第二十話 コーヒーハウス感想戦

「えぃ、お疲れ」


 バスケのエクストラマッチをもって午前中の全試合が終了し、二階席は昼食をとる生徒がそれぞれに固まっていた。生田くんは半ば無理やりに囲まれている僕の隣に割り込んでどっかり腰を落とした。


「お疲れ。バスケ部勝ったね」


「当たり前だろ。学年教師なんかに負けたら面子めんつがねえよ」


 彼はそう言って笑うと、カレーパンとバナナオレを取り出してコンビニのレジ袋をかかとで踏んで押さえた。それから僕が抱えているお弁当を覗き込む。


「お、画伯その弁当は、もしかして彼女の手作りか?」


「まさか。自分で作ったよ」


 また一つ周囲の男子がざわついた。 


「弁当自作かよ」


「やっば。勝てんわその領域」


「お前らむさ苦しい男子の分際で高貴なる画伯に勝とうなんざ二世紀はえーぞ。あーあ、ついにバレちまったなぁ、画伯がとんでもない男だということが!」


 カレーパン片手に頭を抱えて見せる生田くん。確かに今まで彼以外の男子で僕を焦点距離に留めた人はいない。彼らが持っていたのは教室の隅でいつも絵を描いているという印象だけだろう。


「てか、画伯が前線に出てこないのが悪いんだよな。まぁ、おかげで古参勢の俺だけマウント取れるけどぉ?」


 前線て。僕がそういうタイプじゃないの知ってるでしょうよ。あと僕の古参勢ってなに。


「なあ高坂。LIME交換しようぜ」


「あぁ、俺も俺も」


「てか画伯、三組のグループ入ってなくね」


 その一言に、隣のバナナオレがむせてガサゴソし出した。


「ゴホッ、ゲッホゴッホ……なにぃ!? おい、今すぐ入れろ! つぶされてぇかばかやろこのやろーめ!」


「だから俺たち画伯のLIME持ってねぇっつうの」


「あ、持ってんの俺だけか」


 彼は冷静に鞄を探ってスマホを取り出すと、その画面を一瞬見て立ち上がった。それから僕の方に手を置いて、観客席の通路へ長い脚を伸ばす。


「……わりぃ、ちょっと一瞬待って」


「あ、うん」


 真剣なトーンでそう言い落としていった彼の後ろ姿を見送って僕は自分のスマホを取り出した。別に彼を待たなくても僕が教えればいいだけだ。


「あ、あのっ」


 聞き馴染んだ甘い声が僕らの輪に響いた。みんなの目が反射的に声を追う。お姫様がクーラーボックスを小さな肩に引っ提げて立っていた。


「ドリンクあるから、欲しい人は言ってね」


「あ、俺欲しい!」


「俺も俺も!」


 美しい花に吸い寄せられる働き蜂のようにみんな寄ってたかって彼女にドリンクをねだり始める。彼女は一人一人に丁寧な笑顔とドリンクを配って、僕の前にやってきた。


「こ、高坂君も……」


「ありがとう」


 差し出されたドリンクを受け取って花恋さんに瞳を合わせると、彼女は恥ずかしそうにすっと視線をずらした。


「あ、生田君も、スポドリいる?」


「お、さんきゅー」


 黒いスマホをポケットにしまいながら戻って来た彼は、片手ですっと攫うようにドリンクを受け取って後ろからもう一度長い脚を僕の隣に伸ばした。花恋さんは「午後も頑張ろうね」とみんなに笑いかけて、クーラーボックスを抑えながらとことこ走っていった。その後ろ姿の可愛らしさに周りから深い吐息が湧く。


「ガチ天使」


「絹舞ちゃんいるってだけで三組優勝なんだよな」


「てかさ、ポニテでジャージ上と短パンの体操着姿って最強だよな」


「わかりみ二万マイル。世界標準にしてくれ」


「ちょっと午後のドッジボールみんなで肉壁ならん?」


「当たり前だろ。女子に怖い思いさせたら死刑」


 改めてこうやって輪の中に入ると彼女の人気が果てしないことに気付く。もはやうちに帰ってくるのが当たり前になっているけど、そんなのみんなからしたらとんでもないことなのである。そしてその事実を隣のバナナオレが完全に隠しているのもとんでもないことなのである。


「花恋ちゃんって付き合ってる人いるんかな」


 上級者チームで一緒に戦った高萩たかはぎくんが新しい議題を掲示板に貼り出した。昼ご飯を抱えるみんなの背筋がぴっと伸びる。女の子に関することなら何でもコーヒーハウスになるのが男子のコミュニティであることを察した。


「いやーいねんじゃねーかな」


「高坂じゃないの?」


 思わず花恋さんにもらったばっかのスポーツドリンクを吹き出しそうになった。


「僕?」


「少なくともうちのクラスじゃお前より仲良い男子いない」


 その声にその場のほとんどが首を縦に振った。あまりにも自視点とかけ離れすぎた評価に生田くんへ目線を送ると、彼も僕の目を真っ直ぐ見つめて小さく頷いた。


「……まじ?」


 新参者の物腰が内輪ノリになったのを察してみんなはどこか嬉しそうに笑った。


「まじまじ」


「自覚ねぇの?」


 僕がしていることなんて隣で毎時間教科書を見せているくらいじゃないだろうか。家ならともかく学校でそれ以上に仲良く振る舞っているつもりはない。


「みんなだって仲良いでしょ? ほらさっきだって」


 僕はちょうど手に持っているドリンクを振ってみせる。


「それは天使の属性だから。でもなんていうか、壁がないように見えてちょっとあるんだよな。なんつーかこの、踏み込めない何か」


 それは単に緊張しているだけなのではないかと思ったが意外にもフォロワーが集まる。


「それな! 別にお互い何もないのになんか怖がられてるような気がするよな」


「怖がられてる?」


 初めて男の子が怖くなかった。

 僕が彼女を助けた翌日、彼女がそう言っていたのを思い出す。学校ではとてもそんな風に見えないけど、もしかしたら心の底に何か恐怖心を持っているのかもしれない。


「それが画伯にはねーのよ。俺らよりもだいぶ距離が近いんだよな」


「それは物理的にではなく?」


「物理的にもだけどな! あー羨ましいぜぇ。なぁほんとに付き合ってないのかよ?」


「付き合ってないよ。僕はそういう恋愛とか、あれだし」


「じゃあ彼氏がいるとかいう話は?」


「別に聞いたことないよ。安達さんの方が知ってるんじゃないの? そういうこと」


 あぁー、と思い出したようにみんながのけぞる。それから瞬く間に議題は安達さんの胸の話に塗り変わってしまったから、僕は苦く笑いながら箸を動かすしかなかった。バナナオレを持った彼はなにやらにやにやした顔で僕を眺めていた。


「なに」


「いーやぁ?」


 生田くんはくるんと首を捻って僕の耳元に囁いた。


「俺が何もしなくてもばれそうだな」


「やめてよ」

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