第6話殺人日誌、二人目

 初めての殺人は汚らしいものだった。

 吐瀉物と血溜まりの臭いが鼻孔をくすぐった。

 美醜や生理的嫌悪など私の中にはないが、己の存在証明を丁寧に行ないたいのは、殺人以外の技能を持たなくても、当然備えているものだ。


 手早いだけではなく、死体を見た者が見事と思うようなものに仕上げたい。

 無論、芸術作品を目指していない……強いて言えば仕事を評価してもらいたい。

 そんな欲求が出てきたのは否めなかった。


 月下で新たな標的を探す。

 繁華街を少し外れた人気のない路上で、カップルを見つけた。

 男と女がいちゃつきながら歩いている。


 さて、どっちを狙うか。

 前は男だったから今度は女にするべきか。

 しかし男のほうが女を家まで送り届けて、そのまま一人で帰るかもしれない。


 そこで傍と気づいた。

 もし二人が同棲していたどうする?

 いや、夫婦なら一緒に住んでもおかしくない。


 ならば二人ともまとめて殺すのが得策か……?

 そう考えていると、男と女は道の途中で別れてしまった。

 唇を目で読み取ると、女の家は近くだからここまででいいと遠慮したようだ。


 男はしばらく女の後ろ姿を見ていたが、角を曲がったのを見ると自分の家に帰っていった。

 私は女のほうを狙うことにした。そのほうがバランスが取れると思ったからだ。


 跡をつけると女は電柱に立ち止まって、何かの箱を開けて笑顔になっていた。とても小さな箱だった。片手で持てるサイズの箱だ。


 私は素早く後ろから近づいて――近くに人の気配はない――すれ違い様にナイフで女の頚動脈を切った。

 血を噴出しながら、女は笑顔のまま倒れた。痛みを感じる間もなかったはずだ。


 身体に血痕が付着していないことを確認して、私は女が落とした箱を見る。

 中には指輪が入っていた。プロポーズされたのだろう。

 私はその場を後にした。自分の存在証明ができたことで達成感を覚えていた。


 歩きながら満月を見る。

 太古から人間を見張っている星。

 しかし何の干渉もしてこない星。


 もしも月に意識があったとしても、心を閉ざしてしまうのではないか?

 目の前の悲劇を止めることはできず、ただ見張るだけの存在。

 それなのに、全ての人間に存在を認められている。


 嫉妬や羨望は生まれない。

 ただそうありたいと感じる。


 私は私の殺人行為で人々に存在を知らしめよう。

 快楽や快感は覚えない。

 存在証明のみが私の生きる行為だ。


 生き続けたい。

 殺し続けたい。

 それだけが望みだった。


 人は私のことをどう思うだろうか?

 忌避する存在か畏敬する存在か。

 唾棄する存在か畏服する存在か。


 願わくば、ただの殺人鬼でありたい。

 一介の殺人鬼でありたい。


 足を止めて私は前を見た。

 繁華街のネオンが明るく怪しく光る。


 月の明るさをかき消す人口の光。

 その光に私は紛れた。

 今日の殺人はこれにて終えよう。

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