第5話初めての食事
世界の常識であるドゥーム法が、実は魔術師だの超能力者だの、超常現象に関わっていたという事実。とてもじゃないが抱えきれない。世界に不思議なことや不気味なことなんてないと思っていたが、それは大きな間違いだったようだ。
真実は報道されないなんて不条理が許されているのは、知っても知らなくても一般人には対処できないということだろうか? それは傲慢かもしれないが同時にセーフティになっているのだろう。
そうやって自分を誤魔化す作業を終えた俺は、二杯目の麦茶をちびちび飲むミスティアに「次の質問していいか?」と問う。
「いいよー。僕が答えられるものなら」
余裕たっぷりににやにやしているミスティア。どうやらこの状況を楽しんでいるようだった。理由は分からない。
さて。訊くべきことは二つ。エデンの林檎とミスティア自身のことだ。
「エデンの林檎って言うのは、なんなんだ? 魔道具で人の可能性をこじ開けると言ったが、意味がまったく分からない」
「そのまんまなんだけどね。こころは聖書に詳しい? 旧約のほうの創世記」
生憎、宗教には詳しくないので「いいや、分からない」と答えた。
「アダムとイヴ……最初の人間のことなんだけど、彼らが蛇に唆されて、知恵の実を食べたんだ。それがきっかけで、人間は善悪を知るようになった。まあいわゆる原罪だね」
ミスティアの言っていることは外国語のように理解が難しいものだった。それは断片的に話していることと、俺の知識不足が原因だった。
しかし「それは作り話だろう?」と指摘はできた。
「実際に知恵の実があるわけない」
「うん。だからエデンの林檎も作り物だよ。今から四百年前くらいに知恵の実を参考にして、エデンの林檎という魔道具を作った魔術師がいてね。その技術が現代まで続いちゃったんだ」
ということは知恵の実の贋作……いや、模倣品というわけか。
俺がそう理解した直後に「でも伝わった技術が不完全でね」とミスティアはやや困った顔をした。
「エデンの林檎のオリジナルは失われちゃって、今は粗悪なレプリカが作られているんだ。この龍堂市にもたらされたのもその一つ」
「粗悪なレプリカって……」
「オリジナルは必ず才能開花させていたんだけど、レプリカの場合は違う。才能を引き出すこともあるけど、ほとんどの人間はそんなの持たないから、化け物になっちゃうんだよ」
化け物になると簡単に言うが、市民としては聞き捨てならなかった。
今までの話から推測すれば、そのエデンの林檎のせいで――
「化け物になった誰かさんのせいで、この街で殺人が起きているんだよね。だから僕が派遣されたんだ」
「そのエデンの林檎は処理したって言ったが……」
「うん。赤ずきんちゃんとシューズメーカーが処理したよ」
また分からない単語が出てきたが、おそらくブラスワークスとやらの何かだろう。
俺は「じゃあこれ以上化け物が増えることはないんだな」と問う。
「うん。でもね、今回ちょっとやばそうなんだよね」
「何がだ? 化け物が手強いのか?」
「えっと化け物……殺人鬼のほうが分かりやすいかな。殺人鬼が殺し始めて五ヶ月経ってしまったんだよ。時間が経てば経つほど、厄介なことになる」
ミスティアはコップの飲み口の縁を指でなぞりながら「具体的なことは言えないけど」と呟く。
「月夜に一人だけど、そのうち関係なく殺し始める」
「なんだって!?」
「可能性の話だよ。もしかしたら違うかもしれない。予想がつかないんだ。現に友達は月夜じゃないのに、殺されていた。身体の一部が食われていた」
身体の一部が食われていた?
吐き気を催す話だった。殺人鬼は殺すだけではなく、人食いをしているということなのだから。
「まるで狼のような噛み跡だったよ。赤ずきんちゃんじゃないのに――」
「それで、目星はついているのか?」
今思いついた質問だが、一番重要な問いだった。
もし目星がついていなかったら――
「今日来たばかりだもん。目星なんてつかないよ。友達を見つけたぐらいで手がかりはないかな」
「そう、か……じゃあ被害者が出るかもしれないのか」
「僕から言えることは、不要な外出は控えましょうってことだよ」
悪の組織の構成員のくせに、至極真っ当なことを言う。
でも少しばかり気にかかることがあった。
「ブラスワークスはどのくらい動いているんだ?」
「えっ? だから今日来たばかりだって」
「そうじゃない。ミスティアの他にもいるんだろう? その――」
「ああ、道具ね。いないよ。僕しかいない」
「はあ!? 龍堂市にどんだけ住んでいると思っているんだよ!?」
たった一人で警察から逃れている殺人鬼を、たった一人で捕まえるなんて、砂漠からビーズを見つけるくらい困難だ。
だがミスティアは自信があるらしく「大丈夫だよ」とにっこり笑った。
「友達に協力してもらうから。たくさん作れば一人でも大丈夫」
「……そうなのか?」
「うん。僕はいつも一人きりだったし。心配してくれてありがとう!」
別にミスティアを心配しているわけではなかったのだが、こうも真っ直ぐにお礼を言われると街の住人として申し訳なくなる。悪の組織とはいえ、自分と同年代の少女が一人で平和を取り戻そうと頑張るのを、ほっとくわけにはいかなかった。
「何か、俺に協力できること、ないか?」
だから思わず協力を申し出てしまった。
でも言ったことを後悔したとは思わない。変な正義感と心の囁きに突き動かされてしまったのは事実だった。
ミスティアは笑顔のまま「その気持ちだけで十分だよ!」と爽やかに言った。
「見たところ戦闘力はなさそうだしね。身体、鍛えてないでしょ? 足は速かったけど」
「それはそうだが……」
「強いて言えば街の地図か何か貰えれば嬉しいな」
「そのくらいなら、後で印刷してくるよ」
ミスティアは「ありがとう」と言って麦茶を飲んだ。さっきから飲んでばかりだが、お腹がたぷたぷにならないのだろうか。
「お腹空いていないか? お菓子でも食べる?」
「えっ? いいの? 僕お腹空いていたんだよ」
俺は戸棚からポテトチップスを取り出した。うす塩味だ。開けてミスティアに差し出すと「日本のお菓子は美味しいよね」と言ってさっそく食べ始めた。その勢いは物凄く、何日も食べていないみたいだった。
「……最後に食べたのはいつだ?」
「えっと……四日前かな!」
喉が渇いていたわけではなく、空腹を紛らすために食べていたのか!
「お前、早く言えよ! ちょっと待ってくれ。今ご飯作るから」
「僕、一週間食べなくても平気だよ?」
「ふざけるな。とりあえずポテチ食べてろ!」
俺は冷蔵庫からハムとネギと卵を取り出して、簡単な炒飯を作る。
俺も晩ご飯を食べていなかったので、自分の分も用意する。
「ほら。炒飯だ」
スプーンも一緒に渡す。ミスティアは「いいの? ありがとう!」と言って食べ始める。
ブラスワークスめ。食費ぐらい渡せよ。
俺も炒飯を食べ始めると、ミスティアはにこにことさらに笑顔になった。
何が嬉しいのか分からなかったので「どうしたんだ?」と訊ねる。
「えっと。僕、嬉しいんだあ」
「何が? 四日ぶりにご飯食べられたことか?」
「ううん。誰かと食事したこと」
ミスティアはとびっきりの笑顔で悲しいことを言う。
「誰かと食事するなんて、僕初めてだよ」
「…………」
「友達は、ご飯食べられないから」
胸が締め付けられるくらい切ない気持ちに襲われた。
目の前のミスティアが可哀想に思えた。
平和な日本で極普通に行なわれていることを、体験していないことに同情した。
「なあ、ミスティア。お前、寝泊りする場所決まっているのか?」
「ううん。野宿だけど」
「……殺人鬼を捕まえるまで、この家にいろ」
俺はなんだか泣きそうになるのを堪えた。
ミスティアは理解できていないようだった。
「この家にいろって……?」
「寝泊りしていい。鍵も渡す。好きなように使ってくれ」
俺は炒飯をかき込んで、涙が出るのを必死に止めた。
ミスティアは「変な人だなあ」とくすりと笑った。
「じゃあ厚意に甘えて、使わせてもらうね」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます