第14話 何よりも。
ミーナとヴァネッサの危機を知ったクラウディオは、聖堂の外に向けて走っていた。
ガチャガチャと胸当ての金具が騒いでいる。
一刻も早く、二人の元へ。彼の頭の中には、それだけがあった。
瘴気の外に出ると、陽の光に目が眩む。
しかし、すぐ視界が回復し、クラウディオは全力で走り出す。
ようやく愛馬を見つけたとき、クラウディオは光が差す方向に違和感を覚えた。
おかしい。真上にあったはずの太陽が、東の空に戻っている。
そして、じっと待っていた愛馬の様子を見て気付く。
いや違うと焦りを隠せない。
聖堂の外では、既に一晩経ち、翌日の朝になっていたのだ……。
時を少し遡る。
クラウディオを見送った後、ミーナとヴァネッサは聖堂で聖女の勤めを行っていた。
といっても、一昨日のような襲撃がなければ、割とのんびりとしたものである。
もともと、癒やしの呪文を使える神官が一人で対応してきたのだ。
訪れる人は、擦り傷や食あたり、腹下しなど比較的軽い症状のものが多い。
大けがをするような者は珍しかった。
それでも、気を抜くと症状が悪化し命に影響を及ぼすものもある。
神官とミーナは、共に訪れる住民の話を聞き、対応を行った。
「一度に治せない場合には、まず麻痺の呪文を使い、その上で処置をすると患者さんの痛みが少ないと思います」
「なるほど……」
自らの治療方法を神官に伝えると、彼は二回り以上歳下の少女に対し深々と頭を下げるのだった。
「い、いえ、顔をお上げ下さい。私も、これらの方法はいつの間にか頭に浮かんできたことを行っていただけなので」
和気藹々と、緩やかな午後が過ぎていく。
殆ど手伝うことがないヴァネッサは、その様子を真剣な眼差しで見守るのであった。
「では、私どもは帰宅しますので、後はよろしくお願いします」
神官や侍女達が帰宅していく。
本来神官は、聖堂で寝泊まりするのだが、今日は私がいますからとミーナ自ら彼を家族の元に戻るよう促したのだった。
「我々は、聖堂の周囲を警備しております。ゆっくりお休み下さい」
「ありがとうございます」
数人の衛兵が、交代で警備を行ってくれるということだ。
ミーナは、ヴァネッサと同じ部屋に寝ることにしていた。
女二人……どういう話に花を咲かせるのか……。
とはいえ、最早それぞれ誰の話をするのか、ほとんど選択肢はなかったのだが。
夜が更け、街が眠りに落ちる頃。
「怪我人です!」
一人の負傷者が、聖堂に担ぎ込まれた。
数人の男が、一人の身なりのいい男を連れてきたのだ。
衛兵の声に飛び起きたミーナは服を着替えずに部屋を飛び出す。
ヴァネッサは、置いて行かれそうになるものの、なんとかミーナに追いついた。
「彼は王家からの……伝令?」
着ている服を見て驚くヴァネッサ。
右の肩の辺りから切り裂かれるように、袈裟懸けに服が破れ、血が滲んでいる。
傷は、かなり深いようだ。肺や心臓にまで到達していそうだった。
本人は既に意識が無いようで、口の周りが血で汚れている。
とても静かにしており、動く様子がない。
何者かに切りつけられた様子だが……ヴァネッサは奇妙な印象を受けた。
「ちょ、ちょっと……待って下さい」
「話は後で。とにかく、中へ!」
ミーナの声に、伝令を担いできた男達が無言で聖堂の中に入っていく。
「では、治療をはじめます」
伝令を連れてきた男達が、治療用の台に伝令の男を乗せる。
すると、すぐさまミーナが男の胸に触れた。
そして大きく息を吸い、癒やしの呪文を唱えようとするが……。
「こ……この人?」
ヴァネッサも気付く。傷は肺はおろか心臓まで達しており、致命傷だったのだ。
「これは……。さすがに……」
いくら聖女でも死者は復活できない。
遠い昔には、死者蘇生の呪文があったと古い書物に記されていたが……既に失われている。
いくらミーナ様でも、さすがにこれは……と。ヴァネッサは顔を伏せた。
それだけではない。
さっき抱いた違和感はこれだ、とヴァネッサは気付く。
傷の割には、血が殆ど流れ出ていない。
肺に達していそうなのに、空気が漏れるような音もしていなかった。
今命を落としたのではない。ここに担ぎ込まれたときには既に……?
命を落としてからまだそれほど経ってないのか、まだ体は硬くなっていないようだが……。
なぜ……聖堂に連れてきた……?
まだ息があったのか?
「ど、どうして!?」
ミーナの声に我に戻り、視線をその方向に向ける。
そこには、男に肩に担がれるミーナの姿があった。
「貴様ッ! 何をする!」
刹那……激昂したヴァネッサは背中から胸にかけ鋭い痛みを感じる。
そして……急激に意識が遠のいていく。
「ヴァネッサさん!」
ミーナの悲痛な声が遠くに聞こえる。
既に視界も真っ暗になり、強烈な眠気が襲ってくる。
生温かいものを感じるので、胸から血でも流れ出しているかもしれない。
——このまま意識を失っては駄目だ。
この失態を挽回するためにはどうするべきか。
自身の失態など、たいしたことではない。
何よりも……何よりも、何よりも——。
耐え難いのは……ミーナ様を良からぬ者たちの元に置くことだとヴァネッサは思う。
しかし、この状況で出来ることはもう多くない。
最早、クラウディオ様に頼るほか無いだろう。
腕が、唯一意思に従い動いてくれそうだとヴァネッサは感じた。
口も動かせるだろう。
だったら……。
躊躇せず……自由になる右腕を動かし、指を口に突っ込み……噛みつき、引きちぎる。
切断された右手の指から伝わる痛みは既に鈍く、強くない。
しかし、【伝達の蝶】の呪文を唱えるには、十分にヴァネッサの頭の中がはっきりとする。
ヴァネッサは、直ちに呪文を唱え始めた。
——そして、気を失う直前に呪文が完成する。
願わくば……この蝶が……クラウディオ様の元に届きますように……。
ミーナ様が……悪しき者達の手に落ちませんように……。
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