第18話 一つの願い。

 ヴァネッサが目を開けると、白い天井が目に入る。

 街の聖堂……? いったい何があったんだっけ……。

 聖堂に怪我人が運び込まれ、その者達がミーナを拐おうとして——。


「今すぐ助け……!」


 ガバッと起き上がるヴァネッサ。

 すると、ベッドに寄りかかり、すやすやと眠っているミーナの姿が目に入る。


「ミーナ……様?」


 ミーナは、穏やかな顔で目を瞑り、僅かな微笑みをたたえていた。

 とても気持ちよさそうに目を閉じており、起こしていいものかヴァネッサは思案する。


 夢?

 ヴァネッサは、自身は何もしていないのに——全てうまくいったかのような状況に戸惑った。

 まるで、あの襲撃そのものが夢だったとも思える。


 ヴァネッサは引きちぎったはずの右手の指を見た。

 指は全てある。だが、人差し指から小指までの付け根から、肌の色が僅かに異なっている。

 まるで、そこから生まれ変わったかのような無垢な白さ。


 あの襲撃は夢じゃなかったのだ。

 だとしたら、この状況は?


「んん……。あ、ヴァネッサ……さん?」


 ミーナが目を覚ます。


「ミーナ様、おはようございます。私はいったい、どうしたのでしょう?」

「気がついたのですね。良かった……本当に良かった……」


 いきなり抱きつかれ、泣きじゃくるミーナに、ヴァネッサの戸惑いは増していったのだった。




「なるほど……コリン伯爵が……」


 クラウディオとミーナと一緒に食事を摂りながら、事の経緯を聞くヴァネッサ。


 悪魔と混じり、人間と異なる存在に変わってしまったのだという。

 そして、ミーナの聖女の力を消し去る何らかの儀式を行おうとしていたが、阻止され滅んでしまったことを聞く。

 伯爵家はしばらくは王国の騎士団が管理をするとのことだ。

 恐らく爵位を剥奪されるとのこと。


「それで、私はどうなったのです?」


 一向にヴァネッサのことを話さない二人に、彼女は疑問を口にした。


「えーっとね……ヴァネッサさん。実は……落ち着いて聞いてね」

「いや、私から話そう」


 クラウディオが起きたことの一部始終を説明する。

 愕然とするヴァネッサ。

 みすみすミーナを拐われただけではなく、操られていたとは……。

 話が進むたびに顔色が悪くなっていく。そして遂にヴァネッサは席を立った。


「どんな罰でも受け入れます……今、この場で断じて頂いても構いません」


 クラウディオの前に跪き……顔を上げるヴァネッサ。


「ほら、やはりこうなるだろう?」

「そ……そうですね」


 あきれ顔のクラウディオに、困った顔をしたミーナ。

 この瞬間だけは、クラウディオがやれやれ、と言い出しそうな状況だった。


「なぁ、ヴァネッサ。君は操られたのにも関わらず、我々を守ろうとしてくれたのだ。感謝こそすれ、罰するなどということは決してない」

「しかし……私には罰が必要です」


 ヴァネッサは食い下がる。

 彼らの気持ちは理解できるが、自分の気持ちが落ち着かないのだ。

 命までかけると言った手前もある。


「……ではこうしよう。ヴァネッサが困ることを一つしてもらう」

「何とでもお申しつけ下さい」

「ふむ。では……私とミーナに、何か頼みごとを一つしてくれ。何でもいいぞ。望むことを言えばいい。いくつでもいいぞ」

「……はい? いや……それは……」


 それは罰なのでしょうか……。と、いつもなら突っ込むところだが、今のヴァネッサにそれはできなかった。


「ほら、困るだろう? それに、今何でもすると言ったはず。これを罰とする」

「な……な——」


 ヴァネッサは、なんでもすると言った手前、半日ほど悩んだのだった。



 ミーナとクラウディオはヴァネッサに伝えてないことがあった。

 彼女を悪魔の種から解放するのに、壮絶な戦いがあったことを。


 まだ定着はしていなかったものの、悪魔の種はヴァネッサの体の内部に枝を伸ばし、肉体を侵していた。

 呪いや魔法ではない。病気でもない。

 そのため、聖女の力が影響を及ぼしにくかったのだ。


 では、どうしたか。


 物理的に、侵されたヴァネッサの身体の組織を切り取りながら、ミーナが大治癒の呪文を連発し、組織を再生し続けたのだ。

 吹き出す血に染まりながらの、数時間におよぶ治療。

 時に、種に操られたヴァネッサの肉に侵食されながらも、ミーナは手を離さなかった。

 ミーナの持つ魔力が尽きる頃、ようやく全ての悪魔の種とその残滓ざんしを除くことに成功したのだった。

 まだ種を植え付けられてから時間が経っていなかったのが幸いだった。



「ヴァネッサ、頼み事が決まったのか」

「はい」


 半日後。ヴァネッサは、頼み事を一つ選んだ。

 きっと伝えても無理だ、と言われると考えているものだった。

 でもそれでいいとも思う。

 いずれ願いは叶うのだから。

 ヴァネッサに迷いはない。


「それは何か?」

「クラウディオ様とミーナ様の結婚式を明日にでも開いて頂ければ……もちろん誓いのキスも含みます」

「えっ?」

「えっ!?」


 何か気軽なもの。例えば美味しい食事でもいいし、何かのアクセサリーでもいい。

 そういうものが欲しいとか、買い物に付き合ってくれとか、ヴァネッサに何かすることを考えていたクラウディオ。

 しかし……まったく予想と違う内容が飛び出し、彼は焦りの色を滲ませる。

 一方のミーナは、驚いたものの……色々と考え始めたようだった。——顔がにやけている。


「難しいでしょうか?」

「いや、さすがに……これは私だけの判断では……、父上や母上……いや、そもそもミーナが……色々と人を招くなど準備も……」


 途端に旗色が悪くなり、ぶつぶつ言い始めるクラウディオ。

 精神も体も完全復活したヴァネッサは追撃の手を緩めない。


「なんでもいいと仰いましたよね?」

「うっ……」

「ミーナ様はいかがでしょうか?」

「私は……その……いつでも……」


 ミーナは僅かに俯き、恥ずかしそうにつぶやく。

 

「さあ、ご決断を!」

「一旦、保留する!」


 自信を持って答えるクラウディオに、一旦その場はお開きとなった。

 なんだかんだ言いつつも否定をしないクラウディオを見て、調子に乗ってしまったヴァネッサは……。


「まあ、さすがに……無理なお願いでしたね——」


 さすがにやり過ぎたと反省したのだった。

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