第13話 私がいないから。

 太陽が真上に上がる頃、クラウディオがコリン伯爵の管理する聖堂に到着する。

 ミーナが追い出された聖堂だ。


「ここか……妙な瘴気が出ているな」


 街にあった聖堂よりは小さいものの、壁や柱に彫刻が見られ、やや豪華な作りになっている。

 しかし、様子がおかしい。

 建物を中心として、霧のようなものに覆われている。

 視界が悪く、その瘴気はひどい匂いがした。


 伯爵やカミラという女やこの聖堂に勤める侍女たちがいるだろうとクラウディオは予想していた。

 しかし見えるのは瘴気のみで、周囲に人影はなく、気配もない。


「どうしたことだ……?」


 クラウディオはつぶやき、聖堂に入っていく。

 待合室を抜け、建物中央の大部屋に入った。

 聖女の間と呼ばれる部屋だ。


 部屋の中央にあるまるで王座のような椅子。

 そこに、女が座っていることにクラウディオは気付いた。


 ああ、これがカミラか。

 なるほど、聞いていたとおりの風貌だな。

 クラウディオは初対面にかかわらず確信する。


 歳が近いはずのミーナとは似ても似つかぬ妖艶で、肉欲的な美貌の持ち主。

 赤いドレスを着て、不敵な笑みを浮かべている。

 胸元には、薄黒い印が見え隠れしている。


 幼い頃に見たミーナの痣は薄紅色だった。

 違うのは色のみで、痣の形は大差ないように感じる。


「お前がカミラか」

「おや……騎士様。いかがされましたか? ここには……普通の人間は近づけないはず。どうやって?」

「ふん、小賢しい結界など、私には役に立たん」

「なるほど、ただ者ではないと言うことですね」


 カミラが立ち上がり、騎士を値踏みするように、頭からつま先まで視線で嘗め回す。

 ほどよい筋肉に日焼けした冷たい目をした精悍な顔、短い髪の毛。

 なるほど、いい男だとカミラは感心する。


「ここには、何の用かしら?」

「コリン伯爵はどこだ?」

「ふむ。彼が目当てと言うことですか。コリン様は、ここから少し離れたところにある、伯爵家の館の方に移動されました」


 そうか、ここにはおらぬのか。

 クラウディオは、少し苛立ちを覚える。


「無駄足だったが、ついでだ。お前の正体を見極めさせてもらおう」


 クラウディオは、ゆっくりと抜刀し、剣の切っ先をカミラに向ける。


「騎士様、いったい何を。いたいけな王国民に、剣を向けるというのですか?」

「ふん、カミラと言ったか。君からは魔の腐った臭いがプンプンする。貴様、悪魔であろう」

「あら、なんでこんなに早く分かっちゃったのかしら……」


 カミラの金色の目が輝いた。

 クラウディオの体が、見えない何かに掴まれ、身動きが出来なくなる。


「ふん……拘束の術か」

「あなた、なかなか強そうだから……そうね、コリンの代わりに私の僕になってもらおうかしら」


 カミラは、どこからか取り出した黒い種を口に含んだ。次に目をつぶり、まるで何かを念じるような素振りをする。

 すると、クラウディオの視界が奪われ、彼の頭の中に映像が浮かび上がった。


「次は幻覚か。くだらない」


 広い草原の上。そこにクラウディオは座っている。

 その隣には、ドレスを着た女性——カミラが座っている。

 カミラは、意図するように動けないクラウディオを抱きよせる。


「ほら……私を受け入れて……」


 黒い種を口移ししようと、カミラはクラウディオの首に手を回し顔を近づけた。


「ふん……くだらんな」

「なに?」


 聖女の間。

 部屋の中央に、騎士と赤いドレスを着た女が立っている。


 二人は顔が近づいており口づけが出来そうなくらいに近い。

 しかし……騎士が持つ剣が、その女の胸を貫いていた——。



「な……どうして……」

「私には、効かぬ。あらゆる魔法や術の耐性を身につけている。お前ごときの力では

私はどうにもならん。御託はいらん。今すぐ正体を現せ」

「く……たかが騎士ごときが……どうしてだ?」


 カミラは身を引いて剣から体を引き抜き、後ずさった。


「私は……この時のために、全てを捧げてきたのだ。魔王……カミラよ」

「なんだと?」


 クラウディオは、カミラこそが復活しつつある魔王だと確信した。

 この巨大な魔力に闇の力。

 強力な幻覚や魅了の魔法。

 彼は涼しい顔をして耐えているが魔王の力は相当なものだ。


 クラウディオはカミラとの距離を詰め、剣をなぎ払った。

 女の腹に大きな傷が付く。

 間髪入れず剣を振るい、女の肌に次々に傷を付けていく。


 完全に覚醒する前だとは言え、カミラの力が弱いのではない。

 クラウディオが圧倒的すぎるのだ。


 ガキッ!

 女の指にあった爪が伸び、クラウディオの剣を受け止める。


「馬鹿な……お前はいったい……だが……無駄だと分かっているのではないか?」

「ああそうだな。お前は今は無駄だろう」


 ミーナが今はいないからな。

 クラウディオは心の中で言葉を補完する。


 無駄だと言いつつも、クラウディオは剣を振り続ける。

 その剣を受け止められず、カミラは右腕と左足を切り落とされてしまう。

 にもかかわらず、何度も何度も、カミラを切りつけるクラウディオの姿がそこにあった。


「ぐぅ……分かっているのだろう。我にトドメが刺せないと」


 胴体がバラバラになり、頭のみの状態になりつつあるカミラ。

 その体からは血が噴き出すこともなく、代わりに頭部から切り離された体が細かい破片となって砕けていく。

 だが……その端からゆっくりと修復が始まるのも見て取れた。


「はぁ……はぁ……そうだ。分かっているさ。できるだけ……ミーナの負担を減らしたいだけさ」


 その名を聞いた瞬間、カミラの唇が大きく歪み、笑い始める。


「そうか……そうか! お前はあの女の騎士だというのか」

「だとしたら、どうなのだ?」

「ふはははは。いいことを教えてやろう」

「要らぬ」

「訊かぬと後悔するだろうが……おっと、不要になったようだな。お前に伝言が来たらしいぞ?」


 不敵な笑みを含んだまま、カミラが言う。

 カミラの視線の先を追うと……一匹の青い蝶が、部屋に舞い込んできた。

 しかし、フラフラとしていて飛び方がおかしい。


「な……これはヴァネッサの……!」


 蝶に駆け寄るクラウディオ。明らかに緊急事態があった様子に、彼の全身の毛が逆立った。

 青い蝶は、彼の手のひらに収まり、触れると——パッと砂が崩れるように散ってしまった。

 その瞬間、彼の脳裏にヴァネッサの言葉が飛び込む。


「クラウディオ……様……ミーナ様が悪魔に浚われ……ました。私も囚われ……て……おそらく伯爵家の館に……向かっているものと……思われます。直ちに……向かってミーナ様を……………………」


 ヴァネッサの声は途切れ途切れで、何か強い痛みに耐えているようだった。

 クラウディオは、一も二もなく馬の元に走り始める。

 向かうのは、コリン伯爵の館だ。


「はははははは! 人間風情が我を倒せるものか!」


 彼の背中を追いかけるように、カミラの甲高い声が聖女の間に響いていたのだった。

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