第9話

 街中にはクリスマス装飾がどんどん増殖し、12月中旬にもなれど年末ムードはまったくない。クリスマスが終わるまでは浮かれてんだろうな、と登偉は思いながら街を歩いた。

 <20時にギャラリーが閉まるから、その少し前においで。はねたら一緒にメシを食おう>昼間、湯川からそのようなLINEがきた。湯川と会うのは一ヶ月以上ぶりであり、留学を決めてからは初めて会う。資料請求から学校決め、申し込みまでのスピードにモーリスが驚いていた。まずは短期留学だけど、久しぶりに会うということもあり、切り出すのは緊張するな~。登偉は店のウィンドウに映る自分の顔をなんども確認した。上気する頬を冬の風にさらす。

 ギャラリーは元町ショッピングストリートの入り口近くにあった。ガラスのドアをのぞくと、話をしている湯川の姿が見えた。その横で相槌を打っている黒ずくめの老齢の女性の姿がある。LOADINGで見た女性とは違う人だ。登偉はギャラリーのドアを開けた。

「おっ、来たな」

 ドアが開くと、すぐに湯川が気づいた。

「おひさしぶりです~」

 登偉は、か細い声で挨拶した。

「なんだよ、白々しいな」

 湯川は照れ笑いした。ギャラリーには、湯川と登偉、老齢の女性の3人だけだった。

「母親」

 湯川は、女性に手を指し向けて登偉に紹介した。

「なによ、そっけない」

「初めまして!榊と申します」

 登偉は自己紹介して会釈した。

「後期高齢者です」

 湯川の母は笑いながら言った。

「こういう母親です」

 湯川は申し訳なさそうにフォローした。

「実物の方がイケメンよ、やっぱり!」

 湯川の母は登偉の背中に手を添えて言った。登偉は、彼女が別の手で指し示す方向を見た。ギャラリーの目立つ位置に、ピアノを弾く登偉の絵が飾ってある。しかもかなりの大きなサイズだ。登偉が送った写真そのままではなく、ポップな色彩で描かれている。また別の壁面にも自分と思われる絵が飾られていた。こちらはハガキ2枚分の大きさで、白地にエメラルドグリーンの色調で描かれている。一見眠っているようにも見えるが、恍惚の表情をしていると登偉には感じられ、すこし恥ずかしくなった。

「今度、息子とジャズ聴きに行かせていただきます」

 湯川の母は登偉に丁寧に挨拶し、一足先にギャラリーを後にした。二人きりになっても、登偉には緊張感が消えなかった。

「絵を見せた瞬間、恋人だってすぐにバレた」

「そうなんですか!洞察力ハンパないですね……」

「やっぱりコワい、あの人は……。今でこそ悠々自適に暮らしてるけど、昔はバリバリ働いてオレともあんまり顔を合せなかったんだけど、オレの色んな変化は見逃さなかったね。ズバッと聞いてくるからオレも自白せざるを得なくて……」

 湯川は困ったように手で顔を覆った。湯川の困惑している顔はめったに見られないから、登偉はなんだかうれしくなった。


 久しぶりの夕食は、中華街で。丸いテーブルに90度の位置に2人は座った。

「そういや、2人で中華街行ったことなかったなぁって思って」

「そうですね。CUREも中華街のはずれだし、バイトの帰りだと野毛とかだし」

「年内いっぱいは忙しいから栄養つけないとな。野菜とか自分じゃ食べないだろ?」

 湯川はそう言って、首尾よく注文した。


「オレ、春から留学することにしたんです」

 食事をおおかた終え、温かいプーアル茶で体内の油を流している時に、登偉はいよいよ切り出した。湯川は一瞬驚いたような表情を見せたが、すぐに笑顔に変わった。

「そうか!とうとう……!」

「まずは一ヶ月の短期留学ですけど……下見も兼ねて」

「なるほど。その方が、オレもダメージが少なくていいよ」

 眉毛を下げて笑う、その顔が登偉には愛おしくてたまらなかった。

「しかし決断が早いね、ウチの母親みたい」

「今のうちがいいって言ったのは湯川さんですよ」

「そうだけどね……」

「いきなり何年間の留学だったらオレも考えますけど……レッスンの先生から短期留学もあると聞いて、すぐに資料を取り寄せたんです。申し込むまでも早かったから、先生も驚いてました」

「会わない間にこんなことになってたんだな……」

 湯川はプーアル茶を飲み干した。


 2人は湯川の部屋に向かいながら、夜の街を歩いた。個人の店が多い街は、さすがにこの時間では明かりが少ない。並んで歩く登偉の吐く息が白く舞う。

「登偉」湯川は立ち止まって登偉を呼んだ。

「はい」登偉も立ち止まった。

「ポケットから手を出す!」湯川は手を出すジェスチャーをしながら言った。

「え!?」

「転ぶと危ないから!」

 そう言うと、登偉は「寒いのに〜」と頬を膨らませながら、ジャケットのポケットから両手を出した。

「じゃ、行くぞ」

 湯川は登偉の右手指に自分の指を絡ませ、そのまま手を握りしめた。そして再び歩き始めた。登偉の鼓動が早まった。手をつなぐのは<あの時>以来だった。

「あの時は、まだ遠慮して手をつないでましたよね」

「あの時?」

「オレを連れてくぞ!って部屋に連れ込んだ時」

「そりゃあな……でも、あれから早かったな…関係性が変わるのが」

 湯川がそう言うと登偉は立ち止まって湯川の方を見た。

「オレは人生が変わりつつあります。……ていうか……もう変わってる」

 白い吐息で覆われていたが、登偉はすこし涙ぐんでるように、湯川には見えた。湯川は手を放し、登偉の肩を抱き寄せた。そのまま歩き出そうとすると、登偉が「待ってください」と湯川を止めた。

「オレ、手をつないでもらった方がいいです」涙目を細めて言った。

「……そう?」湯川が言うと、登偉は頷いた。湯川は左手を登偉の肩からはずし、再びお互いの指を絡ませて、一緒に歩き始めた。


「店はいつから正月休みなの?」

「30日からですね。その日に店のみんなと忘年会をやりますけど。仕事始めは4日からです」

「そしたら、その帰りから何日かウチに泊まりに来なよ。おせち料理はないけど、何かごちそう出すよ」

「やったぁ~」登偉は両手を挙げた。

「ちっちゃいキーボード、持ってってもいいですか?」

「あぁ、いいよ。実はおもちゃのグランドピアノもある」

「え!気がつかなかった!」

登偉は湯川の部屋を事細かに思い出しても分からず、悔しそうな顔をした。


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