第3話 喪失

 ミーナが、聖堂を振り返りもせず出ていくのを、コリンは呆然と見ていた。


 出て行けと言ったのは、間違い無くコリンだ。

 しかし……本当に出ていくとは考えていなかった。

 今日、ミーナを初めて抱けるものと思っていた。しかし、その機会は失われてしまったのだ。

 コリンは、それだけを悔いていた。


 そんな彼に、カミラが声を掛ける。


「どうされました? コリン様?」

「いや、なんでもない」

「ミーナ様のことですか? 大丈夫、私がおります。心配なさらなくて結構です」


 カミラは猫なで声で、コリンの耳元で囁く。


 まあ、ミーナはいなくなったが、それならカミラを代わりにすればいい。

 問題はない。

 コリンはそう思い、もともとミーナが寝起きしていた部屋に向かう。

 これからは、ここに泊まることも増えるだろう。コリンは、そう思っていた。


 ミーナの部屋は広さの割に物が少なく、かなり質素な部屋だった。

 侍女やミーナ本人が小まめに掃除をしているためか、極めて清潔に保たれている。


 天蓋付きのベッドに横になろうとするコリンだったが、その時、侍女の一人がドアを叩いた。


「コリン様……。その、お客様が……」

「こんな時間にか」


 どうやら、いつも多額の寄付をしてくれている商人が、付近を徘徊していた悪魔に襲われたとかでやってきたのだった。

 悪魔? いや、きっと魔物と見間違えたのだろうと、コリンはのんきに考えていた。


 通常、夜間は聖堂を閉じているのだが、急患が入ることが有る。

 があれば、どんな時間でも対応していたのだ。


「分かった。カミラを呼べ」

「は、はい」


 そうしてバタバタするなか、カミラの初めての治療が始まったのだった。

 しかし……。



「何? 失敗した?」


 コリンは、報告に来た侍女の話を聞いて愕然とする。


「お客様が、コリン様にお話があると……大変にご立腹で……」

「分かった。私が話そう」


 今まで、こんなことは無かったはずだ。

 もともと、あまり聖堂に寄りつかないコリンではあった。

 しかし、納められる寄付については、漏れがないように完全に管理していた。

 夜間分ということで多めの寄付を受けることもあった。

 ミーナの評判は大変良く、多額の寄付を受け取ってきたのだ。

 失敗など聞いたことがなかった。



「コリン伯爵。いったい、どういうことかね?」

「は、はい……。着任したばかりで、まだ慣れぬゆえ

「そんなことを聞いているんじゃない! 前の聖女殿はどうしたのだ?」

「そ……それが、もうおりませぬ」


 話によると、悪魔に襲われ怪我をしたのは商隊の護衛で、全部で四人。

 特に一人は重傷で、片腕を失いかけるような大けがをしていたという。

 商隊は神官を連れており、癒やしの魔法で治癒を行ったということだが、治しきれなかった。

 仕方なく、この聖堂に訪れたということだ。


 以前のミーナだったら、この程度余裕で治してしまったのだという。

 しかし、カミラは……軽傷の二人を治すのが精一杯で、重傷者はまったく治せなかったということだ。

 魔力が尽きたのだ。


「ふん、これでは……街の聖堂を訪れるしかありませんな。最初からそうすべきでしたよ。今回は寄付金はありません」

「そ、そんな……二人を治したというのに」

「ふん、期待した成果を提供できない者が金を欲しいと言うのか?」


 結局押し切られ、商人は寄付金を置いていかなかった。

 この聖堂初めての「失敗」になってしまったのだ。


「これから……大丈夫だろうか? なぜ、こんなことに……。ミーナ……」


 ミーナの部屋に戻り、途轍もなく不安になるコリン。

 そんな彼がいる部屋を尋ねてくる者がいた。カミラだ。


「カ……カミラ……。ご苦労様だった。君は……平気かい?」

「ええ。ですが、疲れました」

「そうか……その、一人助けられなかったそうだが……?」


 コリンは、恐る恐る商人のクレームのことに触れる。


「ああ、そのことでしたら……明日からならきっと大丈夫ですわ。今日、昼間に魔力を使うことがあって、なくなっていたの」

「そ……そうか」

「それより。コリンさま。今日も私のことを抱いて下さい」

「も……もちろんだ」


 カミラの口元が歪んだ笑みを浮かべ、瞳が金色に輝いていた。

 その日は、いつもよりコリンは情熱的にカミラを抱いた。

 治癒の失敗から逃げるように。いなくなったミーナの代わりのように……。


 現実逃避。

 それほど、コリンは聖堂の今後に不安を覚えていた。


 ——そして、その不安は、現実のものとなっていく。

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