第19話 私の願いが叶うとき。

 どうしてこうなった?

 クラウディオは思った。


「誓いますか? クラウディオ……クラウディオ・ディ・パガーノ」

「…………」



 ヴァネッサの願いを断っても、彼女は引き下がってくれただろう。

 本音と建前。それを、巧みに扱う彼女のことだ。心配は無かろう。

 一旦は返事を保留したものの、クラウディオは常識的に拒否の一択だと考えていた。


 しかし……。


 なんと、クラウディオが返事を告げる前に、結婚の話を知った街の住人が勝手に盛り上り、勝手に話を進めていたのである。

 どうやってこの話が住民へと漏れたのかは精霊神のみが知る謎だ。


 クラウディオの地位からすれば当然止めることはできた。


 だが、どうして……私は断らなかったのだ? 止めなかったのだ? クラウディオは自問する。

 これはあれか? 噂に聞く結婚の勢いってやつなのか?

 クラウディオは自ら、ぶつくさ言ったを全てすっ飛ばし、この場にいたのだった。



「……誓いますか?」

「あ、ああ。誓おう」


 司祭に急かされ、クラウディオは我に戻る。

 次に司祭が新婦の方を向き、問いかけた。


「誓いますか? ミーナ。ミーナ・フォン・クリスティーニ」

「はい。誓います!」


 いつになく元気で、はっきりと返事をするミーナ。

 彼女の声に、参列者が歓声を上げる。


 参列者は全て街の住民だ。

 ミーナが救った者、その家族や知人。

 婚姻の儀の噂を聞き一目美しい新婦を、精悍な騎士を見ようと足を運んだ者。

 なんだか楽しいことがあると話を聞き集まった者。

 会場に入りきらないほどの大勢の住人が集まっていた。



 ここは、街から近い湖畔の神殿。

 忙しさにかまけ、久しぶりに訪れる者も多い。


 婚姻の儀の前、侍女達によって整えられたミーナの美しさは格別だった。

 ドレスはそれこそ急仕立ての一般的なものだが、それだけにミーナの美しさをより際立たせている。

 胸元に光る碧い宝石が、ちょっとしたアクセントになっていた。


 クラウディオは感激のあまり、息を飲みしばらく固まってしまったほどだ。


「ではご両名、一歩前に。こちらで——」


 ミーナは、準備の段階から心が浮き足立ち、そわそわして仕方が無かった。

 コリン伯爵との婚姻の儀は「あれはリハーサル、練習だった」と思うことにした。


 今日が本番なのだと。

 以前とまるで違う心の高揚をミーナは感じている。


「——誓いのキスを」 


 向き合う二人。

 会場に、再び静寂が訪れた。

 誰もが固唾を飲んで見守っていた。

 ヴァネッサも、どうしてこうなったと思った者の一人だ。

 彼女もまた言葉を失い、握りしめる手のひらに汗が滲んだ。


 クラウディオは、震える手でミーナの肩を抱く。

 そして顔を近づけ……。

 ……唇が触れる直前で止まった。


 会場には、相変わらず静寂が包んでいたが、誰もが「えっ? 早く! 焦らすな!」と思っていた。

 ヴァネッサだけは……やれやれ……いつものあれか、と苛立つ。


 結局しびれを切らしたミーナが、クラウディオの頭を引き寄せ——。

 ようやく、二人の姿が一つに重なった。


「わああああああ!」

「おめでとう!」


 歓声が、会場内にこだまし、広がっていく。

 歌い出す者もいる。

 拍手が鳴り響き、歓声が、歌声が、祝福の声が、果てしなく続いたのだった。



 ヴァネッサの計らいで、二人は神殿の近くの宿泊用の一軒家を貸し切り、一晩、二人だけで過ごすことになった。

 街の人々がとびきりの料理を作り、二人の元に運んでくれる。

 久しぶりに、のんびりとした夜を、クラウディオとミーナは過ごしていた。



 食事の後、身を清めたその後……。

 寝室の大きなベッドに、二人向かい合って横になっていた。

 他愛のない話に花を咲かす。 


「思い出したあの朝ね、あの時の男の子が、クラウディオさまだったらいいのに……ってちょっと思ってた」

「それは本当か?」

「えへへ……」

「なんだよ……その笑顔は……卑怯だぞ」

「だって……だって……嬉しさがね、止まらないんです。都合がいい……そんな勝手な思いだと思ってて……。でも、本当だった。貴方の優しさ……全然変わってない。太陽のような匂いも……温かさも」

「変わってない……か。それは良いことか?」

「はい!」


 しばしの沈黙。

 その後にクラウディオが、急に詫びはじめる。


「済まない。ずっと隠していて。私は……」


 クラウディオは、自身が王国の第二王子であること、そしてミーナの一度目の婚約破棄は、自分とのことだったと伝えた。

 それを知っていて、ずっと黙っていたことを。


 王家と初代聖女との間で交わされた盟約。

 クラウディオの知らないところで婚約破棄が行われ、謝るつもりでミーナに会いに行ったこと。

 謝るのではなく、一つの誓いを立て、守ろうと思ったこと。


「……殿下」


 ミーナは、クラウディオの顔に手を寄せ、その輪郭を辿った。

 まったく気にしていないこと。

 そして、一度目の相手とこうして結婚できたことを、嬉しく思うと胸の内を語る。


「ミーナ……君は、変わった」

「そうでしょうか?」

「可愛い女の子だと思ってたけど、とても素敵で、綺麗になった。聖女の務めを果たすときの真剣な表情や、想い……純粋で、ひたむきで、優しくて……」

「もう……そんなこと言って」


 恥ずかしくなったミーナは、照れ隠しで唇を寄せる。

 そしてクラウディオの瞳を見つめて、真剣な眼差しでミーナが話し始める。


「私ね、もう何も怖くありません。聖女が何であるのか、分かりました。時々聞こえた【内なる声】が、教えてくれたのです」

「……そうか。済まない……」

「もう。やっぱり変わってない」


 くしゃくしゃっと、ミーナはクラウディオの髪の毛を撫でる。


「魔王に止めを刺すのには、私の使攻撃が必要なのでしょう? 聖女の命を燃やして、やっと魔王を倒すことが出来る」


 クラウディオは結局、魔王カミラに止めを刺せなかった。

 それまでは、儚い希望に賭けていた。自らの体を鍛えて倒せばいいのだと。

 しかし、どうやっても、ミーナの命を賭けなければ勝てないと思い知ったのだ。


 聖女の命を燃やした攻撃。

 その攻撃を行うことで、魔王は大きな傷を負う。

 繰り返していけば、聖女の命が尽きるころには魔王を倒せる。

 そんな言い伝えが王家には伝わっているのだ。 


 しかし、そもそもミーナの命を燃やしたところで確実に倒せるのか?

 クラウディオは、魔王カミラの言葉を思い出す。

 に我を倒せるものか。

 クラウディオの心は揺らいでいた。


「私の命を使わせないために、あなたはこれまで……王子様なのにこんなに無茶をして……」


 ミーナは、クラウディオの顔の傷や、肩の辺りに見える傷に手を這わせ、慈しむように撫で唇で触れた。

 とても、とても大切なもののように。

 自らの命よりも……かけがえのないものだというように。

 その命を託すとしたら、クラウディオしかいない。


「なあ……ミーナ。このまま……私と一緒にどこか遠くに——」


 ミーナは人差し指を彼の唇に当て、微笑む。


「それ以上はだめ」

「しかし………このままでは私は一体何のためにいままで——」

「今の私はあなたのおかげで生きています。この命、殿下に預けます。だから、あなたと、最後まで共に」


 想いが溢れたクラウディオは決心と共に彼女を抱きしめる。


「私も、最期まで君と共にあろう」

「はい」


 ミーナもクラウディオを抱きしめる。

 王子と聖女は……およそ十年の歳月をかけ、ようやく一つに結ばれたのだった。



 そして……指と指を絡ませて眠る二人の側で、彼らを見守ってきた碧い宝石に……仄かな灯りが点る。


 最後の決戦が、迫っていた。

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