第5話 聖女としての務めを果たします。

 聖堂には、十数人の怪我人が担ぎ込まれていた。神官職らしき人物が癒やしの術を行使しているが、まったく追いついていない様子だ。


「い……痛い……痛い」


 青年が血で真っ赤に染まった腕を抱えている。


「誰か……息子を助けて……」


 ぐったりとした子供を抱えた女性が、叫んでいた。

 バタバタと、侍女が走り回っている。彼女らは、癒やしの能力を持っておらず、出来ることと言えば布を押し当て止血をしたりする程度だ。


 そんな「次の戦場」に、ミーナ達は到着した。


「クラウディオ様……まずはあちらの女性が抱えている男の子……いえ……そこに寝かされている彼をこちらの台に連れてきて下さい。ヴァネッサさんは、お湯と……布を」

「あ……ああ……その前に、休まなくていいのか?」


 クラウディオの言葉が届かないのか、ミーナはフードを脱ぎ、空いていた治療用の台に向かった。

 馬に乗り慣れない彼女は、下りてすぐ青い顔をしていたはずだ。しかし、今はそれを忘れたかのように立ち振る舞っている。


「早く、お願いします」

「わ、わかった」


 ミーナの気迫に押され、彼女の指示通りにクラウディオは動いた。ヴァネッサも、指示通り行動する。


「なぁ、ヴァネッサ……ミーナはいつもあんな感じなのか?」

「いいえ。あのようなミーナ様は初めて目にしました。この戦場のような状況は、コリン殿の聖堂では起き得なかったので」



「く……苦しい……助け……」


 クラウディオがうめき声を上げる怪我人を抱えてきた。彼は二十代の青年で、左胸の服が破れ、あいた穴から血が流れ出ている。

 さらに、ひゅーひゅーと空気が漏れるような音がしていた。


「さすがに……これは……もうダメだ」


 クラウディオは連れてきたものの、どう見ても手遅れの様子に肩を落とす。傷が肺まで達し、空気が漏れていた。

 このまま苦しんで最期の時まで過ごすよりは、いっそのこと……。戦場でのシビアな判断をクラウディオは思い出す。

 

 しかしミーナは赤く染まった彼の胸に手を当て、目をつぶった。彼女は諦めていない。


「では、はじめます。——【大治癒ヒール】!」


 ミーナのよく通る声が聖堂内に響く。

 手のひらから光がほとばしり、青年の体も輝き始めた。その強烈な光に、バタバタと走り回っていた侍女たちや神官が動きを止めた。


「高位の治癒魔法…………初めて目にした……まだまだ怪我人はいるが……」


 信じられない光景に、神官がつぶやく。

 次の瞬間、青年がゴホッと声を上げると、その口から大量の血が吹き出した。

 側にいたミーナがそれを浴び、顔と髪の毛の半分が赤く染まる。


「大丈夫……大丈夫だよ」


 赤い液体は頬を伝い、彼女の顎から落ちていく。

 ミーナは少しも目を逸らさず、意識が途切れそうな青年に語りかけていた。

 花が綻ぶような優しい笑顔を向けている。

 真っ赤に染まった青年の手を握りつつ、彼と目を合わせ話しかける。


「ゆっくりと……息を吸って……。ほら、もう大丈夫。安心してね」


 顔を、髪を、体を……まだらに血によって赤黒く血塗られた少女。負傷した青年の凄惨な状況。それだけなら、誰もが目を背けたくなるはずだ。

 しかし、ミーナが放つ温もりは、その場にいた全員の視線を集めていた。


 クラウディオは目を見張る。


「な……なんという光景か」

「あの笑顔は、いつものミーナ様ですね」

「そうか……彼女が持つ真の力は、聖女の力によるものではないのだな」


 クラウディオがあっという間に理解したこと。それは、ミーナの精神がもたらす真の力だ。


 コリン伯爵が未だに知らないことである。彼はこのようなミーナの献身的で力強く、優しさを兼ね備えた姿を見たことがない。

 聖女の務めなどまるで興味が無かったからだ。

 このことを知らず、ミーナを追い出したコリン伯爵がいったいどうなるのか……。

 火を見るより明らかだった。


 光が収まる頃には青年の呼吸は安定し、胸の傷も塞がっていた。損傷し、欠けた肺の組織すら元通りになっていたのだ。


「助かった……。あなたは……女神さま……感謝します」

「辛かったでしょう。でも、もう大丈夫。ゆっくり休んでね」


 ミーナの声に安心したのだろう。青年の目がゆっくり閉じていく。

 彼の寝顔は安心しきった子供のように穏やかになっている。

 先ほどまで重傷を負っていたとは思えないほど顔色が良くなっていた。


「すごい……!」


 周囲の侍女や、運び込まれた人々が驚く。

 あまりの青年の劇的な変化に、誰もが目を疑い言葉を失った。もう助からないと、放置されていた青年なのに……と。

 しかし、ミーナはすぐに凜とした表情に戻り、間髪いれず次の指示を出す。


「もう彼は大丈夫です。ヴァネッサさん、彼を横向きに寝かして口元の血を拭ってあげて下さい。クラウディオ様、次の方……あの女性が抱えている子供を」


 次にミーナの目の前に運ばれたのは五歳くらいの男の子だ。背中から血を流しており、意識を失っている。

 早速治療を始めようとする彼女を、クラウディオは引き留めた。彼女の手に清潔な布を手渡そうとする。


「君も顔を拭ってくれ」

「平気です。急がないと——」

「では、せめて、邪魔にならないようにするから、私に君の顔を拭わせてくれ」


 クラウディオの声にミーナの顔が一瞬緩むと、頬を染め目を伏せた。そして、小さな声で「はい……お願いします」と頷いたのだった。

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