第10話

翌日から、登偉は店がさらに忙しくなり、湯川も年内の受注を終わらせるために自分を追い込んだ。2人は別々の生活で見つけたもの――街のイルミネーションやクリスマスの飾り、スクーターのシートで丸くなるネコ――をカメラで撮ってLINEで送りあった。また、クリスマスに登偉は『White Christmas』のピアノバージョンを≪動画で録音≫し、湯川に送った。動画は登偉の手元と鍵盤しか映ってなかったが、登偉が元気そうなのが不思議と伝わってきた。これが2人の初めて迎えたクリスマスだった。


世間が仕事納め迎え、忘年会も終え静かになった夜、登偉は数日分の着替えとミニキーボードを持って湯川の部屋にやってきた。

「あと、これ……」

登偉は焦茶色をした縦長の紙袋を湯川に差し出した。

「え!?マジかよ」

湯川は中身を覗き込んだ。深い赤紫色の瓶が見えた。

「安いやつですけど……」

「いやいや……実はいまローストビーフを仕込んでるんだよ。年明けたら食べようと思って」

「じゃあ、ちょうどよかった〜」

「ホントに……!」


  大掃除も終わり、大晦日は湯川の部屋でのんびりと過ごした。湯川はリビングの隅っこにあるターンテーブルやコンポの棚の下からおもちゃのグランドピアノを出して登偉に見せた。

「え!なんかオシャレ!」ピアノを見たとたん登偉は感嘆した。

 ピアノはソファの前のテーブルの上に置かれた。外側は黒く塗装されておらず、ナチュラルな木の色のまま。登偉はソファを下りてラグに直接座り、ピアノに近づいた。屋根を開け、いくつか鍵盤を鳴らす。

「すごいカワイイ音……」

スウェットの袖をまくり、両手を鍵盤の上に乗せてメロディーを奏でた。湯川はソファに寝そべり、ピアノの音色に聴き入ろうと目を閉じた。……が数小節分聴いたところで「え!?」と声を上げた。

「なんでいまそれ!?」

「え……いや、この音に合ってるかなぁと思って」

「あ、そうか!なるほどね!」

肩をゆすって笑いながら湯川は登偉の肩をポンと叩いた。登偉は《となりのトトロ》をしばらく弾き続けた。曲間をおかず、演奏の流れで曲が変わった。《L-O-V-E》。

「こんな小さいピアノでも立派に弾けるからスゴイよなぁ」

湯川は音に聞き入りつつ、楽しそうに鍵盤をたたく登偉を眺める。軽やかに動く指は細い。鼻筋から唇までなめらかな凹凸の横顔。栗色の柔らかい髪と白い肌は冬の日差しに輝いている。思えば出会う前から≪出会っていた≫存在。だが、半年も経つと抱きしめられる位置にいる。湯川は圧倒されるしかなかった。運命というものに。

 登偉が次々と曲を変えて弾いていると、湯川は寝息を立てていた。登偉は手を止め、ソファの背もたれに置いてあるブランケットを湯川の身体にかけた。そしてピアノの屋根を閉め、棚にそっと戻した。部屋は湯川の寝息だけが聞こえている。登偉は別のブランケットを自分の肩にかけてソファの足元に座った。膝を抱え、ブランケットにくるまって湯川の寝顔を見つめていたら、自分もいつの間にか眠ってしまった。

 2人は同じタイミングで目覚め、常備菜やチーズをつまみながら白ワインを呑んだ。昼寝をしたので日付が変わるまで起きていたが、午前中に初詣に行く計画だったので深夜1時までには一緒にベッドにもぐりこんだ。


「明日の午前中だけど――」

 元日の朝、横浜駅で電車を待ちながら湯川は話し出した。

「母親に会ってくる。一緒に行く?」

「え、さすがにお正月は遠慮しますよ。親子水入らずで過ごしてください」

「そお?」湯川は心底残念そうだった。

「そのかわり、と言っちゃナンですけど、今月と…来月もライブあるんで、ぜひとお伝えください」

「ん。かならず連れていくよ」

「ラストライブですね」

「やっぱり解散するんだ」

「オレの留学がいい潮時になったみたいです。学生のメンバーがいるんですけど、彼も就職活動が始まるので。だから、円満に」

 登偉は湯川に笑顔を見せた。


 2人は川崎大師駅に着くと、まずは参拝に向かった。駅を下りると真っ先に感じる甘酒の香り、飴を切る心地よいリズム、看板の≪くずもち≫の文字の誘惑をくぐり抜けながら……。大本堂に並ぶ行列をさばく警備員の注意喚起のコトバが面白くて、並んでいる時間はあっという間だった。2人は参拝の後、境内をぐるりと見て回ると、仲見世をのぞいた。湯川は自分たちの分と母親へのお土産の分のくず餅を買った。


 石川町駅から湯川の自宅に戻る道すがら、湯川は不動産屋の店先の壁に近づいた。

「どうかしたんですか?」

 登偉はそう聞きながらついていく。

「いや、もう少し広い部屋に引っ越そうかな、と思って」

 物件情報を見回しながら湯川は答えた。

「今の部屋も良いと思いますよ、オレ」

「違うよ、登偉がいつ帰ってきてもいいように」

 湯川の言葉に、登偉は何も言わなかったが、すこし赤面しているのが湯川にはわかった。

「だってさ、短期留学の時はいいけど、そのあとは何年か行くんだろう?今の部屋の家賃を払い続けるのか?」

「たしかに懸念事項ではありましたけどね……」

 登偉の言葉を聞くと、湯川は満足げな表情になった。

「オレも今の家を気に入っているけど、もっと広い方がいいだろ?」

 湯川はそう言って、いくつかの物件情報をスマートフォンで撮った。


 帰宅して夕方になると、仕込んでいたローストビーフを切り分け、登偉のお土産の赤ワインの栓を開けた。ソファの前のテーブルにはほかに玉ねぎたっぷりのタルト・フランベ、ブロッコリーなどの温野菜が並んだ。テレビでバラエティ番組を見つつ、のんびりと新年の夕食を楽しんだ。


「湯川さん」

 大方の皿が空になると、登偉はソファに横向きに座り膝を抱えた。

「ん?」

 湯川は登偉の方を見た。登偉はまだそこまで酔っていないようだった。

「なんでオレにここまでしてくれるんですか」

 登偉の問いかけに、落ち着いた声で湯川は答える。

「してあげてるっていう感覚はオレにはないよ」

 湯川は少し斜めに座り直し、まっすぐに登偉を見つめて言葉をつづける。

「登偉と一緒にいるのが心地よくて、できるだけ一緒にいたいっていうのが大きいかもね。それで、一緒に時間を過ごすなら思いっきり楽しいほうがいいじゃん?まぁ……もうオレなんか初老だから遊びまわるとかムリなんだけど」

「オレ……湯川さんといるの、めっちゃ楽しいです」

 登偉の目はすこし赤くなっていた。

「なんかもう、オレの生きている世界に自然とお前がいるの。でも、アレだな、これが当たり前だってならないようにしないと……」

 湯川は登偉の目元を指先でなでた。登偉はそれで言葉を詰まらせたかと思うと、グラスを置いて湯川の首元に飛び込んだ。

「あーもう、泣くなよぉ」

 湯川は登偉を両手で抱え込み、子供をあやすようにポンポンと肩をたたいた。


 食器は水切りカゴに整然とならべられ、シンク内は乾いてなにも残っていない。静かなキッチンに衣擦れとキスの音が漏れてくる。ベッドに仰向けになっている登偉の両手に自分の手を重ね、湯川は登偉の胸と腹を唇で愛撫した。登偉のやわらかく、無毛の肌を撫でる無精ひげの感触。登偉は目を閉じて身体全体で湯川のすべてを感じようとした。湯川はボクサーの上から登偉の性器にキスをし、反応を見る間もなく彼のボクサーを脱がせてキスをつづけた。


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