最終話 三度目の——。

 聖堂の前で丸一日経過し、野宿をしていたヴァネッサは異変に気付いた。

 周囲を覆っていたもやが晴れ、青空が広がっていく。

 霧が晴れていくように。夜が明けていくように。


 鬱蒼とした禍々しい空気は澄み渡り、周囲にいる動植物の息吹が伝わってくる。

 悪しき者は破れ去ったのがはっきりと感じられた。

 空を見上げ、ヴァネッサは一日ぶりに見る太陽を懐かしく思う。


「遂に、勝利を……手に入れて——」


 つぶやいた声が、震えていた。


 しかし。

 それから一時間ほど経過しても、二人が帰ってこない。

 待てども待てども——二時間……三時間……。

 ただ時だけが過ぎていく。


 聖堂の周りで小鳥の声が響き、爽やかな風が吹いているのに。

 二人だけが戻って来ない。

 次第に不安になるヴァネッサ。


 まさか……せっかく魔王を倒したのに……。


 ヴァネッサは、護身用にしている短剣を携え、静かに佇む聖堂を見つめる。


「——命令違反をお許しください」


 遂に待ちきれなくなって、ヴァネッサは聖堂に侵入していく。



 聖堂の中は、やけに古びていた。

 まるで何年も経ったように、壁、床、天井……その全てがくすんでいる。

 蜘蛛の巣があり、場所によっては壁や天井がひび割れている。


 ヴァネッサは慎重に探索していく。

 そして、遂に聖女の間に到達する。

 すると彼女は、その中央、聖女の座の後ろに、光っているものがあることに気付いた。


 駆け寄ると、近くの床に赤く、黒いもので汚れ破れたドレスが落ちている。


「これは……?」


 そこには、何者もいなかった。

 魔王の姿も、二人の姿もない。


 ただただ、光を放っているもの……宝石だけが宙に浮いて仄かに光っている。


 その輝きに見覚えがあったヴァネッサは走り出す。

 そして……浮いている宝石を手で触れようとする。


 ——二人はいったいどこへ?


 ヴァネッサの心臓が高鳴る。

 恐る恐る手を伸ばすヴァネッサ。

 そして宝石に触れた途端、ヴァネッサは、温かいものが体の中に入ってくるのを感じた。


「ああ……ミーナ様」


 まるで、笑顔のミーナが、自分と重なるような感覚。

 一度失われた右手の指や、体の内部から……。

 再生された体の部位が、ミーナを感じていた。


 遙か遠くに……時すらも超えて離れてしまったミーナの残滓。


 その存在を感じていると、ヴァネッサの脳裏に一つの呪文が次第に浮かんできた。

 魔術師であるのにもかかわらず、聞いたことがない呪文だ。

 しかし……その呪文の意味を、彼女は理解した。

 碧く光る宝石が、教えてくれている。


「やれやれ……これが最後ですよ……」


 彼女はつぶやくと、目を瞑った。

 精神を集中し、頭の中に浮かんだ呪文を唱え、体内の全ての魔力を操作し完成させる。


「【聖・騎士召喚】!」


 その瞬間、太陽よりも強烈な光が聖女の間を覆った。

 とても眩しく、とても暖かい……光の渦が生まれる。



 その光の中心に……ゆっくりと何かの影が現れていく。

 次第に目が慣れて、その正体が分かる。


 ヴァネッサの瞳には、クラウディオとミーナが手を繫ぎ、共に歩いてくる姿が映っていた。

 生命力を消費したはずのミーナの顔は、むしろ朝より顔色が良い。

 クラウディオの顔は自信に満ちており、微笑みさえたたえている。


 ご無事で何よりで——。


 ヴァネッサは、叫ばずにはいられなかった。


「ああ……お帰り……お帰りなさい!」






 街に戻ると、不思議と住人たちが華やぎ、お祭りムードになっていた。

 心の霞がとれたように、住民達が笑顔でいる。


 三人は出発したときと同じような歓待を受けつつ、馬を歩かせ、街外れまでやってきた。

 周囲にあれほどいた住民達は、何かを察したのか姿が見えない。


「殿下。私は先に王都に戻ります。お二人はゆっくり帰って頂くとして……いつごろお戻りで……?」

「何を言っているのだ? 三人で戻ればいいだろう?」

「……やれやれ。殿下が戻られたら、色々とイベントがあるのです。これから……大変忙しくなると思います。ミーナ様も同じです」

「うむ。分かってる」

「ですので、その前に数日ほどミーナ様と休暇を取られてはいかがでしょう? といいますか、騎士を連れてお迎えに上がりますので、すぐに帰ってこないで下さい」

「ええっ?」


 くすくすと、ミーナの声が聞こえた。


「ミーナ様も、ゆっくりされたいでしょう?」


 ヴァネッサの問いに、「はい!」というミーナの弾むような返事が返ってくる。


「わかった。ありがたく休ませてもらおう」

「私はこれより大臣や、殿下のお父上にも報告やら、様々な準備が必要で……大変忙しくなります。連絡は四日後までつきませんので、ひ・と・り・で、ミーナ様の要求に全て応えてあげて下さい」

「そんなに忙しいのか」

「はい。それに、何より……ミーナ様はだいたい一年後くらいでしょうか? 大仕事が控えておりますから」


 ヴァネッサは、ミーナから感じる新しい命の息吹に思いを馳せる。


「大仕事? 何だ……それは? 聞いてないぞ?」

「私の勘ですので……あまり気になさらないでください。では、ご機嫌よう!」




 ヴァネッサが馬を駆り、疾走して行く。

 伝達の魔法で王家に一報を入れているので、あまり急ぐ必要は無いのだが。

 風を感じたくて仕方なかった。


 ヴァネッサは思う。 


 魔王を倒せたのは当然のこと……。

 問題は聖女の命をどれくらい削るのか。

 ただ、それだけの問題だった。


 ミーナ様を救うために、クラウディオ殿下は無理をされてきた。

 命すら惜しくないと思っていたのかもしれない。


「盟約はこのような事態……王子の危険を避けるために、聖女との距離をとるために……?」


 しかし皮肉なことに、婚約破棄という出来事が、かえって二人の仲を深めてしまった。

 それすらも想定した盟約なのだろうか?


 ただ、そこにあったのは……。

 王子が誓った十年前の純粋な思い。



 さあ、忙しくなります。

 ヴァネッサは身の引き締まる思いを抱く。


 正式な婚礼の儀がありましょう。

 凱旋パレードの準備も必要でしょう。

 お祭りもあります。新しい真の聖女を迎えなくてはいけません。


 だいたい、王子が勝手に婚姻の儀を開いていたなど。

 ——王にどうやって伝えたものかしら。


 厄介な仕事だと思いつつ、ヴァネッサは口元が緩むのを抑えられない。


 聖女ミーナの三度目の正直。

 それはヴァネッサ自身の願いでもあり、いずれ叶えられるだろう。

 しかし、その願いの先に、さらに大きな願いがとは……ヴァネッサは驚きつつ深い感動を抱く。


 これを案外、というのかも知れませんね、と彼女はつぶやく。




 一人の女性を乗せた馬が軽快に、颯爽に駆けていく。

 青々とした草原に風が吹き渡り、空はどこまでも澄んで青く、どこまでも高く続いていた——。



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