第5話
登偉はホテルを出ると、電車に乗ろうとして、ひたすら元町方面へ歩いていた。行為の最中に湯川の顔を思い出したことが恥ずかしく、なんだか悔しくなって涙が出てきた。登偉は着ていたTシャツで顔をぬぐった。その時、
「登偉」
遠くからそう呼ばれた気がして、立ち止まってあたりを見回したが誰もいない。登偉は混乱しながらも再度歩き出した。
「登偉」
もう一度遠くから呼ばれた。目を凝らすと、2メートル先に湯川がいた。
「大丈夫か?どうしたよ。もう電車ないぞ……」
こちらに近づきながら湯川は言った。
登偉は心音が大きくなるのが自分でもわかった。
「いえ…」そう答えるのがやっとだった。
「もうウチ泊まんな」
湯川は帰れない登偉を救済するつもりで言った。湯川にそう言われると、登偉の心はかき乱され、返事に窮した。
「連れてくぞ!」
湯川は登偉の手をとり、湯川の自宅の方向に引っ張っていく。登偉は心と頭が疲れてしまって抵抗する術がなかった。
湯川の手は登偉の手を覆い尽くすほどに大きく、肉付きが良かった。
「湯川さん、帰らなかったんですか?」
登偉がそう聞くと、湯川は振り返り、視線を登偉に向けた。
「2人でどこかに行くのを見たら帰れなかったよ」
湯川の言葉を聞くと、登偉は胸がしめつけられた。
「……今までヤケ酒よ。堪忍して帰ろうとしたら、お前がいるんだもん」
湯川は登偉の手を握る力を強めた。
「連れて帰るほかないだろう」
湯川の自宅に入ると、靴を脱ぐのも惜しく2人はキスをした。登偉は湯川のシャツのボタンをはずし、顎から首へ、首から胸へ唇で愛撫していく。湯川が喘ぎ声を殺しているのに気付くと、登偉は興奮した。キスを腹に移しながら、すぐ下のジーンズのボタンとベルトに手をかける。
「あ、待って…」
湯川の声に登偉は動きを止め、彼を見上げた。
「風呂入ってないし…」
登偉は構わずにジーンズとボクサーを下ろす。熱を帯び始めた湯川の性器を少し見つめてから口に含んだ。性器に舌を這わせると湯川はたまらず声をあげた。それを聞くと登偉はさらに口や舌での愛撫をつづける。
「あぁ……上手いな…」湯川はこらえきれずつぶやいた。
登偉は固くなった湯川の性器から口を離し、手を添えてキスをした。そしてまたくわえて前後運動を始める。湯川は登偉の唇や舌の感触に集中し、その手は登偉の柔らかい髪を撫でた。登偉が湯川の臀部を抱え込むようにすると、湯川はたちまち登偉の口の中で果てた。
2人は別々にシャワーを浴びた後、テレビの深夜番組を見ながら、ビールで乾杯した。一本目を空けたところで、湯川は鉛筆とスケッチ帳を取り出し、まどろむ登偉を素描した。湯川の行動に気付くと、登偉は両手で自分の顔を隠した。
「今はダメですよー!お酒呑んでるから顔むくんでるじゃないですかー」
「そんなに変わらないよ」
湯川は構わず鉛筆を動かす。
「……どうしたんですか?いきなり。」
登偉は湯川に顔を向け、首をかしげて尋ねた。酔っている登偉の表情に、湯川は色っぽさを感じ、鉛筆を落としかけた。
「いや、今度個展をやるので……」
「オレの絵を描くの?」登偉は流し目で湯川を見て尋ねた。
「だ、だめでしょうか……」
「せっかくならピアノを弾いてるやつがいい!」
登偉は自分のバッグからスマートフォンを取り出し、湯川に数枚の画像をLINEで送った。画像は、登偉がジャズバーで演奏しているものだった。
「ライブのチラシ用に撮ってもらったやつですがぁ」
「あ、ありがとうございます」
登偉は湯川を見て、満足そうに微笑んだ。
テレビ番組も少なくなってきた頃、登偉はさすがに船をこぎはじめた。
「寝るならベッドに行こう」
湯川がそう言うと登偉はトロンとした目のままうなづいた。
暗いままの寝室で登偉をベッドに寝かせると、湯川は寝室を離れようとした。以前、登偉が悪夢を見ていたのを覚えていたからだ。
「一緒に寝てくれないんですか?」
登偉の声に湯川は踵を返して、ベッドに座った。
「一人で寝た方が安心できるんじゃないか?」
「大丈夫です…たぶん…。湯川さんなら」
「そうかな?」
湯川が尋ねると登偉は頷いた。湯川は微笑んで登偉の隣に潜り込んで横になった。2人は手が触れられる距離で向かい合わせになった。
「…湯川さん」
「ん?」
「さっきオレにされたの、イヤじゃなかったですか?」
「いまさらそれきく?」湯川はニヤリとした。
「いや…なんとなく」
「確かに、女の子にもあまりされたことはないけどね。でも、イヤだとは思わなかった」
それを聞くと登偉は安心した表情をした。
「それに上手だったしね」湯川はイタズラっぽく眉毛をあげた。
「恥ずかしい…」登偉は毛布に潜り込んだ。
昇ろうとする太陽が空気の熱を一気に奪う頃、登偉は眠りの中で、身体に身動きができないくらいの重さを感じた。息が苦しくなり、身体の上の毛布をはがすと肌の温度が下がり、登偉は目を覚ました。夜明け前の色が乏しい景色。耳を澄ますと遠くで鳥の鳴き声がする。自分の身体の上にはなにもなかった。隣から寝息が聞こえる。ベッドに埋まるように熟睡する湯川を見ると、登偉の胸から重いものが取り払われた。寝息に合わせて上下する湯川の胸を見つめる。一生、この人の隣で眠りたい。登偉の心にそんな思いが浮かんだ。そして再び眠りについた。
「あぁ、よかった。もう結構咲いてる」
湯川は咲き誇るバラの花を眺めてそうつぶやいた。
遅い朝食の後、2人は港の見える丘公園に散歩に出かけた。迷路のようなバラ園では四季咲きのバラが満開になっていた。
「横浜に住んでるけど、ここに来たの初めてだなぁ」
「実家はどのへんなの?」湯川は登偉に尋ねた。
「大森です。オレが小学校6年の時に両親が離婚して……父親の実家がある大森に引っ越してきたんです。それで父親とおばあちゃんと暮らしてました。」
登偉がそこまで話すと、湯川も話し始めた。
「実は俺の両親も離婚してる。オレが高校2年のときだったかな。親父が他の女に入れあげて……その女がちょっと困った人でさ、家の中の雰囲気が一気に悪くなったから、母親はオレの受験に差し支えないように早々に離婚を決めた。母親はフルタイムで働いてたから、そういう時の決断に迷いはなかったね。母子家庭になっても、オレが絵を描くことにも反対せず、むしろ応援してくれてる。いまもね。」
「オレの母親は……いつの間にか連れてきた恋人に夢中でしたね……。たまに会ってたんですけど、その恋人がひどいやつで、おばあちゃんが俺をあの2人から引き離してくれました。」
湯川と登偉はバラで囲われたベンチに腰をかけた。登偉の感情が噴き出しそうになっているのを察すると、湯川は彼の背中をなでた。
「ごめんな、思い出させちゃって。」
湯川が謝ると登偉は首を横にふった。
「いえ、むしろ、聞いてくれてうれしいです。」
丘の上の冷たい風がバラの香りをさらう。登偉は風を頬で受けて気持ちを落ち着かせた。
「もう、これから寒くなっていくんですね……。」
「早いな……ゴールデンウイークがこないだだったのに…!」
「え!?さすがにそれはないですよ!半年近く経ってるのに。」
「年とってると時間の感覚がホントに速くなんの!」
登偉は目を見開いて湯川を見た。湯川は自信たっぷりに微笑んだ。
「毎年バンドメンバーと泊まりで海に行くんですけど、今年はみんな忙しくて行けなかったなぁ…」
登偉がそう言うと、湯川が急に立ち上がった。
「よし、行くか!海!」
「え、この時期にですか?」
「人気がない海も良いもんだよ。それに、泳いで焼くだけが海じゃない」
2人は公園を出て坂を下り、湯川の自宅に戻って軽く 着替えた。自宅を出てアーケードを抜け、京浜東北線に乗り込んだ。
「大船からモノレールに乗るか……。」
スマートフォンで乗り換え案内を見ながら湯川が呟いた。
「江ノ島ひさしぶりだなぁ。バンドメンバーとは城ヶ崎まで行ってたんですよ」
「シブいね、また」
「メンバーの実家が伊東にあって。実家に泊まらせてもらいながら海に行ったり、夜は飲み屋でライブしたりしてました。今年はそれができなくて……メンバーの仕事とか学校が忙しくなってきたから……そうなると、このバンドもこの先長くはないかなと思い始めています。だから、オレもそろそろ就職を考えないとって」
「またプロのピアニストを目指さないの?」
「小さい頃からずっとピアノを弾いてたから、このまま就職というのも勿体ないなとは思います」
「一番迷う年齢かも知れないね。三十代が見えてきたら諦めもつくけど。オレも最初は就職してたからな。二十六歳の時にやっぱり絵だ!と思ってパッと会社を辞めた。親が元気だったってのもあるけどね。母親も、若いんだから、やりたいことを目指してみればって言ってくれて」
秋の江ノ島の海は、深い青色と刻まれた雲を映し、夏の騒乱の面影すらなかった。
「潮風が気持ちいい!」
登偉は顔を上げ潮風にさらす。何にも遮られない陽の光が彼を抱く。波を追ったり、貝殻を拾う登偉を、湯川は少し離れた場所から眺める。全身が視界に入るように。湯川は見惚れる事しかできなかった。
「寒いから、さすがに誰もいないですね!」
風の音に負けないように、登偉は声を張る。
湯川は砂浜を踏みしめながら登偉に近づいて言った。
「いま……明らかに恋愛してるんだけど、あんまり実感がない」
登偉は湯川の顔を見上げた。
「……オレが男だからですか?」
そう言う登偉の唇は肌寒さから赤みを帯びていた。顔の白さが唇の赤をさらに引き立たせる。その唇が湯川の心をゆさぶる。湯川は我に返って答える。
「それもあるけど……親子ほど歳が離れてるし……俺の今までと全てが違う」
登偉は湯川に顔を近づけ、まっすぐ見つめて言った。
「誰を好きになるかなんて、自分で決められたことないでしょ」
湯川は何も言うことができなかった。2人の間には海風が吹いていたが、しばらくすると風が通るほどの隙間もなくなった。
2人は湯川の部屋に帰宅すると、シャワーを浴びることもなく、お互いに服を脱がしあって抱き合った。ベッドに倒れこむと、湯川は登偉に覆いかぶさり、唇をふさぎながら彼の身体を愛撫し、性器を手で包み込んだ。
「湯川さん、手、大きい……」
湯川は何も答えず、登偉の首を吸い、手は性器を刺激した。身体が温まってくると、2人は全身を密着させ、お互いの性器をこすり合わせた。登偉は湯川の身体の重みを感じながら、彼の耳元や襟足に鼻をうずめる。湯川の匂いを感じると、登偉は静かに興奮し、湯川にしがみつく腕の力を強めた。
2人は果てても身体を密着させることをやめず、横になると湯川が後ろから登偉を抱え込んだ。汗ばんだ湯川の胸が登偉の背中にはりつき、呼吸のたびに上下するのが感じられた。うなじには湯川の乱れた吐息がかかる。登偉は自分の胸を抱える湯川の腕に手を添えた。
「……好きだ」
湯川が登偉の耳元でささやく。それを聞いて登偉は自分を抱える湯川の手をきつく握った。湯川からそう切り出されたのが嬉しかった。登偉は寝返りを打って湯川と向かい合う。
「……オレもです」
登偉はそう言って唇を近づける。湯川は腑に落ちない表情でキスを受け止め、唇を離すとこう返した。
「<オレもです>はズルいぞ」
登偉はニンマリと「ズルくないですよ!」と言って身をよじらせた。うつぶせになった登偉の背中に、湯川は覆いかぶさる。
「……『ゴースト』方式だな。」と湯川は背中越しに言った。
「なんですか?それ」登偉は真顔で問う。湯川は面食らった。
「……なんでもない。」
湯川は毛布を自分の頭まですっぽりかぶせた。2人はそのまま朝まで眠った。
「オレ、ピアノのレッスン再開しようと思います」
朝食を食べながら登偉は湯川にそう話した。
「いいね。すごくいいと思う。」
湯川はそう言って、登偉のカップに紅茶を注ぎたした。
「さらに忙しくなっちゃうんで、会えなくなりますけど……」
そういう登偉に湯川は首を横に振って答える。
「言っちゃナンだけど、無理できる内にやった方がいい。三十代になったら気持ちも体力も追いつかなくなる。……オレも仕事と個展の準備がんばるから。キツくなったらウチに泊まりにくればいい。」
「ありがとうございます、湯川さん」
登偉を送り出したあと、湯川は食器を洗った。昔、なんとなく色違いで買った、バーガンディとネイビーの大ぶりのマグカップ。バーガンディの方は湯川が使い、ネイビーの方は登偉の専用になっている。水切りカゴに二つ並べると、湯川は満足した。
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