第16話 来て下さいました。
ミーナは、今、コリンの横にいて、彼と共にヴァージンロードを歩いている。
ここは、伯爵家屋敷内、パーティ用の大広間。
少し先には、高位の司祭らしき人物が、微笑みをたたえて立っている。
会場には、非常に綺麗な列に並べられた椅子に、数十人の参列者が座っており、歩くたびにザワザワと声が漏れ聞こえる。
「おお、なんと……聖女殿……本当に戻られたのか……」
「表情がやや硬いが緊張しているのか……それも可愛らしいものだ」
「なんと美しい……。コリン伯爵も鼻が高いだろう」
参列者は今まで彼女が癒やしてきた者たちなのだが、まったく目をくれない。
当のミーナは、ここから逃げ出す方法を必死に頭の中で考えていた。
どうしてコリンが、婚姻の儀にこだわるのか分からないが、こんな茶番……早く終わらせなくては。
ミーナはただただ、その方法だけを考えていた。
しかし、彼女の意思と関係なく、勝手に体が前に進む。
体の自由を奪われたミーナは虎視眈々とチャンスを窺っていた。
それは、なんとしてもヴァネッサを救い、クラウディオの元に帰りたいと願うミーナの孤独な戦いだ。
どうやら口だけは動かせ、声も出せるようだが、騒いだところで状況は好転しないだろう。
声を出すとしたら、チャンスを見つけてから。
迂闊に叫んだところで、それすら奪われたら目も当てられない。
それに。
このまま婚姻の儀を終えれば、あとはあの男……コリンに抱かれるのだ。
そんな思いをするのなら……。舌を噛み自らの命を絶つことすらミーナは視野に入れていた。
とはいえ、ヴァネッサの安否が分からぬ以上、そんな選択はしたくないと思っているのだが……。
「これより婚姻の儀を行います」
手順が定められているのだろう。
用意された言葉を、司祭が語っていく。
ミーナにとっては、ただただ、ひたすらに空虚な時間が過ぎていく。
状況が一向によくならないため、ミーナは焦り始める。
それに……おかしい……耳に入ってくる司祭の言葉に、黒いモヤのようなものがかかっているようだとミーナは感じ始めていた。
会場の客たちは、一向に気付く様子はないのだが。
「では新郎、新婦。この婚姻について、大精霊の名において誓うか」
やっとミーナは気付く。
この会場に入ってから、どういうわけかミーナの聖女の力が弱まっていることに。
さっきは苦悶するほど苦しがっていたコリンが、すぐ隣に立っており平気な顔をしている。
参列者の位置、司祭の位置、新婦新郎の位置。
広間に飾られている賢者の像ですら意味があるのだろう。
これは、何らかの儀式なのだ。
恐らく、聖女に備わった何らかの抵抗力を取り除く——。
ミーナの体が勝手に動くのも、全て計算されたものなのだ。
恐らく、もうすぐこの儀式は完成する。
可能性が高いのは、式のクライマックス。
新郎と新婦のキス。
ミーナはその考えに到ったとき愕然とする。
まだ、クラウディオにもされたことがないのに……と。
それは、この状況に合わぬ場違いなものなのだが、彼女にとっては、何よりも重要なことのように思えた。
「誓います」
コリンが答える。
「次に、新婦——誓うか?」
「…………」
ミーナは、黙ったままだ。
ここまで何の支障も無かった儀式が、初めてほころびを見せる。
ザワザワ……。
会場内の者達が、ざわめき始めた。
一向に、誓うと言わなミーナに対し、痺れを切らしたコリンが小声で急かす。
「ミーナ……分かっているのだろうな? 誓う、と口にしろ」
ヴァネッサのことを言っているのだ。
仕方なく、ミーナは口を動かす。
「ち……ちか……ち……」
心にもないことを言うことを、ミーナの体が反射的に拒否した。
その抵抗は、どうにもミーナの意思で抑えきれない。
こんな絶望的な状況なのに、体がミーナの考えを勝手に拒否することに対し、ミーナは心の中で笑いたくなる。
「ち……い……」
会場内のざわめきが、さらに大きくなった。
すると、コリンが司祭に目配せをする。
どうやら、強引に手順を進めてしまうようだ。
ミーナの心の中の笑い声は、次第に涙声になっていく。
「では、新郎、新婦、一歩前へ。これより誓いのキスを……」
ついにその時がやってくる。
早く……早く何か方法を……ミーナは焦った。
その強い願いが通じたのか、一瞬、彼女の歩みが止まる。
この足が、永遠に動かなければいいのに……ミーナは願う。
その瞬間。
バーン!!
広間の後方、出入り口の大きな二枚扉が、大きな音を立てて開いた。
「ちょっと待った!」
よく響く野太い声が、広間に響いた。
そこには、白馬に乗った白い胸当てをした若い騎士がいた。
仄かに光る剣を天に掲げ、「突撃!」と、白馬に命令するシルバーアッシュの髪の青年。
突然現れた来訪者に、ざわついていた者達の声が一瞬にして消え去る。
あっというまに、静寂が広間を支配していた。
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