第七話 狼煙

 自分の部屋の掃除。

 女の子が泊まるとなると、それも必然的な庶務しょむである。


 寝るのは美咲の部屋で良いんじゃないかと思ったけど、狭いベッドに二人は寝苦しそうだったから僕の部屋のベッドを貸してあげることにしたのだ。僕は床に布団でもいて寝ればいい。


「入ってもいい?」


 部屋の扉を少し開けて、絹舞さんがひょっこり顔を出す。僕が頷くと彼女はゆっくり部屋の中に入って来て、ベッドにぽすっと腰を下ろした。


 大人たちが閣議決定した末、彼女はしばらく高坂家で面倒を見てあげることになった。と言っても明日からはスタジオの方でほぼ二人暮らし。


 絹舞さん自身がそうしたいと言って、拒否権を行使する者がいなかったのだ。


「梅沢先生に連絡した?」


「うん。明日から学校行きますって」


「明日から? 檸檬さんの手術あるんじゃないの?」


「あるけど、檸檬さんが気にせず学校行けって言うから。JKなんだから制服着て少しでも青春しなさいって」


「そ、そっか。僕、隣の席でよかったね。教科書とかさ、とりあえず全部見せてあげられるから」


「ほんとだねっ。運命みたい……」


 彼女はスマホをぎゅっと腿に押し付けて、はすに視線を落とした。気まずいのかもわからない生温かい沈黙が流れる。


「あ、あのさっ」


「ん?」


 僕は床から彼女を見上げた。


「私のこと、花恋でいいよ?」


「え?」


 名前の呼び方の話だろうか。


「い、いや、名前呼びはちょっと」


 ハードルが高いし、それこそ安達さんになんか言われそうで怖い。


「そっ、そうだよね……」


 絹舞さんは、しゅん、と肩を落としてしまった。そんなに落ち込むなんて思わなかったから、焦って代替案を掲げる。


「じゃ、じゃあ、花恋さんでいい? それだったらまだ呼びやすいし」


 彼女の顔にわかりやすく光が戻った。


「うんっ、高坂君っ!」


 あ、君は名字君付けで呼ぶのね。


 僕は床を汚れを拭き取って除菌シートをゴミ箱へ放り込んだ。シートがビニールにかする短い音にかぶさるように、部屋の扉が開く。


「あ、ここにいたっ。もしかしてデート中だった?」


 美咲だ。

 

「勝手に恋人にしないの。何かあった?」


「いや、ママが夜ご飯作るの手伝ってほしいって」


「私っ、手伝うよ!」


 花恋さんはベッドからすっと立ち上がった。


「ほんとっ? ありがとうお姉ちゃん」


「いや、僕が行くよ。花恋さんは休んでて」


「え、そんなっ、お邪魔してるんだし、お手伝いくらいするよっ」


「でも」


「じゃあ、みんなで行こ! 今のご時世、夫も家事をするんだしっ」


「勝手に夫婦にしないの」


 まったく、このは……ん?


 きめの細かい艶やかな手が僕の袖を摑んでいる。僕はその手を目でなぞり上げ、撫子色に辿り着いた。


「一緒に行こっ?」


 肋骨が外れたかと錯覚するほど、心臓が跳ねた。


「は、はい……」


 固まる首を必死にじって彼女から視線を外す。それと同時に瞳にハートを浮かべた十二歳が目に入った。


「行くーっ! えへへ~」


 彼女は僕から奪い取った花恋さんの腕にしがみついてきゃっきゃしながら階段を下っていった。


 もうこの二人がくっつけば世界は平和なのではないだろうか。





「花恋っ」


 後ろ側のドアに一番近い席に座っていた安達さんが勢いよく立ち上がって、一緒に教室に入った彼女に抱きついた。


「話聞いたよっ。だ、大丈夫なの……?」


「う、うんっ。平気だよ。大丈夫」


 見たことない表情で詰め寄る安達さんを横目に、僕は窓際の自分の席に荷物を置いた。目の前にはもう生田くんが座っていた。


「絹舞ちゃん来たんだな」


「ね」


「結局なんだったんだろうな」


「あぁ、なんか家の事情らしいけど」


 しらを切る。


 花恋さんはひっついて離れない安達さんを従えるように隣の席にやって来た。


「おうち、どうするの? あたしの家、いくらでも貸すよっ」


「ううん。泊まるところならあるから大丈夫」


「え。ど、どこっ?」


「えっと、立川の、し、親戚の……家?」


 彼女は唇に指先を押し付けながら目を泳がせる。


「あたしも行っていい?」


「えっ」


 思わず声が出た。それの聞き逃さず安達さんは僕をきっと睨みつける。


「な、何っ」


「い、いや、何でもないよ」


 花恋さんは慌てて机の上についた安達さんの手を握る。


「め、迷惑かけちゃうかもしれないからっ。か、家族もいるし」


「でも、花恋のこと心配だもん……」


「大丈夫だよっ。ほんとに平気だから!」


「ううん。嘘、吐いてるでしょ? わかるよ、あたし」


 安達さんは首を横に振ってぷくっと頬を膨らませた。その目はまっすぐ花恋さんに注がれている。


「つ、ついてないよ。本当だからっ」


「ほんと?」


「ほんとっ」


 花恋さんは首を傾げる安達さんに緩やかな笑顔を向けた。ほころびを見失ったのか、安達さんは机の上の手をどける。


「な、何でも相談してよ? 親友……なんだから」


「うんっ。ありがとう」


 可愛らしく微笑んで彼女の手をぎゅっと握る花恋さん。マドンナのブーケパスを受けて親友の方は顔を少し赤らめながらはにかんだ。


「二人、仲いいんだね。かわいー」


 生田くんが僕の机に肘をつきながら目を細めた。


「か、花恋に手出したらタダじゃ置かないんだからねっ」


 安達さんは花恋さんの肩を抱きながらむっと口を結ぶ。


「えー、友達でもダメなの?」


 生田くんは滑らかなオフェンスを見せた。慌てて花恋さんは首を横に振って安達さんの束縛を解いた。


「ダメじゃないよっ。友達たくさんの方がいいもん。ねっ、結衣?」


「えっ。か、花恋がそう言うなら、仲良くしてやってもいいけど……」


 彼女はツーンと視線をいで唇をとんがらせた。


「なんで上から目線なのっ」


「だってさ、花恋がどっかに行っちゃうの、やだし」


「何言ってんのっ、私はどこにも行かないよ結衣」


「え、何、二人付き合ってんの?」


 ね。僕も思った。


「そ、そういうんじゃないからっ!」


 安達さんは顔を真っ赤にしてもげそうな勢いで首を横に振った。両手の指をぎゅっと集めて、必死に何かを紡ぎ出す。


「大切な人に変わりはないけどっ、こ、恋人とかじゃ」


 生田くんは軽く笑いながら組んだ足を解いた。


「わかってるよ。そんな焦んなくても。なぁ、画伯?」


「あぇ?」


 僕は創作ノートから顔を上げる。

 二人の方に視線を流して、花恋さんと目が合った。彼女は恥ずかしそうに肩をすくめて視線を外す。


「まあ、お似合いじゃない? 僕は邪魔するつもりないし」


「は? てめー隣の席の子と友達にならない世界線があると思うか?」


「ないの?」


 まあ、実は隣の席どころの関係じゃないけど。


「そんなものはない。俺の辞書には」


「君の辞書じゃん。僕の辞書にはあるから」


「ぷっ」


 隣で花恋さんが吹き出した。肩を小さく震わせながらくすくす笑う。


「ご、ごめんっ。面白いなって」


 彼女は僕の机に手を伸ばして、僕の手をぎゅっと握った。


「仲良く、してねっ」


「え、う、うん」


 さすがに首を横に振ることは許されない。


「確定演出じゃねーか。俺も手握ってほしーい」


 頬を膨らまして僕をじーっと睨んでいる安達さんの前で花恋さんは天使の輪っかを売りまわった。


「生田くんもよろしくねっ」


「はーいっ。仲良くしようね~」


「うんっ」


 女子慣れしているのか、生田くんは全くぎこちなさを感じさせない笑顔で、彼女と首をこてんこてん傾げ合う。それから天使は忘れてないよと言わんばかりに白い羽を大きく広げて後ろの親友を包み込んだ。


「ふぁ」


 安達さんは瞳をとろんと溶かして、そのまま幸せそうに笑った。


「んーっ」


「えー、俺もハグされたーい」


 貪欲に手を広げる生田くん。


「ぜ、絶対ダメっ。花恋のハグは格式高いんだから限られた人にしか許されてないの!」


 昨日花恋さんにされたことは黙っておこう。


「へへ、冗談だよ。そこまでいったらさすがにセクハラになるでしょ」


 生田くんは僕の方へ身体の向きをずらした。


「ってことでLIME交換しようぜ、画伯」


「え?」


「あ、私もー!」


 生田くんに続いて、花恋さんもブレザーのポケットからスマホを取り出した。


「どういう繋がりでそうなるの」


「はっ? てめー前の席の奴と友達にならない世界線があると思うか?」


「あるでし――――」


「ねーんだよ。ほらスマホ貸して。どっちみちクラスメイトは全員交換するつもりだから」


 最初からそう言えばいいのに……。

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