのだ。

「じゃあ、最終的にはあの子を国外へ出すつもりなんだな?」

 いやに含みのある言い方に、トラッシュは戸惑う。

「当たり前だろ。何でそんなこと聞くんだよ」

「……」

 ルーシィはじっとトラッシュの目を凝視した。

 その中には真っ直ぐに輝く強い光と、そして微かに迷いの光が瞬いていた。

「いや、別に」

 トラッシュの中に今まではなかった感情が芽生えつつあるのを感じ、ルーシィは微笑む。

「ただ何となくそう思っただけさ。気にしないでくれ」

「……?変な奴だな」

 訝しげに言いながらもトラッシュは肩を竦め、ルナシエーラたちが運んできた朝食にかぶりついた。

「あぁ、そうだ忘れてた」

 一通り朝食を済ませ、コーヒーを飲み干すとトラッシュは思い出したように言う。

「ルナシエーラ、これから町へ行くけど一緒に行かないか?」

「えっ?」

「オレ、カルマに買い物頼まれててさ。あんたも着る服とかどうにかしなきゃだろ、取り敢えずはここでほとぼりがさめるのを待たなきゃならないし」

「ええ、でも……」

「おお、そりゃいい」

 と、ルーシィが頷いた。

「いくら追われる身だからって何も閉じこもってばっかいるこたぁないよな。せっかく十三年ぶりに出て来たんだ、外の世界を思い切り満喫したって罰はあたらんだろ」

 ルーシィは軽くそう言ったが、ルナシエーラは返事を言い渋った。

 確かにトラッシュの申し出は魅力的だが、町には兵士たちがあふれているのだ。いくら二人とも強いからと言って、囲まれたらどうなるかわからない。

 第一、ルナシエーラはトラッシュに危険が及ぶことはなるべく避けていたかった。

 だが、トラッシュやルーシィだけでなく、カルマまでもがその意見に賛成する。

「行っておいでよルナシエーラ」

「……でも、兵士たちに見つかったら……」

「大丈夫、あんたは長い間世間の目から隔離されてきたんだ、下町に行ったぐらいじゃバレやしないよ。ゆっくり楽しんでおいで」

「トラッシュ……」

 ルナシエーラが問いかけるように見上げると、トラッシュは力強く頷き、笑った。

「オレがついてる」

「……」

 ルナシエーラは暫く考え込んでいたが、やがてゆっくりと頷いた。

 せっかく気を使ってもらっているのに断ったら失礼だと思ったし、何よりトラッシュがそう断言するのなら、彼女に怖い物は何もないのだ。

「ん。じゃあ行くわ」

「よし」

 嬉しそうに笑うと、トラッシュは立ち上がる。

「善は急げだ」

「ちょ、ちょっと、もう行く気かい?まだ夜が明けたばかりだから店なんてどこもやってないよ?」

 カルマが慌てたように言うと、トラッシュは首を振った。

「わかってる、町に行くのは昼頃だよ。……それまでに仕事終わらせとかないとね」

「仕事?また盗みに行くの?」

「いーや、そっちは副業。本業は別にあるんだ」

「本業?」

 ルナシエーラが不思議そうに尋ねると、横でルーシィが笑った。

「……こいつ、盗賊になる前は自給自足の生活を送ってたんだ。今でも畑で野菜を育ててるんだよ」

「まあ」

「似合わないだろう?けど結構うまいんだぜ、トラッシュの畑で穫れた野菜は」

「トラッシュ、一緒に行っちゃだめ?」

 ルナシエーラは目を輝かせた。

「へっ?」

「わたしにもお手伝いさせて。絶対、絶対、邪魔はしないから。ね、お願い」

「そんなコト言っても――」

 トラッシュは困ったようにカルマに目をやる。

 いくら彼女が頑張っても、今まで家事すらしたことのない人間につとまるほど、畑仕事はラクじゃない。

 だがカルマはウインクしながら頷いた。

「カルマ――」

「連れてっておやりよトラッシュ。あそこには綺麗な泉もあることだし。そうだ、ルーシィも一緒にお行き」

「あ?何でオレが」

「そりゃお姫さまのお相手する為に決まってんじゃないか。いくら頑張ったところで、畑仕事は素人には十分も続けられない重労働だからね。彼女が退屈しないように一緒に行っておやり」

「あ、いいです、そんな――」

「ああ、それもそうだな」

 ルーシィは軽く頷いて立ち上がった。そしてふと気づいたように悪戯っぽく笑う。

「でも……オレが行ったりしたら却って邪魔かな?」

「えっ……」

「なっ、なに言ってんだよルーシィ」

 微かに顔を赤らめながらトラッシュが言うと、ルナシエーラは恥ずかしそうに俯いてしまう。

 二人の初々しい反応に、これはいじめ甲斐があると思ったのかルーシィはさらに続けた。

「まぁ、オレはそこまで野暮じゃないからさ、邪魔になるようだったら一人で遊ぶから気兼ねするこたないからな。一緒に畑仕事するなり、泉で泳ぐなり何でもやってくれよ。なんてったってお前はお姫さまのナイトだもんなあ?トラッシュ」

「……ルーシィ」

 暫くたってトラッシュがぽつりと呟いた。

「ん?」

「ヤな奴だな、お前」

「サンキュ」

「……」

 憮然とした表情でルーシィを睨みつけるトラッシュと、とぼけて口笛を吹いているルーシィとを交互に見比べている内に、ルナシエーラは何だか笑いがこみ上げてくる。

「ん……?」

 トラッシュたちも、彼女のくすくす笑いにつられるように吹き出した。

「……じゃあ、行ってくるわ」

 まるでずっと前からそうしていたかのように自然にじゃれあいながら三人が森の奥へと入って行くのを、リカルドとカルマは微笑みながら見送っていた――。


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