第8話お弁当
体調が良くなったので、授業を受けることにした。
大後さんが心配そうに「大丈夫?」と両手を握ってくれたおかげで、また熱が上がりそうになったが、ぐっと堪える。
四時間目の移動教室は情報だったけど、先生の都合で自習となった。同級生が思い思いの時間を過ごす中、俺は殺人鬼の情報を見ていた。情報規制されているとはいえ、少しは情報が開示してある。
殺人鬼の犠牲者は五人。全員月夜に殺されている。成人している男女が無差別に襲われており、子供や青少年は難を逃れている。ま、夜中に出歩いているのは大人が多いから、確率の問題だったんだろう。
ネットでは大人だけを狙うと推測しているが、かといって若者たちが増加した話は書かれていなかった。誰だって死にたくないし殺されたくないんだろう。
それからいろいろ調べてみたが、殺人鬼の正体や手がかりは、当然のことながら載っていなかった。凶器が何かも分からない。警察ならば検死などで断定しているが、普通の高校生の俺にはここまでが限界だった。
「おい、こころ。どうしたんだよ」
つるぎが俺の隣の空いている席に座った。みんな気の合う友人と固まっている。
俺はブラウザを消して「なんでもない」と誤魔化した。
「まだ体調悪いのか?」
「うにゃ。絶好調だよ」
「だよなあ。大後と手をつないだときのお前の顔、ゆるゆるだったもんな」
「ふざけるな。そんなしまりのない顔なんてしてねえ」
つるぎは「まあどうでもいいけどよ」と軽く笑った。
「いつ、告るんだよ?」
「…………」
「恋愛漫画の主人公じゃないんだからよ。さっさと告白してくっつけ」
頬をぽりぽり掻きながら「流石、彼女持ちのリア充は言うこと違うな」と皮肉を言った。
生まれてこの方、誰かに告白したことなんてないし、告白されたこともない。
どうやればいいのか、まったく持って分からない。
「好きだって言って、抱き締めりゃあいいんだよ」
「お前、湯本にそれやったのか? よく無事だったな……」
あの暴力女にできる勇気があったのかと見直したら、つるぎは首を横に振った。
「いや、俺がされた」
「……湯本、結構男らしいというか、度胸あるよな」
「あれはあれで、乙女なところがあるんだよ」
「はいはい。惚気はいいから。ま、いつか告白するさ」
結局のところ、フラレて今の関係が崩れることを恐れているだけだ。
臆病になるほど、俺は大後さんのことが好きだった。
それに今は、ミスティアのこともある。あいつの仕事の手伝い――家を貸すだけなのだけど――が終わらない限り、告白は先延ばしになるだろう。
「そういえば、剣道部はどうなんだよ。都大会、大丈夫なのか?」
「正直微妙だな。部長と副部長と俺は勝てるが、他の二人はあんまり強くない」
「三人で勝ち進めばいいだろう?」
「簡単に言うなよ。ま、気楽にやるしかねえか」
チャイムが鳴って授業の終わりが告げられた。
俺はつるぎと話しながら、教室を出る。
「あ、田中くん。ちょっといいかな?」
廊下で湯本と一緒にいた大後さんが俺に話しかけてきた。
俺は先ほどのことを思い出して「あ、えっと、何かな?」とやや緊張してしまった。
「えっとね。昼休み、一緒にいいかな?」
「本当!? 嬉しいなあ!」
いつも大後さんは湯本と一緒に食べるので、誘いにくかった。
ま、二人きりじゃないと分かっていても、嬉しいことに変わりはない。
「田中くん、お弁当持っている?」
「今日は持ってない。朝忙しくて……」
ミスティアのこともあったので、作れなかった。だから学食か購買で買おうと思っていた。
「実は、お弁当作ったんだけど……」
「えっ? えっ?」
「その、良かったら、食べてくれないかな……?」
頭が真っ白になってしまう。
こんな幸福、ありえるのか?
◆◇◆◇
さらに幸福なことに、大後さんと二人きりだった。
別に湯本が一緒だと嫌というわけではない。誰だって好きな人と二人きりなのは、たとえようもない多幸感を得られるんだ。
しかも大後さんは二人きりになれる場所を用意してくれた。それは生徒会室だった。
生徒会役員以外入らないし、役員自体使わないらしい。
鍵は役員なら持っているので、大後さんは好きに入れるのだった。
「実は、田中くんが早退しちゃったらどうしようと思ってた」
舌を少しだけ出して、悪戯っぽくウインクする大後さんはとても可愛らしい。
俺は「もし早退しちゃったらどうしたのかな?」と一応訊いてみる。
「そしたらもう一つは晩ご飯になっちゃうね」
「あはは。健康でいて良かったよ」
「逆に、お弁当持ってきてたらどうしようかなって」
「もちろん、大後さんのお弁当を食べるよ」
大後さんからお弁当を手渡される。キャラクターが描かれている弁当箱を開けると、美味しそうなおかずとのり弁が形良く入っていた。
「うわあああ! 美味しそうだね!」
これが女の子の手作り弁当か!
感動のあまり大声を出してしまったので、大後さんは驚いたけど、すぐに嬉しそうに笑った。
「うふふふ。喜んでくれて嬉しいな」
「俺も嬉しいよ! じゃあ食べようか!」
向かい合って、いただきますをする。
箸でまずはアスパラのベーコン巻を食べる。
うん、美味しい!
「最高だよ! とっても美味しい!」
「大げさだよう。あ、唐揚げ自信作なんだ」
「うん。食べるよ!」
お世辞ではなく本当に美味しかった。
こんなに美味しいお弁当は生まれて初めてだった。
「ごちそうさまでした!」
「はい。お粗末様でした」
同時に食べ終えると大後さんは「こんなに嬉しそうに食べてくれるなら、毎日作ってもいいかも」とにこにこしている。
「うん。毎日食べたいよ」
「……田中くんは優しいね」
不意に伏し目になって淋しそうに言う大後さん。
俺は「どうかしたの?」と訊ねた。何か不安なことあるのだろうか?
「ううん。なんでもないの。それより、田中くん、一つ訊いていい?」
「一つと言わず、何度でも訊いていいよ」
大後さんは視線を落としたまま、真剣な表情で「もしも、自分の好きな人がいて」と言う。
「その人のためなら、何でもする?」
「俺にできることなら、できる限りするけど」
どうしてそんなことを訊くんだろうと思いつつ答える。
大後さんは顔を挙げた。
「それが、どんなにいけないことでも?」
どこかそれは覚悟したような目で。
俺に期待しているような目だった。
ごくりと生唾を飲み込んでしまう。
「……どのくらい、いけないことかな?」
一歩引いた問いに大後さんも戸惑ったようだった。
てっきり断ると思っていたらしい。
「……やっぱり田中くんは優しいね」
笑ったけど、それは俺が好きな笑みじゃなかった。
まるで世界に一人きりと思っているような淋しいもの。
「前野くんに対していつも、ふざけるなって言っているのに、私には言わないんだね」
「あ、いや、それは――」
「ちょっと自惚れても、いいかな?」
俺の返事を待たずに、大後さんは椅子から立ち上がって、俺の近くに寄った。
「立って」
「えっ? うん……」
言われたとおりに立った。
間も置かずに抱き締められた。
「お、大後さん!?」
「そのままで、いて」
パニックになっておろおろする俺。
良い匂いがするなとか身体が柔らかいなとか。
不純な思いの後に、震えていることに気づいた。
「……大後さん」
俺は勇気を振り絞って、背中に手を回した。
そしてできる限り優しく抱き締め返した。
「田中くん、暖かいね」
「そう、かな」
「……もういいよ」
大後さんは俺からぱっと離れた。
目も合わせず、顔もそむけて、弁当箱を手早く片付けて――
「それじゃ、またね」
そのまま生徒会室を出て行ってしまった。
馬鹿みたいにつっ立っている俺。
今のはなんだったんだろうか?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます